53話 未来があなた色に染まるのが嬉しくて。
信号機が重く鈍く爆ぜた。当初は、何が起こったのか分からなくて、頭がぐわんぐわんだった。ただ、無我夢中で駆馬くんの胸の中で縮こまる事しか出来なくて、怖さで震える手で力いっぱい駆馬くんの服を掴む事しか出来なかった。
そんな時に……。
「…大丈夫。もう大丈夫」
駆馬くんが頭を撫でてくれた。
そして、不思議だった。どうしてこの人は、こんな状況でも冷静でいられて、こんなに優しくしてくれるのだろうかと。疑問が浮かんだけど言葉にする余裕は無い、そんな時。
「天羽さん。抱っこしてくよ。しっかり掴まって」
いわゆるお姫様抱っこをしてくれた。ふらつく事なく持ってくれて、意外と力があるんだと思った。落ちないように抱き着いて触れていた私の手や頬から、駆馬くんの脈打つ心臓の音が聞こえて、そして温かくて。私の心臓も、同じリズムに落ち着くようになって。ああ、私生きてるんだって、安心したんだよ。
それと同時に……いつの間にか、厚く引き締まった体を服の上から感じ取ろうとしていて、こんな状況で私は何を考えているんだとセルフでツッコミを入れた。でも、そんな事が出来るくらいには余裕が持てて、気付けば震えは治まっていた。
「天羽さん。大丈夫だよ。頑張ったね」
そうしている間に安全そうな民家に着いて、私を降ろしてくれた。
ああ。もうこれで終わってしまうのか。この体も、体温も。
寂しさを感じた私は、迷惑だと分かっていながら、もう少しだけと思って、手を離すどころか更に強くぎゅうううっと抱き締めてしまった。
その頃からだろう。私は、そんな駆馬くんを……自分勝手ながら欲しくなってしまった。心臓の音、引き締まった体、熱い体温を、もっともっと……素肌と素肌で感じ取りたいなんて、いつもなら考えないおかしな事を思ってしまった。だけど、そんな事をいきなりお願いするのは流石に困らせてしまうし嫌われると分かっていたから、気持ちに蓋をするようにした。
そんな事よりも。
まずやるべき事は、信号機から私を助けてくれたお礼をする事。そこだけに集中するようにして、あの現場から無事に帰れた私は、その時の一番の自信作の一口アップルパイを張り切って作った。
それを駆馬くんに食べてもらった時の事は今も鮮明に覚えている。
「これ、むっっちゃ美味しいよ」
そう言って駆馬くんは、とろけるような笑顔になって、何度も頷いて味わっていた。それがすごく可愛くて……私は胸の鼓動が高鳴った。もっと、この人に、お腹いっぱい食べさせてみたいと思って。
そう思ったすぐ後、駆馬くんは何だか難しい事を考えて元気が無くなってるようにも見えて、ならば元気になってもらいたい。そう、母性とも言うような感情が湧いた。
そんな事を思っていると。
「また……一緒に……帰ろ?」
すごく嬉しい事を言ってもらえた。中々合わせてくれない目を合わせて、頬を紅潮させて、言ってくれた。
ああ、私は何て幸せなんだろうか。頼りがいがあって、力持ちで、優しくて、笑顔が可愛くて、口数が少ないけどここぞと言う時には決めてくれる、そんな素敵な男の子と、これから先も仲良くしていけるんだ。そんな想いで胸がいっぱいになった。
◇◆◇◆◇
その後も、駆馬くんはさりげなく助けてくれた。危ない事が起きる事を一切感じさせずに。
「相合傘……して下さい」
片桐くんと文実ちゃんも含めた4人で帰る時に雨が降ってきた時、顔を真っ赤に染めて私に相合傘を誘ってくれた。
私は恥ずかしくて目を見れなくなって、お話も全然出来なくなって。ただ、傘を持つ手から、やっぱり温かいなって感じて。素肌と素肌が触れ合っていて。短かったけどすごく嬉しい時間だった。
カップルみたいって独り言を、最初はついポロッと声に出た。駆馬くんは、雨の音が強くて聞き取れていなくて。もう一回聞きたい駆馬くんのために、私はなるべく大きな声で言ってみたけど、丁度そのタイミングで濡れた路面を走る車のバシャバシャ音で聞き取れなくて。そしたら、駆馬くんが今度こそ聞き取れるように顔を向けて私の口の形を見ながら聞き取ろうとしてきた。流石にそこまでしてくれたら伝わる。でも、恥ずかしさで私の心臓のドキドキが強くなって、3回目は言えなかった。……というか、2回も言ったから気付いてよと、自分勝手に怒ってしまったのを鮮明に覚えている。
◇◆◇◆◇
駆馬くんは、私のパン屋の配達がしたいとも言ってくれた。きっとそれも、配達中に起こる何かから私を守るためなんだと今なら思うけど、その時はそんな事じゃない、むしろ拒絶する事を考えていた。
実は、バァバがお茶を用意しているのを見て、その相手が駆馬くんだったから私は聞き耳を立てていた。
過去にも文実ちゃんや鈴子ちゃん、他にもたくさんの友達から、私を心配して提案してくれたけど、私としては、この手の話は一切断ってきた。皆、口を揃えて、大変でしょ? なんて言うんだけど、私は、このパン作りを苦に思っていないから。
最初は私が小さい頃、ママが残してくれたレシピ通りに作るのが楽しくてパン作りを始めた。小6くらいだと、もうレシピは全部覚えて、パパが喜ぶように、好みに合わせてアレンジを楽しんでいた。
「ママのパンみたいだ」
その一言が嬉しくて。
そうしてアレンジを重ねたパンを食べてみたい人が、バァバの友達繋がりでどんどん広まった。こんなにたくさんの人が喜ぶなら、将来の夢にしちゃおうかなって思って、パン屋さんを目指していった。
そうして多くの人のためにアレンジをしてる時に、いつも考えている事がある。
ママなら、この味は好みかな……。
ママなら、もっと上手に作るかな……。
ママなら、この仕上がりを褒めてくれるかな……。
なんて、もう死んじゃってるママとの会話をしているようで。その瞬間だけ、私は私のためにパン作りをしていた。
だから、私とママとの時間を取らないで欲しい。そう思って、その日も駆馬くんをどう断ろうか考えていた。
「僕は、天羽さんの笑顔をもっと見たい。だから、支えたいです」
はっきりと聞こえた時、私は考える事が止まった。
バイトの募集を何も出していないのに。もしかしたらお給料が低いかもしれないのに。駆馬くんは、自分の損得よりも、私の笑顔のために行動してくれている。
そうだった。私は、多くの人の笑顔のためにパンを……パパやバァバの笑顔のためにも作っている。身の回りの大事な人の笑顔のために尽くしている。レシピを残してくれたママが私の笑顔のためにそうしてきたように、私もそうしてきた。それを、駆馬くんもしてくれている。
ふと、景色が浮かんだ。
キッチンに……私がいて、ママがいて、パパとバァバがいて、駆馬くんもいて、皆でパンを食べる景色が。
そこからだった。私とママだけの秘密の会話に、駆馬くんもいたらもっと楽しいだろうなって思えたのは。
「天羽さんの笑顔を、もっと沢山見たい。だから、手伝わせて」
「……………………うん。ありがとう」
誰かに見せるためじゃない笑顔が不意に出た。変な口の形なんだろうと恥ずかしくなって、私は口元を手で覆った。
でも。そんな下手っぴな笑顔でも。
駆馬くんになら、見せていいんだと思えて。
駆馬くんとなら、もっと笑顔になっていける。そんな未来の景色が簡単に浮かんでくるから。
未来があなた色に染まるのが嬉しくて。
私は頷いたんだよ。




