35話 だから僕は、運命に抗う
それから、学校。
今朝の事をひとまず頭の片隅に置いて、数学の授業を受ける。何とか頭をひねって聞いている中、眠気が。……別に、我慢できる程度。でも……敢えて瞼を閉じる。
これはチャンス。そう思いながら、爪を額へ。
僕は意識を、白黒の世界へ移していった。
◆◇◆◇◆
視野が広がる。今朝も見た白黒の夏祭り会場。隣には、幸せそうに僕の腕を抱き締める天羽さん。その浴衣は、まだ綺麗で。
……ただの、夢。
でも、夢であろうと、僕は君を守ってみせる。
そう決意した、その時。
その人物が、人混みを掻き分けて、こちらへ迫ってきた。
帽子とマスクで顔を隠した、その人物。
怪しく光るその右手に握られたナイフが、天羽さんの首へ近付く───
───ドンッ
僕は天羽さんが抱き締めるその腕を優しく離し、その人物の前に立ち、ナイフを僕の胸で受け止める。
「ひっ……ぃやあああ!」
天羽さんの悲痛な叫びが響く。
僕に痛みは無い。僕は視線を逸らさない。
その人物は、突然の事に驚いたようで口を開けている。
チャンスを逃さない。僕は、その人物の帽子とマスクを取る。暴れて顔を隠そうとする、その一瞬だけ見えたその顔を、記憶に焼き付ける。
「駆馬くんっ!!」
その人物は、ナイフを放し、人混みに消える。僕は膝からガクンと座り、それと同時に天羽さんは僕に駆け寄る。
夢だから痛くないけれど、立とうと思っても力が入らない。天羽さんが抱き寄せて支えてくれている。……たぶん、痛くないだけで、こうなってしまうのだろう。
「───っ!」
水の中に潜ってるように、耳が遠くなっている。視界も狭まっていく。
その視界の中心に、天羽さんが僕を呼ぶ顔が映る。痛みが無いはずなのに、胸の奥がチリチリと焼けるように痛い。
それでも。僕は、天羽さんの目を見る。
夢の中だとしても、初めて君を守れた。それが、心底嬉しい。これまで何度も。何度も何度も。君の死を見届ける事しか出来なかったから。
無事で良かった。
僕は、そう思いながら、天羽さんに精一杯微笑み、意識を消した。
◆◇◆◇◆
「石上!」
急に呼ばれ、僕は頭を上げる。
見慣れた教室。クラスメイトの皆が、僕を見て静かに笑ってる。黒板にチョークを置いた先生がため息をついている。
「顔洗ってくるか?」
「いえ、大丈夫です」
「……ほう。今日は頑張れそうだな」
「はい。頑張ります」
そう言って、先生は何故かニヤリと笑って黒板に向き直す。
クスクスと笑いを堪える声が前から聞こえる。
「また寝てやんの。ぶくくく」
ニヤニヤと笑いながら、前の席から振り向いてくるのは、片桐。
「ノート見るか?」
「いや、大丈夫」
「……マジ? うわ、ちゃんと書いてる。マジで?」
「まぁね。ほら、前向けよ」
「くっ……、腹立つわ〜」
と。片桐はしかめっ面になりながら、前を向いた。
「……」
黒板を見る。しかし、夢での最期が、頭から離れない。
天羽さんを助けられて、それで良かったはずなのに。
天羽さん。あんなに……見てるこっちが苦しくなるほど悲しい顔で、僕の名前を呼んでいた。聞こえなかったけど、口の動きで分かった。
これではダメだ。
天羽さんも。僕自身も。無事でいられる方法は……。
◆◇◆◇◆
昼。
人の気配の無い美術準備室。そこで僕は、ノートに人相を描いている。
「メール見た。尾行は無いよ」
そこへ、苺谷さんが。さっき僕が送ったメールの通りに来てくれた。
「ありがとう。これ……どうかな」
苺谷さんに、描いている途中の人相書きを苺谷さんに見せる。
「……石上くん。絵、下手だね」
「うっ」
そう。下手だ。輪郭や髪の毛がくしゃくしゃ。鼻の形なんて、『し』しか書けていない。
「でも。目の形は特徴を捉えてるね」
「……うん。頑張った」
唯一の救いは、目の形。最初の夢でも見ていたから、思い出しやすかった。
「……写真撮って、お兄に見せるね」
「ありがとう。お兄さんには何度お礼を言っても足りないよ」
「ん。何度も言うようだけど、君が大人になったら子ども達を支えてあげなさい、だよ」
「うん。やっぱり超カッコいい」
携帯電話を操作しながら、苺谷さんはお兄さんの言葉をサラリと言ってのける。僕は、まだ一度も会えていないお兄さんに、感謝したい言葉が心の中に募っていく。
「……返事来た。探偵さんに協力してもらうって」
「た、探偵?」
「うん。凄い人なんだよ。甘い物を食べて頭をフル回転させて、いろんな事件の黒幕を暴いてきた名探偵なの」
「……え。そんな凄い人と、お兄さんは知り合いだったんだ」
「お兄の相棒というか、ライバルというか、そんな感じ。その探偵さんもね、石上くんを高く評価してるよ」
「そう……なんだね」
僕を評価されてもなぁ。天羽さんを守る力で、知らない間に世のため人のためになってるから、褒められても実感が湧かない。
「とにかく」
語尾を強めて、苺谷さんは話題を仕切り直した。
「石上くん。こんな危ない奴は探す。それは私もお兄も探偵さんも同じ考え。でも、個人的に、ちょっと気になってさ」
「何? 改まって」
「この夢、今朝初めて見たよね?」
「うん」
「……2回目の夢を、今日の昼に。その2回目で、顔を知るために帽子とマスクを……ねえ、石上くん。やっぱり夏祭り行きたいの?」
「……え?」
「私からしたら、やっぱり今朝も言ったように、夏祭りに行かないで家で大人しくするべきって思う。でも、石上くんが望むのは、通り魔を見つけ出して、捕まえて、花恵ちゃんと夏祭りに行きたい方向。だから夢の中とはいえ刃物を持った人に立ち向かった。そこまで花恵ちゃんと夏祭りに行きたいのは、何か理由があるの?」
「……」
苺谷さんの指摘する通り、夏祭りに行くべきではない。身の安全を選ぶなら。理屈では、分かっている。行かなければ刺されない。そんな事は分かっている。
けれど。言われて気付いた。
僕は、諦めたくなかったんだ。なぜ自分は、好きな女の子と一緒に居たい気持ちを我慢しなければならないのか。天羽さんも、僕と一緒に居る事を望んでいて、めいっぱいお洒落するのに。目元の化粧をして。口紅を塗って。髪はお団子にして。透き通ったガラス細工の玉が付いた簪を刺して。花柄の浴衣を着て。
僕は、その姿を、白黒ではなく、色彩のある姿を見たい。
お洒落な姿を見せてくれる、かつて守れなかった約束を、守るために。
だから僕は、運命に抗う。
なぜなら───
「25日後には、僕と天羽さんが、付き合っているんだ。デートを邪魔されたくない。それだけだ」
苺谷さんが、真面目に聞いている表情のまま、まばたきを何度も繰り返す。
そして。
「……ふぅぅぅ」
深い溜め息をして。
「ちょっと待って何それ超大事じゃん詳しく聞かせていつ付き合うのどっちから告白するのちょっと何でそれを早く言わないの報連相が基本でしょ今すぐ答えてよほらほらほらほら」
苺谷さんは、今までにないほど目を輝かせて詰め寄ってきた。




