33話 だいじょーび
あれから僕は、絶品オムライスを平らげる。美味しすぎてスプーンが止まらなかった。
そして天羽さんは今、1階へ行っている。お父様とお祖母様と一緒に夕食を食べに。そりゃそうだ、ずっと2階にいるのは不自然だ。
───ピロン
その時。天羽さんからメールが来た。
『ご飯の後、パパはすぐにお風呂に入るから。そしたら帰るチャンスだよ!』
なるほど、了解した。
しかし。しばらくすると。天羽さんが部屋に来た。
「ごめんね、今バァバがお風呂に入ってるの」
「そっか。仕方ないね。もう少し待つよ」
「うん。帰りが遅くなっちゃって、ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ。それより、オムライス美味しかったよ」
「本当に?」
「うん。卵がふわふわだったし、火の通った鶏肉も噛んでて楽しかった」
「そ、そんなに褒めてくれて、嬉しいよ。あんまり時間が無かったけど」
「時間が無くてあのクオリティなんだね」
「……ふふ、ありがとう。褒め上手だね」
そう言って、天羽さんは嬉しそうに笑う。
こちらこそ、美味しいご飯を頂けて嬉しいよ。
「何だか……今日は石上くんが泊まりに来てるような……不思議な感じ」
ふと、天羽さんがぽつりと言う。それは、僕も感じていた事と同じだった。
「僕も、そんな感じがするよ」
「ふふ、そっか。考える事が同じだね」
「うん。そうだね」
しん、と静まり。しかしすぐに天羽さんは続ける。
「今日は本当にありがとうね。パパのためにこんな時間まで」
「ううん、いいよ。それに、パズル楽しかったし、オムライス美味しかったし、それに……」
そこで僕らは、目と目を合わせる。
僕が微笑むと、天羽さんも何となく分かったのか、同じように微笑んでくれた。
何となく感じている気持ちを言葉にするよりも、こっちの方がしっかり伝えられる時もある。僕と天羽さんだけの、秘密の会話。
「……」
「……あ」
僕は、秘密の会話をしたい気持ちがもっと強くなり、天羽さんの頭に手を添える。少し驚いた様子だったけど、僕が髪を撫でていくと、天羽さんはその心地を堪能しているのか、目を閉じて笑った。
ずっと、こうしていたい。
ずっと、笑顔でいてほしい。
ずっと、長生きしてほしい。
願望が溢れていく。天羽さんの幸せを願うたびに、僕自身の幸せと結び付いていると改めて気付かされる。
……天羽さんも、同じだと思う。僕の笑うのを喜んでくれている。一緒にいたいというメッセージは、充分に伝わっている。
好きだという言葉を言うだけじゃ満たされない。何をすれば、僕の願いは満たされるのだろう。何をすれば、天羽さんはもっともっと笑顔になってくれるのだろう。
「石上くん」
「何?」
「ふふ……ん」
天羽さんが、うっすら目を開けて、僕と目を合わせて笑うと、再び目を閉じて、艶やかな唇を少し上に向けて、止まる。
流石に、ここまで分かりやすくされると、どういう意味なのか分かる。天羽さんが何をしてほしいのか、目を見て気持ちが分かるのは、僕も同じだから。
僕は、頭を撫でていたその右手を降ろし、頭の後ろへ。栗色の長い髪を優しく包むように添える。天羽さんの正面に顔を寄せ、薄目になりつつもその唇を見つめながら、唇へ……
───トン トン トン
「!?」
「!?」
階段を誰かが登る音が。
「パパ来る! 隠れて!」
栗色の髪を慌ただしく振りながら、天羽さんは僕をどこに隠そうかを探す。どこへ? クローゼット? いや、そこは開けちゃダメだ。なんて考えていると……
「こっち!」
天羽さんが、薄いピンク色のシーツをめくり、ベッドへと僕の手を引く。僕は横に一回転しながらベッドの中に潜り込んだ。
そして、天羽さんはシーツを被せ、ベッドにダイブ。シーツの上から、僕を抱きしめた。……抱きしめ、た?
しかも、え、何ここ、天羽さんの部屋に薄く香っていた、ラベンダーのシャンプーの香りでも、パンの香りでもない、何に例えたらいいか分からないけど自己主張の少ない控えめな香りが、強く感じられる。
「花恵。入るぞ」
「……うん。何?」
「……何だ、ここで何か食べたのか?」
「う、うん。ちょっと、オムライスをね。お腹が空いちゃって」
「珍しいな。まぁ、そんな時もあるか。それで、何かそこにあるのか?」
「っ! な、何もないよ! ただ、お布団をギューってしたくなったの」
そう言って天羽さんは、シーツを丸めるように、僕がいる事を察知されないように、抱き締める。
天羽さんの体温が、シーツ越しに僕の顔に、肩に、横腹に。
好きな女の子に強めに抱き締められて、僕はこんなギリギリな状況下でも、温もりを感じて逆に落ち着いてしまっていた。
「ところで、何かあった?」
「ああ。ジグソーパズルを知らないか?」
「えっ!?」
「白いアザレア畑の、あれだ。部屋に無くてな」
「あー………そ、それはね」
天羽さんが、か細い声になる。そうだ、僕を隠すのに必死で、ジグソーパズルはそのまま床に置きっぱなしだった。
なんて絶体絶命でも、僕の意識はもう既にそちらではない。
鼻が、脳が、魂が、幸せに満ち溢れている。僕をここに居て良いのだと包み込んでくれているような感覚の正体は、僕がここに居たいという本能から来るものだ。
この香り……間違いない。天羽さんの……
「ん。何故ここに?」
ああ。見つかった。終わった。
「あの、その、これは」
「……花恵」
「〜〜〜!」
天羽さんが、息を吸いながら声にならない悲鳴をあげる。僕は、天羽さんに思いっきり抱き締められ、この香りに包まれて、意識がどうにかなってしまいそうだった。天羽さんの腕の中で息絶えるならば、我が生涯に一片の悔い無し、なんて変な事を考えてしまった。
「なるほど。また、紐が切れたのか。それを、パパが帰る前に直そうとしてくれたのか」
「え? う、うん」
「……ありがとう。何やら気を遣わせてしまったな」
「うん。だってそれ、大事なんでしょ?」
「ああ。そうだな。でも…」
お父様が、ジグソーパズルを持ち上げる音が聞こえた。
「これを直す時間も、パパは好きだ」
そう、ぽつりと言って、お父様は部屋を出ていく。
「花恵。ありがとう」
「うん!」
───トン トン トン
階段の音が小さくなり、次第に天羽さんの抱き締めも緩む。
「はあああびっくりしたぁぁ。石上くん、ごめんね、びっくりしたよね? って、石上くん?」
「……だ、だ、だいじょーび」
僕は、天羽さんからの抱擁を堪能しすぎて、長風呂した時のように頭がのぼせてしまって、起き上がれなかった。
ベッドに付いている天羽さんの体の匂いを嗅ぎ過ぎて、脳がトロトロになっていたから。




