41話 初めて
今。
確かに、天羽さんは、宜しくお願いしますと言った。
告白を、OKしてもらえた。
つまり、僕らは、友達よりも近しくて、特別な関係に。笑顔を一番近くで見られる関係に。
恋人に、なった。
……やばい。心臓の拍動が、バックンバックンと、全身を揺らすくらいに強まっている。
「石上くん? ふらふらしてるよ!」
「だ、大丈夫。ドキドキがすごいだけ」
「そっか……うん、私もなんだ」
そう言う天羽さんも心臓バクバクらしいけど、僕自身が揺れ過ぎて、触れ合っている手からは感じられない。
このまま立ち続けてはいけない。歩かないと。
「どこか、座って休める所に行こう」
「そうだね」
そう言って僕たちは、何となく天羽さんの家の方面へ歩く。元々、家まで送るために歩いていたから自然な流れだ。
そして、自然な流れで、僕も天羽さんも互いに望んで手を繋げていたくて、2人して何も言わずとも指をからめて手をぴったりと繋いで歩く。
……幸せだ。
「ふふふ」
「どうしたの?」
「……こうしてるだけで、幸せ。石上くんに触れていて……いつでも顔が見れる。ずっと、こうしていたいなって思ってた」
天羽さんが、僕を見て、嬉しそうな笑顔でそんな嬉しい事を言ってくれた。
「……僕もだよ」
そう返事するものの、何か耐えられず目を逸らす。しかし、繋いでいる手を、きゅっと握る。すると、天羽さんも同じように握り返す。互いに、優しく握り合う。そんな手の平のやり取りで、嬉しい気持ちを確かめ合う。
……幸せだ。
「……さっきの、ね。私も、同じ事思ってたよ。石上くんは私の幸せのために……私の笑顔が見たいからって、たくさん頑張ってくれる。近くにいるとすごい落ち着く。だから、もっともっと、近く、くっ付いていたいなって…………………だから、いいよね」
いいよね、と言って、天羽さんは、僕の右腕を抱き締める。
……強く、まばたきして何度も確認した。間違いない。抱き締められている。抱き着かれている。
落ち着け。転ばないように、このまましっかり歩かないと。歩き方を忘れてしまう所だった。
「あ……も……さん」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど……腕に、当たって……」
「うん。そうだよ」
さっきから主語が無く、何がとは言ってないのに会話が成立している。右腕の柔らかい感触が僕の意識を持っていく。果たして、天羽さんはどこまで意図してその素敵な部分をくっつけてくれているのか? ……いや、論点はそこじゃない。
何ていうか、天羽さんが積極的というか、行動力あるというか、甘えん坊というか……恋人になるってこういう事なんだと、身を持ってリアルに感じた。
「えへ。慌ててる〜」
「そ、そりゃあね。びっくりするよ」
「嫌なら離していいんだよ?」
「……嫌じゃない。嬉しい」
「っ……良かった。ふふふ」
「ちょ、天羽さん」
「なぁに?」
「また更に強くなってるんだけど」
「そうだよ。どう?」
「あ……そろそろ、ちょっと、誰かに見られたら、その」
「……うん、そうだね」
そう言って、天羽さんは少し離れ、先程と同様に指をからめて手を繋いで歩くように戻った。
「ごめんね、石上くんの気持ちもあるよね」
「……うん。ありがとう」
「ううん。私、石上くんの喜ぶ顔とか仕草が見たくて……だからその、困らせる事はしたくないからね。ごめんね」
ちゃんと、分かってくれている。イタズラとの線引きがちゃんとしている。
「だから、人目につかない所なら、いいよね?」
「…………へ?」
ちゃんとして……いる?
◆◇◆◇◆
「…………」
心の準備をしている途中だけど、一向に思考が整わない。心臓が鳴りっぱなし。通い慣れたはずの天羽さんの家の、天羽さんの部屋に、僕は正座している。
麦茶のボトルとコップを持ってきた天羽さんが、テーブルに置いてすぐ、今度は僕の左腕に抱き着いてくれた。今は座っているから、天羽さんの髪が僕の頬に当たるくらいに近い訳で、ラベンダーの香りが僕を包み込んでくれている。
「あのね。下に、バァバがいるから。小声で話そ」
「う、うん、分かった」
「石上くん」
「ななな何?」
「私ね、こうしてくっ付くのもやってみたかったんだけど、まだ他にもあるの」
部屋で2人きりで、天羽さんが柔らかい素敵な部分を当てて……後ろにはベッド……まさか……いや、それは早すぎる。
「石上くんじゃなくて、駆馬くんって呼びたい」
「……え?」
違った。いや、何てすっ飛ばした事を考えているんだ僕は。天羽さんの好意に失礼でしかない。
「かっこいい名前だなぁ、って思ってた。けど、仲良くなって、どんなタイミングで言えばいいか分からなくてね。恋人になれた今かな? って」
「……うん。良いと思う。呼んでみる?」
「うん! ……………駆馬……くん」
ドキン。心臓がまた更に跳ね上がる。
左腕を抱かれ、少し寄りかかられたまま、超至近距離で、頑張って目を逸らさず合わせ続けて、ささやく声量で、ぎこちなさと恥ずかしさの混じった発音で、僕の名前を呼んでくれた。
夢の中で、何度も聞いたその言葉だけど、あれは普通の会話の流れでスムーズに言っている感じだ。今のは、別。格別。一文字一文字のイントネーションが合ってるのか心配しながら、恥ずかしさもあって小さい声量で……目線は僕の方を見たり下を見たりと忙しなくて……抱き着いている腕に、ほんの少し抱き着きが強くなって……。
それでも、天羽さんは呼んでくれた。大きく勇気を出してくれた。
嗚呼……僕は、ここで心臓が爆発しても一片の悔い無しと言い切れる。
極上に幸せだ。
「……ふふ、顔に出てるよ?」
「そりゃ出ちゃうって。嬉しくて」
「ん。そう思ってくれて、私も嬉しいよ。駆馬くん」
そう言って、天羽さんは僕の左腕を抱き締め……
「駆馬くん……駆馬くん……」
ぽつりと、独り言を呟くように。僕の腕に、肩に、顔を埋めて。
居心地が良いと思ってくれていて、僕も居心地が良くなって。
もっと、愛おしくなって───
「……駆馬くん?」
僕は、その栗色の髪のなめらかさを確かめるように、頭を撫で、この言葉が言いたくて仕方ない感覚になって。
「花恵さん」
「っ」
この時。初めて、花恵さんの笑顔を見たい気持ちよりも、僕自身が満たされたい気持ちが、大きくなった。
自分じゃないみたいで、迷惑にならないかな……そんな不安もあるけど、でも、こういった事が、まだ見たことの無い花恵さんの笑顔が見られるとしたら……
「……駆馬くん」
「っ!」
花恵さんの抱き締めが深くなった。声から、花恵さんと呼ばれて嬉しいと思っている声色になった。しかし、その笑顔は、前髪で隠れている……いや、敢えて隠している。隠すために深く抱き締めている。
天羽さんは、嬉しい気持ちが大きくなると、顔を隠すらしい。初めての仕草だ。
可愛い。また新しく可愛い一面を見られた。
もっと、見せてほしい。
「花恵さん……」
「か、駆馬くん!?」
今度は、その栗色の長い髪を、掬い、嗅ぐ。ああ、最高に良い香りのラベンダー。
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
「良い香りだね」
「え、ちょ、汗とか!」
「ううん、全然気にならない。本当に、良い香り」
「あ、うん、ありがと。……そんなに、嗅いでみたかったの?」
「うん。ずっと前から。初めてアップルパイを食べた時から」
そう、初めて一口アップルパイを食べたあの車の中、ラベンダーの香りを堪能して、そう思っていた。夢が一つ叶った。
「……そっか。なら、好きなだけ嗅いでいいよ」
「いいの?」
「うん。駆馬くんだけ。特別だよ」
僕だけ、特別。分かっているのに、花恵さんの口からそう言われたのが嬉しすぎて、にやけてしまった。それを隠すように、髪に顔を埋める。ああ、髪質も、ふわふわで柔らかい。
「駆馬くん。はむっ」
「っ、花恵さん!?」
花恵さんが、僕の首筋に噛み付いた。全く痛くない甘噛みというやつだけど、思わぬ行動にびっくりしてしまう。
「えへへ。駆馬くんばっかり、ずるいよ。私も、やってみたい事あるんだから」
「こ、これを?」
「うん。駆馬くん、私より背が高いし、筋肉しっかりしてるから、はむはむしてみたかったの」
「……そ、そうなんだ」
何だろう、女子って鎖骨に惹かれるって聞くけど、そういう筋肉質な所に興味があるんだね。実際にされるまで全然分からなかった。
……多分、花恵さんが髪を嗅がれてびっくりしたのも、こんな感覚だろうな。
でも、僕自身、肯定されて、受け入れられて、求められて、嬉しい気持ちになっている。
「……好きなだけ、噛んでいいよ」
「えっ!? やった! じゃあ遠慮なく……はむはむはむはむ」
「え、ま、くすぐったい! はは! ま!」
甘すぎる噛み方で、くすぐったい。でも、下にお祖母様がいるから大声は出せないし、好きなだけやっていいと言った矢先で引き離す事は出来ない。
かくなる上は。
「花恵さん!」
「ん? んー! んー!」
花恵さんの首筋を、僕もくすぐって反撃する事にした。
すると、花恵さんが悶えた事で、甘噛みしていた口が離れた。計算通り。
「はむっ!」
「ちょっ!?」
花恵さんめ、くすぐられながらも、また噛み付いてきた。そこまで抵抗するなら、僕もやらざるを得ない。だから、首だけじゃなく……
「ひぁ!? そこ、あは、はは、はひ!」
花恵さんの脇をくすぐるしかないだろう。
すると、ようやく、花恵さんは力を緩め、どうにか甘噛みを止めてくれた。
「は……は……」
「はー……はー……」
の、だが。
計算外な事になった。
2人して息を乱すほど暴れた事で、僕が花恵さんに上から覆いかぶさる形で、絨毯の上に寝転がってしまった。
「ごめん、重いよね」
「駆馬くん……」
「花恵さん?」
離れようとする僕を、花恵さんは抱き留める。少しでも苦しくならないようにと、僕は何とか横になる。
すると、花恵さんの顔がすぐ近くに見える形になって……僕は目を見開いた。
花恵さんの瞳が、潤んでとろんとしている。目尻が、雪が溶けるように優しく垂れ下がっている。頬が、のぼせているように紅く火照っている。額が、冷房が効いているのに汗ばみ、前髪が湯上りのように濡れている。息が絶え絶えで、ぼんやりと僕を見ているようで。でも、楽しい事を目いっぱいやりきったと言わんばかりに微笑んでいて。
初めて見る。
心臓の高鳴りが最高潮で全身が熱くなり、直感的に、僕にしか見せないと何故か分かってしまった。これは、好きな男にしか見せない、女の顔……なのだと。
「……」
「……」
このシチュエーションに、ふと思い出す。少し前の事だった。同じこの部屋で。花恵さんが目を閉じて、艶やかな唇を少し上に向けて止まっていて。……その時から待たせていた、花恵さんが僕にしてほしい事が何なのか。
今度は、僕が、返事をする番だ。
頭を撫でていたその右手を降ろし、頭の後ろへ。栗色の長い髪を優しく包むように添える。薄目になりつつもその唇を見つめながら……
僕らは唇を重ねた。
触れているのは、唇の先のほんの数ミリ単位。僕も、花恵さんも、呼吸は止めている。だからだろうか、重ねる寸前くらいから、僕は緊張しすぎて、震えが抑えられないでいる。かっこ悪いなと、恥ずかしいなと、離れないとと、色々と考えたんだけど───
花恵さんが僕の頬に手を添えてくれた。ありのままで大丈夫と言ってくれているようで、不思議と震えが和らいだ。
優柔不断でかっこ悪い僕でも、好きになって、受け入れてくれて。心の底から温かく包まれているようで。身に余る幸せを貰ってるようで。
キスって、こんなにすごい幸せになれるんだ。
「ふ……ふ……」
「はぁ……はぁ……」
お互いに、息を止めていた限界が来て、離れてしまった。
……もう少しだけ続けたい。
心の赴くままに、僕は重ねる。
次は、鼻で小さく息をしながら。
花恵さんは少し驚いたようだけど、僕の思っている事を分かってくれたのか、花恵さんも息をしながら受け入れてくれた。
優柔不断で行動の遅い僕だけど。
何とか治さないとと思っていたけれど。
そんな僕を、花恵さんは好きになってくれた。
そのままでいい。ありのままで良い。そんな言葉を口にしなくても、口を重ねる事で充分すぎるほど感じて、初めて、そこまで悪く思わなくていいんだと、自分自身を許せるようになれた。




