47話 ずっと手を繋いでたい
やばい。ついさっきした純白な妄想を思い出した。もう見慣れてるはずの可愛い顔を見られない。見ると恥ずかしさが込み上げて顔が熱くなってくる。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫」
「そっか……良かった」
しかし、その話し声の小ささから、ふと気付いた。いつも真っ直ぐに整っている栗色の長い髪の毛先が乱れている。目元は赤く腫れている。昨日たくさん泣いて、声を張れないほど疲弊しているのだろう事は容易に想像がついた。
「……」
「……」
僕らは、見つめあった。どんな言葉よりも、その目を見る方が何倍も、お互いの身を案じられるから。
その目は、僕の右目の辺りを向いている。ぐるぐる巻きの包帯を見て、言葉を失っているのだろう。
だから僕は、今出来うる最大限の笑顔で、元気である事を目で伝える。
しかし、花恵さんの表情は晴れない。じっと、僕の顔や両手を見て……俯いてしまった。
「ごめんね、昨日のを思い出しちゃった。守ってくれて嬉しかったけど……やっぱり、駆馬くんが傷付くのは嫌だよ」
花恵さんが、俯いたまま呟く。
僕にとっては生きていられて良かったと満足する現状でも、花恵さんは違うようだ。確かに、今でも左手は常に激痛、左手ほどじゃないが他の部分も痛い。こんなに痛々しい思いをしてほしくない、花恵さんはそう言いたいんだ。
思えば、お付き合いすると夢で知って浮かれ過ぎていたから、こんな失態に繋がったんだ。あくまでも、夢は花恵さんの死ぬ瞬間を見られて、そんな未来から守るためにある。そんな危険な情報がほとんどを占めている。ほんの少しの幸せな未来に浮かれて同じ未来を辿ったから、今現在の痛みに繋がってしまったんだ。
いつの間にか妥協していた。死なせなくて良し、ではない。死なせず、笑顔を守ってこそ、僕は本当に幸せに出来るんだ。
「花恵さん。そんなに考えさせちゃって、ごめんね」
「ごめんだなんて、駆馬くんは何も悪くないよ! 私が、気にし過ぎただけだから」
ごめん、ではないか。じゃあ、ここで伝えるべき安心する事は何だろう……。
「あっ、ごめんね急に。こんな話をしたい訳じゃなくてね、早く治ってほしいって思って、こんなの作ってきたの」
そう言って、花恵さんは透明のタッパーを見せてきた。その中には、色とりどりの一口サイズの丸い物が入っている。
「ドーナツ作ってみたよ! 玄米とお豆腐で作ったから栄養満点でふわふわだよ! 味付けは5種類あってね、チョコ、抹茶、黒ごま、かぼちゃ、オレンジ! 良かったら食べて!」
「す、すごいね。どれも美味しそう。こんなすごいのを作ってくれたんだね」
「そうだよ! だから、ちょっと来るのが遅れちゃった。えへへ」
一日で。昨日の今日だし、相当寝不足なのに。僕に、治って欲しい一心で。
まだ食べてないのに、もう心が温かさで満たされた。
「ありがとう。じゃあ、頂きます」
「あ、待って」
まだ動かせる右手で爪楊枝を取ろうとすると、花恵さんがそれを取った。まさか……
「取りづらいでしょ。食べさせてあげるね。はい」
「!?」
いわゆる、恋人同士でやる、あーんというアレだ。僕らは恋人なんだし、やっても不自然ではないのだが、花恵さんがにっこりと優しい笑顔で、治ってほしいという真心を込めた手作りの物をくれるのだから、嬉しさと恥ずかしさが限界突破して僕の心臓がドッキンドッキンバックンバックンしている。治るどころか逆に召されそうだ。
「じゃあ……頂きます」
───ほふ
何だ、この口当たりの柔らかさは。歯で噛むより前に、唇で噛めてしまった。ほろほろに崩れるけど、パサついていない。水を挟まなくても飲みこめる。
それに何より、美味しい。玄米の優しい甘さと、チョコレート味の渋い甘さが、絶妙なバランスだ。何度も噛んで味わいたいと思える。
「めっちゃ美味しいよ」
「本当!? 良かった!」
「うん。玄米の甘さと、チョコの苦味が、良い感じだよ」
「うんうん、そうなの! そこのバランスを頑張ってみたの! ふふふ!」
そう言って、花恵さんは頬をほころばせて笑う。
しかし、次第に息を吐ききるような笑いになる。無理して笑顔になろうとしているように見えた。
「花恵さん」
「何? もう一個?」
「そうじゃなくて……花恵さん、眠れてないでしょ?」
「……寝れた、よ?」
「どれくらい?」
「………言わなきゃダメ?」
「……ううん、ダメじゃないよ」
聞きすぎてはいけないようだ。これ以上僕に心配させてしまうからだろう。話題を逸らすか。
「花恵さんは、お腹空いてる?」
「え? お腹は……ちょっとだけ」
「じゃあ、ドーナツ一緒に食べようよ」
「いいの?」
「うん。めっちゃ美味しいから元気が出るよ」
「っ、えへへ。うん、それじゃあ頂こうかな」
「あ、待って」
花恵さんが爪楊枝を取ったタイミングで、僕は言う。そして、まだ動かせる右手でそれを取る。
「はい、あーん」
「ええっ!?」
恋人同士でやる、あーんというアレを、恋人なんだから僕からやっても不自然ではない。それに、こうして食べた方が元気が湧いてくるから。むしろ、こうしてあげたい。
「……頂きます」
───ほふ
抹茶味と思われる緑色のドーナツを一つ頬張る。花恵さんは目を閉じ、何度も噛みしめて味わっている。そして、飲み込み、ほぅっとひと息ついた。
「ありがとう」
目をゆっくり開け、僕を見ながら、続けた。
「……ちょっと、聞いてくれる?」
ドーナツだけではない、他の事も含めて、何か言いたげの花恵さんに、僕は頷く。
「昨日から、今日も、ずっとね、嫌な想像ばかりしちゃっててね。……死んじゃったらって。こんな何気ない幸せが急に終わっちゃったらって。だから、そんなの嫌、死んじゃ嫌だって……思いながら、早く治るようにドーナツ作りながら自分を励ましてた。さっき食べた時、ふっと緊張が抜けちゃったの」
花恵さんが、思いの丈を打ち明けてくれた。よほど通り魔が怖かったようだ。
「嫌だよね。怖かったね。急に、あんな事が───」
「ううん、私じゃなくて、駆馬くん」
「え?」
「駆馬くんが死んじゃ嫌だって思ったの」
違った。花恵さんは、僕が死ぬかもしれないと感じていたらしい。
「運良くそうなってないけど、どこか違う所を刺されていたら……駆馬くんと今日会えない事になっていたかもしれない。もう、私のパンを食べてくれなくなる。笑った顔を見られなくなる。ぎゅって出来なくなる。……やだよ……やだ……」
最後の方は、声が震えていた。
もう、これ以上を言わせたくない。そう思った僕は、花恵さんの言葉を遮るように、言った。
「死なないよっ……死んだら……他に誰が守るんだ」
「……え?」
「あ」
しまった。心の独り言が出てしまった。寿命が見える事に勘づかれてしまう……か?
……と、身構えていると、花恵さんがぷっと笑った。
「駆馬くんだけだよ」
「へ?」
「なんだか不思議とね、駆馬くんが手を引いてくれてるとね……安全な所に連れてってくれているような、キリッと真剣な目になっててさ、守ってくれてるんだなって、すごく落ち着くの。だから、ずっと手を繋いでたい。傍にいたい。ずっと、ずーっと……ふふっ、2人で長生きして、おじいちゃんおばあちゃんになるまで繋いで、パンを食べさせあいっこしながら笑いあって……そんな風に過ごせたら、とっても嬉しいなって思うよ」
「花恵さん……」
花恵さんは小さく笑う。しかし僕は、笑わない。
おじいちゃんおばあちゃんになるまで。それほど遠い未来まで一緒に手を繋いでいたいという事。どちらが欠けてもいけない。花恵さんは、2人の未来を描いている。
僕は今まで、描いていた理想の未来に、花恵さん1人を想うばかりだった。カメラで撮影するように。その写真の中に僕自身が含まれていなかった。
今まさに、僕の中で、理想の描き方が変わっていく。
死なないで欲しい。
ケガしないで欲しい。
手を繋いで欲しい。
笑顔でいて欲しい。
互いにそう思える、温かくて心地良い関係性。その行く末に、10年後、その先も、僕が望む未来は───
「僕も、ずっと手を繋いでたい。ずっと……高校を卒業してからも。10年後も……その先も」
「……本当?」
「うん」
「……」
しん、と静かになる。時計の秒針と、心臓の音しか聞こえない。
僕らは見つめ合う。恥ずかしくて逸らしたいけれど、それでも僕は花恵さんが嬉しいと目で言うのを、しっかりと受け止める。
その花恵さんのうっとりと嬉しさが込み上がる目は、僕の方へと近付く。包帯ぐるぐる巻きの僕の右手に触れる直前で止まり、手を引いた。
「治るまで、我慢だけど」
「そう、だね。じゃあ、手の代わりに───」
花恵さんが、右側の長い髪を掬って右耳にかける。
耳と首筋が顕になる。
僕の顔に近くなって───これはと思った時には、唇と唇が触れ合い、僕と花恵さんは繋がった。
初めて、花恵さんの方から。
ほんの一瞬だけのキスは、時間が止まったように思えた。
「えっへへ〜。もらっちゃった」
頬を紅く染めた花恵さんが、まるでイタズラを成功させたかのように無邪気に笑う。
僕の、さっきまで止まった時間が一気に動き出したように、顔に熱が込み上げる。
「ん? ……駆馬くんって、チョコ味なんだね」
「そりゃその味がするけど…………すんごい笑顔だね。美味しかった?」
「ふふふ。うん、すっごく甘い」
「……え? おかしいね、苦味が消えちゃったかな」
「かな。不思議だね。ふふふ」
「……花恵さんも、すっごく甘い抹茶味だったよ」
「ふふふ。何でだろ。甘く作ってないよ?」
「え、そうなの? 不思議だね」
「だね。…………ねぇ、駆馬くん」
「うん?」
「もう一口、欲しいな」
「……」
「ダメ?」
「ダメじゃ……ないけど」
「じゃあ何で目逸らすの」
「……一口で足りないと思って、恥ずかしくなって」
「駆馬くんは、そんなに欲しいの?」
「……………………」
もうバレてて意味が無いと分かっていながら、何か良い言い回しで誤魔化せないかと熱い頭をフル回転させている、そんな時。花恵さんが、僕の方を見て楽しそうに口角をニヤリと上げて笑いながら、少しずつ顔を近くに寄せてきていた。
もう目の前に差し掛かった時、スンっと抹茶の渋い香りが鼻をくすぐり、僕はそれ以上考える事を止めた。
「花恵さん……」
「駆馬くん……」
そうして僕は、意外とイタズラ好きな彼女と、一口ではない回数で、お互いの体温を確かめ合った。




