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花恵さんの寿命が見える  作者: せんたいしょう


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55/61

55話 なるべく悔いの残らない未来は

 26歳で出産して死ぬ。

 時間にして、10年しかない。

 どうすればいいのか、答えが出ないまま、目が開いてしまった。眠りすぎて体が重いし、喉が渇いた。

 それに、パンを焼かなければ。今日は予約が5件入っている。

 切り替えよう。ひとまず起きなきゃ。


───ガチャ


 と、部屋の扉を開けると、パンの焼けた香りが鼻を通った。

 1階のキッチンへ行くと、バァバが食パンを焼いていて、今まさに梱包している最中だった。


「おはよう」

「おはよう。バァバが、何で?」

「今日は5件予約があるだろ? 駆馬くんはケガしてしばらく来れないし、花恵は昨日から元気無いように見えて、ね」

「……そっか。ありがとう」

「何かあったんだろ。言ってごらん。聞くよ」


 バァバが椅子に腰掛けて、私の目をじっと見る。

 とっさに私は精一杯の元気な笑顔で返事をした。


「大丈夫。心配しないでいいよ」

「……そうかい」


 それだけ話して、私はキッチンを出て、御手洗いに向かう。

 大丈夫? そんな訳無い。

 でも、腰を悪くしているバァバにこれ以上の心配をさせたくない。自分よりもずっと若い孫が、あと10年で、26歳で死ぬなんて聞かされるのは、あまりに酷。

 ……駆馬くんも、こうやって隠してきたんだ。こんなにも心を削って笑顔にならなきゃいけないなんて……。

 人の幸せのために行動出来るって私を褒めてくれたけど、そっくりそのまま言ってあげたくなった。


「それじゃあ、行ってくるから」


 御手洗いを終えた私に、バァバはそう言って、梱包されたパンを運ぶリュックを背負って玄関へ向かっていた。


「えっ、まさか、バァバが届けに?」

「そ。お隣の金森さんに車を出してもらうよ。大丈夫、金森さんからね、いつも世話になってるから車くらい出すよってさ。駆馬くんが治るまで手伝ってくれるみたい」

「それは……ありがたいけど」

「いいのよ。だから、花恵は何も気にせず、駆馬くんの所に行ってあげなさい」

「…………ありがとう」


 顔を上げられない。バァバはきっと優しい笑顔だ。今、それを見ても、笑顔で返す事が出来ない。

 腰を痛めていても、私の心配を優先してくれる。そんな体になっても優しいバァバに、私はもう一歩だけ甘えたくなってしまった。


「ねぇバァバ」

「ん?」

「バァバは、長生きして、幸せ?」


 絞り出せた心の声。

 どうしても聞きたくなった。バァバはどんな事を考えて長く生きているのか、と。

 そんな突然で曖昧な質問でも、バァバはリュックを降ろしてくれた。


「何か、怖い夢でも見たのかい?」

「……ちょっと、ね。夢だけど、ね、ママみたいに若い時に、死んじゃうの」


 嘘ではないけれど、これ以上は言えない。


「そうかそうか……それはびっくりするよねぇ」


 ゆっくりと、キッチンの方に戻り、椅子に腰掛けて、一呼吸。

 視線で促された私も、椅子に座って対面する。


「少し……バァバの話をしようか」


 もう一呼吸の後、バァバは続けた。


「今から7年前、バァバが腰を悪くしたのを覚えてるね?」

「うん」


 覚えている。7年前。道路を歩いていたバァバは車に撥ねられて、腰骨を折ってしまった。その時から今に至るまで、長い間歩く事や、重い物を持つ事が、出来なくなってしまった。


「運良く、車椅子だとか寝たきりにはなっていない。けど、運悪く打ちどころが違っていれば、死んでいたかもしれない。でもね、だからこそバァバは気が付いた。今こうして元気に過ごせる事とか、花恵と一緒に居られる一日一日が、本当に尊いんだってね」


 バァバは、優しい眼差しで私を見つめた。


「花恵、いいかい? 人生何が起こるか分からない。どんな人でも、明日死ぬかもしれない。だから、今この瞬間を大切にしなさい。大切な人と一緒に過ごしなさい。なるべく悔いの残らない未来を選んでいれば、ふと振り返った時に長生きしてて幸せだなってそのうち言えるから」

「バァバ……」

「ほっほっほ! よしよし」


 私は、衝動に駆られて立ち上がって、バァバの膝に擦り寄る。バァバも抱きしめ返してくれた。その優しさが温もりになって、私の心に染み渡った。



◇◆◇◆◇



 私は、運良く駆馬くんが助けてくれたから、ここにいる。

 運が悪ければ、死んでいた。

 そんな私があと10年も生きられて、駆馬くんと結婚もできて、子どもを授かる事も出来るなんて……それはとっても尊い事なんだ。そんな人生でも決して悪くない選択なんだと、バァバの言葉で気付けた。

 ……そう、気付けたのに。

 綺麗に、素直に、それを選べない。どうしても、もっともっと贅沢を願ってしまう。10年だけじゃ、足りない。もっと一緒にいたい。誰一人欠けず一緒にいたいなって……やっぱりそんな未来が一番幸せだと思う。

 でも、分かっている。それは望んでも手の届かない未来。だから、その次になるべく悔いの残らない未来は……子どもを諦めてでも駆馬くんと一緒にいる未来。でも、それだと、子どもを諦めるって事を駆馬くんはどう思うのだろう……。


「あれ? 花恵ちゃん?」


 ふと呼ばれた方を見ると、私の目の前に、梅次さんがいた。


「やっぱり花恵ちゃんだ! 今日はどうしたの?」

「あ……はは、迷っちゃって」


 駆馬くんの家に行こうと思って歩いてたら、考え事が多くて下を向いて歩いていて、梅次さんの家の方向に来たようだ。方向音痴だな、私って。


「迷っちゃうなんて、相変わらずだね。どこ行くの?」

「駆馬くんの家です」

「あっ、お見舞い? ケガしたんだよね……早く良くなるといいね」

「そうですね。……梅次さんは?」

「私? ちょっとお買い物と、お散歩もね。ちょっとでも痩せないと産む時に困るよ〜ってお医者さんに怒られちゃったから」


 そう言って明るく笑う。

 体重を気にするくらいに、以前よりも食べる事が出来ているようで、私もつられて嬉しくなった。


「そうだ、良かったらうちにおいで。水まんじゅう沢山あるの。食べてって」

「えっ、いいんですか?」

「いいよ〜。むしろ食べてほしい。間違えていっぱい買いすぎちゃってね」

「あらら……じゃあ、お言葉に甘えます!」

「うん! 行こ行こ!」


 2人で歩く。

 水まんじゅうは好きだし、それに、駆馬くんへのお土産に貰っていけたらと思った。だから、ちょっとだけ寄り道してもいいよね、駆馬くん。


「それにしても、花恵ちゃんに会えて良かったよ」

「私もですよ。梅次さんの元気な顔が見れて嬉しいです」

「うん! 本当に、花恵ちゃんのお陰だよ。お腹の子も順調だし」


 お腹に手を添える。

 そう。おめでたの時から、よく聞いている。梅次さんは、文字通り本当に命懸けで赤ちゃんを守ってきた。


「花恵ちゃん?」

「えっ、何です?」

「何だか真剣に、ずっと私のお腹を見てたから」

「あっ、その……ちょっと気になって。梅次さんは、どうして大変な思いをしてでも子どもが欲しいって思ったのかなぁ、って」


 赤ちゃんを授かる決意が気になり、梅次さんに聞いてみた。


「どうしてって……んー……私が赤ちゃんを可愛がりたいって思ったのもあるけど、それだけじゃないかな。旦那が、欲しいって言ってね。だから、かな。あの人、もうベビー服とか買っちゃってるの。気が早いよね」

「それだけ楽しみなんですね」

「うん。だから……よく思うの。私一人で産むんじゃないし、私一人で育てるんじゃないって。旦那も一緒に頑張ってくれるし、喜んでくれるから。旦那だけじゃなくて、お父さんもお母さんも、旦那のお父さんお母さんも、親戚の人たちも、みんなが祝福してくれる。喜んでくれる。新しい家族として受け入れてくれる。だから、産んでみたいなって思えたの」


 梅次さんは、照れて笑いながら、はにかんでくれた。


「そのうち分かるよ、花恵ちゃんも」

「そ、そうですか……?」

「そうだよ。彼氏さん、素敵な人だもんね」

「……はい。本当に」


 私も駆馬くんも、まだ高校生で、まだ結婚もしていないのに。そんな未来が鮮明に描けるから、本当に不思議だ。



◇◆◇◆◇



 駆馬くんは、ずっと秘密にしておきたかったのに、寿命の事を打ち明けてくれた。それは、それだけ私と私たちの子どもの事を大切に思っているから。

 ……もしも。

 あんまり考えたくないけれど。

 私が出産して、死んでしまっても。

 駆馬くんは、ちゃんと育ててくれる。

 ちゃんと育てていきたいと思って、駆馬くんは決意するんだと思う。

 まだ結婚もしていないのに、そんな安心感があるのは、未来の私がそう思えたからだろう。だからこの人との子どもを授かろうと思えたんだと、今なら気付ける。

 結婚する未来の私……きっと幸せなんだろうなと、今だから気付けた。


「駆馬くん……」


 頭の中の整理がつくのと同じタイミングで、駆馬くんの家に到着。手にはお土産の水まんじゅう入りの箱の入ったビニール袋を持って。

 寿命を教えてくれた駆馬くんに、返事しなきゃ。

 私は、10年後の未来で、駆馬くんと結婚する。子どもは、駆馬くんとの間には授からない。それでも欲しくなったら………………養子を迎え入れる。今思いついたけど名案だと思う。

 それが、なるべく悔いの残らない未来。

 私たち2人の、幸せな選択。


 そう、意を決して、私はインターホンを押した。






















「別れよう」


 ベッドの上で座る駆馬くんが、部屋に入った私に開口一番で伝えたその言葉に、私の頭の中は真っ白になってしまった。

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