56話 これが、あなたの答え。
崩れるように床に座る。
胸の苦しさを抑えながら、私は何とか言葉を発した。
「駆馬くん……どうして」
「その方が花恵さんは幸せになれるから。僕じゃない他の人と結婚したら、花恵さんは長生きできる。幸せになれる。もう分かるから」
「どういう、事?」
「そんな未来も見えたんだ。でも……あんまり詳しく言えない。言いすぎたら未来が変わる。だから、こんな大雑把な情報でも信じて欲しい。僕じゃない人となら、子どもを産んでも死なない。孫やひ孫に囲まれて長く生きられるんだ」
ひ孫も出来る。つまり、90歳か、それ以上。変な事故や病気で死ぬ事なく、長く生きられるのだろう。
産んでも死なない……でも、何で……駆馬くんとは、ダメなの……
疑問が溢れてくる。何を言っているのだろう。別れたら幸せになれるなんてイメージが湧かない。信じられない。
「分からないよね。だけど、これが真実なんだ」
ただ分かるのは、駆馬くんの目から、嘘ではないという事。
「僕らがこのまま付き合っていれば、結婚する。今は欲しくないと思っていても、子どもが欲しくなる。……そして、死ぬ。だから別れ───」
「じゃあ! じゃあ、養子は?」
そう聞いても、駆馬くんは首を横に振るだけだった。
「どうする事も、出来ないの?」
「……」
「別れても、本当に、幸せになれるの?」
「うん」
「私じゃなくて、駆馬くんが、それで幸せなの? って聞いてるの!」
「……」
「私だけ幸せになるなんて、そんなの嫌だよ! 2人とも悔いの残らない未来を考えようよ! 2人で! 一緒に!」
「僕は……花恵さんが長生きしてくれる事が、一番の幸せだから」
「わ、私だって───」
「だから───」
「だからじゃなくて───」
「花恵さんっ!!」
「っ……」
やめて……その先は、もう、聞きたくない。
「別れよう」
◇◆◇◆◇
別れを告げられ、それから何日経ったか数えていない。彼と会えない日を数えたくなかった。
自室のキッチンで、ぼんやりと、パンが発酵してゆっくり膨らむのを眺める。
何も考えてはいけない。そう思っているのに、思い出してしまう。
このキッチンで、一緒にココアを飲んで時間を忘れてゆっくりしていた事も。
リュックを背負って出ていく度、行ってきますと行ってらっしゃいのやり取りを、まるで新婚夫婦のようだと感じていた事も。
一緒に食材を買いに行く度、駆馬くんの分のご飯を作ってあげたいと何度も思った事も。
一緒に学校に行く度、さりげなく車道側を歩いてくれた事や、自転車が来たら肩を寄せてくれた事も。
お洒落をした服に見蕩れてくれた事。その後、私を火事が起こる前に避難させて守ってくれた事も。
何度も。何度も。私が死ぬ夢を見て、私に気付かれないように動いて、笑顔で一緒に過ごしてくれた事。
思い出してしまう。
思ってしまう。
一緒に居たい。
◇◆◇◆◇
気付けば、夏休みが終わっていた。
明日は学校。宿題と荷物を入れようと、散らかった押し入れから鞄を久しぶりに出す。
すると、カピバラざえもんのストラップが。
また、思い出してしまう。これを拾ってくれた時から思い出が募っていった。同じ物を彼も買った。私の好きな物を好きになってくれて。私と一緒にいたくて。
……外そう。また落としても、もう彼は拾ってくれないから。
そうして、翌朝。一人で学校へ。
道に迷う以前までならパパの車で途中まで送ってもらっていた。今は、歩いていける。彼のお陰だ。彼と学校を帰るたび、思い出が募るたびに、景色を覚えられたから。
「おはよう!」
「おはよ」
「……おはよう、2人とも」
校門近くで、文実ちゃんと鈴子ちゃんに久しぶりに再会。でも、いつも元気な鈴子ちゃんは珍しくぎこちなく挨拶だ。
「あのさ……聞いたよ。別れたって」
「えっ、鈴子ちゃん知ってたの?」
「うん。石上くんから文実ちゃんに連絡があって、文実ちゃんから私に」
「……そっか」
文実ちゃんの方を見る。
「文実ちゃん。何か……聞いたの?」
「別れた、って事と、一言、お互いに嫌いになって別れた訳ではない、って石上くん言ってた」
「……そっか」
だから過剰に心配しないでほしい、そんなメッセージなのだろう。
「私がどうこう出来る事は無いけど……何かあったら助けになるからね」
「そうそう! また一緒に遊びに行こう!」
「文実ちゃん……鈴子ちゃん……うん。ありがとう」
そうして、私たち3人で教室へ。文実ちゃんの席で談笑しながら、私は決意する。私は、付き合えた事はすぐ周りに言えたのに、みんなが祝福してくれていたのに、別れた事はまだ誰にも言っていない。私から伝えないと、この2人みたいに心配させてしまう。
パパとバァバに、私から伝えなきゃ。
心配しないで、だけでは説明が足りない。バァバとは、パンの配達のバイトだってある。私の部屋で遊んでいても咎めないくらい、パパは個人的に彼を信頼している。
本当の事を、言わないと。
私の寿命のために、別れた事を。
「おーっす! 石上!」
その時。片桐くんの声が聞こえる。
駆馬くんが、教室に来た。私の視界の後ろの席へ。
「うわ、お前やべぇな!」
「どうしたんだよ! その目!」
「ちゃんと見えてるか? あ、大丈夫なのか」
他の男子が、駆馬くんの目の傷を心配している。夏祭りで、私を守ってくれた時のケガだ。包帯が取れたようだけど、その傷は一生残る。視力が落ちてはいないけれど、全然喜べない。
私のために。
私のせいで。
でも、見てはいけない。私たちは、別れたのだから。
今いる文実ちゃんの席も、私の席も、どちらも教室の前。わざわざ振り向かないと目が合わない。だから、耳を澄まして聞く事しか出来ない。
◇◆◇◆◇
そう、思っていたのに。
新学期になって、席替えする事になって。視力の弱い人が先に選んだのもあって、隣同士になる確率は高くなったと思っていたけど、まさか本当になるとは思わなかった。
駆馬くんと、隣同士になった。窓際の一番後ろに私。だから先生の方を見ようとしたら、視界の端に駆馬くんが見えてしまう。
……ほんの少しだけ、嬉しいという気持ちが残っているのを感じた。
「……」
「……」
やっぱり、雑談は無い。
チラリと見える机で、彼はペンを走らせている。その左手の甲には、あの時の傷跡が。綺麗だった皮膚が引っ掻かれてボロボロになっている。
痛かっただろうな。怖かっただろうな。
それでも、私を守って、優しく微笑んでくれた。
ごめんねと、ありがとうを、いっぱいいっぱい伝えたいのに……。
「天羽」
「は、はい!」
いけない、次は、私が読み上げる番。今は授業中。切り替えなきゃ。
「よし。次、石上」
「はい」
私が読み終えると、すぐに駆馬くんは続きを読み上げる。ちゃんと授業に集中しているんだ。えらいなぁ。
そういえば、今日は、まだ一度も眠っていない。私と会話しないように、敢えて勉強に集中しているのだろうか。無理して頑張っているように感じるのは私の思い過ごしだろうか。よく頑張ったねと言ってあげたいし、あんパンで頭を休憩させてあげたい。
「天羽」
「は、はい!」
また、やってしまった。慌てて立ち上がって、黒板に回答を書く。
戻る時、ふと見る。
見てしまった。
右目や、耳から鼻にかけて引っ掻き傷の跡がある。遠目からでも分かるくらい、その跡は皮膚の色が変わっている。
鮮明に記憶が蘇る。あの日、どんな場所にいって、笑顔で、腕をからめて、幸せだったかを。こんなになってまで、私を守ってくれたのかを。
なのに私は、あなたに何もしてあげられない。ありがとうも、ごめんねも、届けてはいけない。すぐ近くなのに、手を振る事も、抱きしめる事も出来ない。
「っ……」
……何だか、胃がムカムカする。不安な気持ちになりすぎたかもしれない。
冷えてきた。これは……ちょっと授業どころじゃない。
「あの、先生」
◇◆◇◆◇
保健室へ。保健の先生も気軽にベッドに寝かせてくれた。
休めたお陰で、頭がスッキリして、ムカムカは減った。完全に取れた訳ではないけれど、授業を受けながら治っていくはず。そう思って、私は保健室を出て、教室へ戻る。
「あ……れ?」
教室は、誰もいなかった。
あ、そうか。次は理科。理科室に行かないと。
もう既に他の教室で授業が始まっている時間帯に廊下を一人急ぐ。
「あ……れれ?」
理科室に着いたのに、誰もいない。
理科で間違いない。教室でも理科室でもないなら、どこに行けばいればいいんだろう。
分からなくなり、理科室の入口で立ち竦んでしまった。
「花……天羽さん……」
ふと。後ろから声が。振り返ると。
「はぁ……はぁ……」
駆馬くんが、そこにいた。息が乱れている。
「……駆馬くん」
別れてから、今日に至るまでで、初めて目が合った。目に傷があっても、相変わらず、優しい眼差しだ。
「理科……視聴覚室で、やるんだって、急に変わったから」
「そう、なんだね」
だから皆居なかった。そして、それを私が知らずにここに来る事に気付いて、もう授業が始まっている時間帯なのに、駆馬くんは来てくれた。
「視聴覚室、場所分かる?」
「………………頑張る」
「気持ちの問題じゃないと思う」
いつものやり取りに、懐かしさが出てきて。不意に私は笑ってしまった。
それを見て、駆馬くんも、仮面が取れたようにポロッと小さく笑う。
「行こ」
「うん」
2人で、手を握ろうと思えば握れる距離だけど、空けて並んで歩く。
「よく分かったね。私が、ここにいるって」
「天羽さんは真面目だから。保健室でちょっとでも体調が良くなれば、勉強を頑張ろうとするから。保健室に行ってみたら、やっぱりその通りだったよ」
もう、分かりきっているように、さらりと言ってくれた。
まず最初に保健室に行ってくれたようだ。だから息を切らしていたんだ。
「ありがとう……そこまで分かってくれて」
「分かるよ。ずっと……教室の後ろから、見てたから」
夏休み前、駆馬くんがそれほどに私を見ていた。
そんな駆馬くんだからこそ、私がどこにいるかを気付いてくれた。
また、守ってくれた。
「駆馬くん」
階段の踊り場。誰にも見られない。
ダメだと分かってても、私は嬉しくなって、駆馬くんの手を握る。
すると、駆馬くんは足を止めた。
「天羽さん。ごめん」
顔を背けて、絞り出すように、一言。
……空気が、冷たい。
そうだ、さっきから、私の事を天羽さんって、苗字で呼んでいる。何に対して謝っているのか言ってないけれど、伝わってしまう。そこまでのメッセージを伝えてくれたら、もう、嫌でも、分かってしまう。
これが、あなたの答え。
クラスメイトとしての関係性に戻ろうという事。
「分かったよ。ごめんね………い、石上くん」
私は、手を離した。
※脱字を修正しました。




