第18話 帰省してみた
時は流れ、三年生の卒業式を終え、進級の前にある長期休暇を利用して俺とリューテシアは実家に帰省することにした。
ファンドミーユ家へ向かう馬車に乗り、流れていく景色をぼんやり眺める。
まずはリューテシアを送り届け、そこから実家に戻る手筈だ。
ファンドミーユ子爵には娘をいつもありがとう、と労いの言葉をかけてもらい、リューテシアとは新学期直前に会う約束をして別れた。
続いて俺の家に向かってもらう。
御者の男が着きました、と言いながら馬車の扉を開けてくれると、頭を下げた執事長の息子が立っていた。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
「ただいま。もっと華やかな出迎えを期待してたんだけどな」
「何を仰いますか。トーマ様もリファ様も心待ちにされていますよ」
それを聞いて安心した。
一目散に弟と妹の待つ部屋に向かうと二人は俺の左腕の心配ばかりしていた。
確かに手紙で状況は伝えていたが、それにしても過剰なまでの心配っぷりだ。
「サーナ先生をお呼びしていますのでこちらへ」
リファに連れられて屋敷の西側の部屋に向かえば、妹の家庭教師である女性が待ち構えていた。
「これは見事に折られましたね。骨の成長を促す薬です。痛み止めは飲み過ぎると体に毒なので、我慢できるならほどほどにしてくださいね」
「ありがとうございます」
さっそく受け取った飲み薬を一気飲みすると、驚くほどに甘かった。
「坊ちゃんの味覚に合わせてみました。これも薬術です」
「俺ってそんなに子供舌?」
サーナ先生はにっこりと微笑むだけだ。
俺に薬草や調合について教えてくれたのは、他でもないサーナ先生だ。
薬師であることは聞いていたが、経歴の詳細については聞いたことがない。
「学園卒業後、薬師として世界中を周り、このお屋敷に仕えることにしたのですよ」
なぜ我が家に、と心の中でつぶやく。
「奥様には良くしていただきましたので、少しでもお返しできればと」
俺の母も王立学園で薬術を専攻していたというのは生前に直接聞いたことだ。
俺も一年習ったが、これと言った学びはなかった。
正直な感想を伝えると、不審そうに眉をひそめたサーナ先生が担当教師の名前を聞いてきた。
「えー、あの人って剣術クラス担当だったのに」
「なんか、左遷されたらしいですよ」
共通の話題ができたことで急にフランクになったサーナ先生に、口を滑らせてしまった。
途端に目が虚になってしまい、慌てて取り繕ったが既に遅かった。
「もう王立学園の薬術クラスも終わりですね。以前は優秀な先輩ばかりでしたが」
寂しそうな、憐れむような声で小さく言うサーナ先生の気持ちはよく分かる。
俺もクラスメイトの先輩から聞いた時は絶望したもの。
帰省後、サーナ先生の薬を飲んだとはいえ、左腕はまだ万全ではない。
ただ、日常生活に支障はない。
一人で食事を食べられるし、風呂にも入れるが、やたらと周囲に世話を焼かれてしまって困っている。
俺が転生していると気づいた直後から考えるとありえない光景だ。
彼らの気持ちだけをありがたく受け取って、これまで通りの生活を心がけた。
「トーマ、遠慮せずに打ってこい」
そして、ここにも気を遣いすぎている弟がいる。剣を持って対峙するトーマには迷いがあった。
「しかし!」
「これこれ。そんな体で無茶をするでない」
「先生! 居たんですね」
ほほほっと目を細めて笑うと、ただのおじいちゃんにしか見えないが、ディード曰く歴代最強の騎士団長らしい。
「残念な結果でしたな、ウィル坊ちゃん。まさか、わしにまで手紙が届くとは思ってなかったですぞ」
「家族総出で手紙の仕分けをしたんです。全員に直筆の手紙だなんて、さすが兄さんです」
前回の長期休みには帰らなかったから、その罪滅ぼしのつもりで書いたんだけど、ありえないことだったらしい。
他の使用人たちにも感謝された。
「もう剣術大会では優勝できなくなってしまうな」
「なぜですか!? 今回のは不幸な事故です。来年こそは兄さんが優勝ですよ!」
「いやいや。だってトーマが入学するだろ? 俺、勝てないよ」
トーマは何を言っているのですか、とでも言いたげに俺を見つめる。
しかし先生に目配せすれば、当然だ、と頷かれた。
「俺よりも一年早くに剣術を学んでいるんだ。それにこの一年、俺は剣術から離れてしまったから」
「そんなことはありません」
悲しげに目を背けたトーマの頭に手を置く。
俺としては、弟が自分よりも強くなることは嬉しい限りだが、トーマの心境は複雑なのかもしれない。
「でも、最初から諦めたりはしない。全力で戦うから、もしかすると勝っちゃうかもな」
「はい、兄さん!」
なんだ、こいつ。久しぶりに会うと可愛いな。
身長も伸びて、顔つきも以前の幼さは薄れているのに、人懐っこさは変わらない。
俺を見るキラキラな瞳も昔のままだ。
今から来年が楽しみだ。
「こいつ、俺の弟」と自慢できる日もそう遠くないぞ。
帰省して一週間後、仕事で家を空けていた父が帰宅した。
「ウィルフリッド、学園生活はどうだ?」
「とても充実しています。お父様、少しお話できますか?」
父の書斎に移動した俺は勧められた椅子に腰掛け、本題を切り出した。
「お父様は在学中は剣術クラスだったと聞きましたが、魔術にも精通されていたのですか?」
「なぜ、そう思う」
幼少期、俺が魔術書を読み漁っていたことを父は知らない。
多忙で家に居ないことをいいことに、書斎から拝借した書物の数は数え切れない。
「この書斎を埋め尽くす本を見れば、誰でもそう思うでしょう」
目を閉じて、ため息をついた父は重そうに口を開いた。
「私が魔術の道に明るいなら、お前の左腕を治してやっている。それが出来るのは王族だけだ」
「それは回復魔術とは別の?」
「対処療法ではなく、根治することができるのは血統を持つ王族のみだ。だからと言って、王族に頼り切るわけにはいかない。そこで編み出されたのが薬術という概念だ」
つまり、魔術には限界があって、それを超える可能性を薬術に見出していると。
そんな大層な学問なのに、王立学園で左遷先とあってはサーナ先生が怒るのも無理はない。
実際に俺は魔術師による回復魔術を施されたが特に何も感じなかった。でも、サーナ先生の薬を飲み続けることで、なんとなく力が入るようになっていることを実感している。
一見すると薬草をゴリゴリしてるだけだが、馬鹿にできるものではないのだ。
本当は青い薔薇についても聞いてみたかったのだが、父が途中で退席してしまい、親子の会話はそこで終わった。