26話 ぽっかりと
あれから、カピバラざえもんの会場を出た僕たちは、フードコートでランチを食べ終えた。
「……ねぇ、石上くん。この後、どこか行きたい所ある?」
「え? いや、特に無いよ。天羽さんは?」
「……私も、特には。だから、その、もし良かったら、すぐ近くのカラオケなんて、どうかな」
……。思考が、止まる。
「あ、嫌だったかな?」
「あ、ああ、ごめん。そうじゃなくて……ちょっとトイレ」
僕は、何とか笑顔を作り、その場を離れる。
ここ、だ。
爪を見る。まだ、3時間ある。しかし、今このタイミングでどの選択をするかが、未来の分岐点だろう。
今回は、規模が違う。今までは天羽さん1人が死ぬ状況で、天羽さん1人をその場から離れさせればそれで解決していた。
だけど、火災は……僕の知らない多くの人が死ぬ。そんな未来を知ってしまった以上、人として普通に見過ごす訳にはいかない。
僕は火災を止めたい。大胆にも行動を起こす。それを絶対に見られてはいけないから、天羽さんがカラオケ屋に入る前に他のお店に行くように誘導する事を最初のうちから考えていた。
もし、何の訓練もしていない僕が火災を止めるような命知らずな事をする所を見られたら、何か未来が見える事を疑われるし、今までの不自然な奇跡を疑われて、寿命が見える事を勘づかれる原因にもなる。それに……僕が危ない目に遭う事で、天羽さんをもう悲しませたくない。
ここで、決まる。
◆◇◆◇◆
再び、天羽さんの所へ。
ランチを食べ終えたお皿が片付いている。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、大丈夫だよ」
「お皿、片付けてくれた?」
「うん」
「ありがとうね」
「いいよいいよ」
「…………あの、さ」
「うん」
「カラオケは、また今度でいいかな?」
「え? うん。いいけど……どこか行きたいの?」
「うん。あのね……喋りながら……」
駅の方面に歩きたい、と言おうとして、ふと止まる。外はまだまだ暑い。今朝、天羽さんが帽子を被って来たほどに日照りが強い。だからと言って帽子を被れば良い訳ではない。今のファッションに、その帽子は似合わない。普通に考えて、こんな事を提案すれば天羽さんが困るだけ。
何か、上手くいくプランは……。
「……ごめんね」
なぜだろう。天羽さんが謝ってきた。
「私、こういうの初めてで。どこに行けば石上くんと楽しめるかな〜って、すぐに答えを出そうとしてた。急に難しい事聞いてごめんね」
「あ、ううん、大丈夫だよ。僕こそ、遊びに誘ったのに……頼りなくて、ごめん」
「そんな事ないよ。誘ってくれて嬉しかった」
空気が重い。今すぐこの空気を変えたい。でも、方法が分からない。
せっかく街中に来た。お洒落してくれた。2人きり。なのに、街を離れる。必要性は充分分かっている。僕が楽しむでもなく、天羽さんを楽しませたい事でもないから、どう繋げれば辻褄が合う? これ以上、どうすればいい……。
「石上くん。もしかして、この後何か予定あった?」
的を射るような、一言が刺さる。
「何となくね。今日は元々、会う約束してなかったし」
「……うん。そうだね」
「そっか。石上くんは、どうしてここに?」
「それは…………」
言えない。上手い嘘も、咄嗟に出てこない。
……言ってしまおうか。なんて本音を、僕は振り払う。
自分があと何日で死ぬかなんて、そんな悲しい未来を知りながら生きる事を、天羽さんにはしてほしくない。
天羽さんには、パン屋になる夢がある。食べる人の笑顔のために新しい事に挑戦していく、芯の強さがある。そして、その食べた人が喜べば、一緒になって喜んでくれる、心の清らかな女の子。ちっぽけで情けない僕だけど、守りたいと思えた可愛い女の子。天羽さんには、このまま長い人生をまっすぐに楽しく過ごしてほしい。そう願って止まないから。だから僕は、絶対に天羽さんに言わない。
……心の清らかな……可愛い……
そうか、その手があった。
「天羽さん。頼みがある」
「うん、言って」
「……今日は、まっすぐ家に帰ってほしい」
「…………理由を聞いてもいい?」
「うん。理由は……」
今。この土壇場で、ふと出てきた。絶妙に天羽さんを誘導しつつ、伝えていい本音が。
「理由は、天羽さんがめっちゃ可愛くて、直視できないから」
確かに思うその一言をぽつりと言う。
すると、天羽さんは、みるみる顔を俯かせ、少し小さくなってしまった。
「……そんなに、なんだ」
「うん。そんなにも。だから、このまま人混みで遊んでたら、他の男に目を付けられる。それは嫌だから、今日は帰ろう」
何とも無茶苦茶な理論。でも、確かにそれも本当に思う事。今の僕には、これが最善手。
天羽さんの反応は……。
「…………分かった。じゃあ、家まで送ってくれる?」
「……うん」
一瞬、移動時間を計算して、頷く。
僕らは、無言で、手を繋いで、店を出ていくのだった。
◆◇◆◇◆
それから僕らは駅へ向かい、電車に乗り、地元の駅へ。歩き慣れた道を、手を繋いで一緒に歩く。天羽さんは緊張しているようだけど、僕は、心のどこかにぽっかりと穴が空いているような虚しさがあった。
「……着いちゃった」
「うん」
気付けば、天羽さんの家に到着。
「……じゃあ、またね」
「……うん」
手を、離した。
「石上くん」
離した直後。天羽さんが、両手で包むように握ってきた。
「……ど、どうしたの?」
「……他の男の人に……ってさ。家の中なら大丈夫だよね」
「!?」
それが何を意味するか、分かってしまう。
「家なら、他の人を気にしないで、一緒にいられる。それに、誰もいないし」
天羽さんの握る両手が、わずかに震える。
「お願い……もう少し……私を見て」
震えが大きく……僕の心臓までも震わせる。
……違った。震えていたのは、僕の方からだった。心臓の鼓動が強すぎて、手先まで揺れている。頭が熱い。
天羽さんの、恥ずかしさで隠れたいのに目だけは僕の返事を待っている、そんな繊細な表情を見てしまった。僕にしか見せない、僕だからこそ見せてくれた、そんな特別な表情を。
「天羽さん」
僕は、揺れた決意を、定める。
「ごめん」
僕の一言に、天羽さんの手がゆるむ。
手を抜き、背を向ける。
「本当に、ごめん。天羽さんは、何も悪くない。僕が悪いんだ。不器用で……ごめん」
僕は、振り返らず、走る。
天羽さんが呼び止めている。
でも、僕は振り返らない。振り返れない。
◆◇◆◇◆
僕は、消火器を持って、カラオケ屋のあるビル1階を走る。
もう既に天羽さんは安全な所にいる。
なぜ自分はこんなに走るのか。大勢の命を守るため? それもあるが、それよりも大きい理由はある。
『もし良かったら、すぐ近くのカラオケなんて、どうかな』
『お願い……もう少し……私を見て』
天羽さんが勇気を出して言ってくれた、僕の傍にいたい願いを、叶えられなかった。
それを叶えれば、火災で大勢が死ぬ。
火災を防げるのは僕だけ。僕がやるしかない。
その様子を天羽さんに知られる訳にはいかない。死の未来が見える事を疑われ、寿命が短く、僕が守るしかない人生なのだと自覚されたら……パン屋になる夢はどうなる。明るい未来を夢見る事が出来なくなる。他者と一緒に喜べる清らかさが曇るかもしれない。
だから。
ずっと。
ずっと僕は。僕だけが、犠牲になってもいいと思って。
見たくもない無惨な夢を……天羽さんが死ぬ夢を、何度も何度も見る事ですら、耐えられてきた。
その行く末に、天羽さんが笑っていてくれると信じて。
でも。
守れなくて。
悔しくて。苦しくて。
天羽さんが、悲しみを見せまいと無理して笑顔になる表情を見て、心にぽっかり空いた穴から、どうしようもなく自分が情けないと痛感した。
好きな女の子の笑顔を守る事が出来ないのか。あれほど守りたいと言っていたのに、僕は口先だけなのか。肝心な時に守れない。今まで積み上げたものは、これほどに薄っぺらいのか。
「きゃああああ!」
20m
聞こえた。1階にいる客のリュックから、煙が。その持ち主が慌てて振りほどくが、そのリュックが炸裂音を出して燃え上がっていく。
もう、知っている。白黒の夢で何度も見た。夢の中なら僕は息苦しくならないから、火の中を進み、火元を調べる事に成功していた。原因は、ごく普通の客の携帯電話のモバイルバッテリーの発火。それがリュックの中の本で燃え広がり、投げられた先にある足マットに燃え移って……天羽さんが逃げられないほどの事態になるのだ。
「……」
火を消し、中身を出したのになぜか重く感じる消火器を捨て、僕はゆらりゆらりと前を見ず歩く。
こんなのを防いだところで……虚しさは変わらない。
どうすれば、天羽さんの笑顔を守れるのか。もう自分の何を信じればいいか分からなくなった。
※誤字報告ありがとうございます




