2話 カピバラざえもん
「石上。帰らねぇの?」
「うん…帰るよ」
下校時刻。いつの間にかリュックを背負った片桐に声を掛けられる。
「片桐は早いね」
「ちげーよ。お前が遅いの」
「そっか。ごめん、待たせた」
僕は手短にリュックに荷物を詰め、待っててくれた片桐と一緒に廊下に出る。
「何か元気ねぇじゃん。どうした?」
「うん…ちょっと、ね」
左手薬指の爪を見る。あれから数字は1分ごとに減って、30mになっている。今のところ、僕の体のどこも異変は無いが、気になって仕方ない。
「その、落書きだっけ。石上には見えて、俺には見えないってヤツ、何が書いてあるんだ?」
「…30m」
「へ? それって、数字の30、英語のm、で合ってるか?」
「うん、そう」
「何だそりゃ。何かの暗号? 30…m…」
「片桐、良いんだ。見えてないのに信じてくれて嬉しいよ」
「良くねぇ。でも、それだ。俺が見えないなら、じゃあ他の誰だと見えるのか、まずはそこをはっきりさせようぜ。よし、ちょっと待ってろ。…ねえ! そこの君!」
そう言って思考を高速回転させた片桐は、即行動に移していく。他の階へと足を進め、廊下を歩いていた見知らぬ女子生徒を呼び止め、僕の左手を見てもらう。
急ぎ足の女子。
4人組の女子。
俯きがちな女子。
警戒してる女子。
見回りの若い女性教師。
片桐は、自信に満ち溢れた微笑みで、初対面の子には名前も聞いて、去り際に下の名前を呼んで爽やかに調査してくれた。
片桐…ありがとう。僕の変な悩みを解決する為に、そこまで行動してくれて。僕の爪を見せて終わるだけじゃ変な人に見られるもんね。
「石上。すまん。通算20人、連続でダメだ。誰も見えてない」
「ううん、ありがとう。すごく貴重な情報になった」
「そりゃ良かった! 俺も、貴重な情報になったぜ!」
片桐のやつ…自分の事のように喜んでいる。本当に、片桐は良い友達だ。
「ん? 何だこれ」
と。僕がしみじみ思いつつ昇降口で靴を履いていると、片桐が落ちている焦げ茶色のストラップを拾う。カピバラにちょんまげが生えてる、そのキャラクターは……
「カピバラざえもん」
「は? カピバラざえもん?」
「うん。カピバラざえもん。知らないの?」
「知らねぇ。最近のちびっ子のアニメなのか?」
「……そうだね。見た事ないけど」
「ねぇのかよ。何で分かるんだよマジで」
「だってそれ、天羽さんがカバンに付けてるやつだもん」
「……おま、誰がどこに付けてたかも分かるのかよ」
「うん。間違いなく」
「へっ、流石だな。天羽の事なら100点取れるんじゃね?」
「いやいや何をそんなに褒めてんだよ照れるじゃんか〜えへへへへ」
「そこまで褒めてねぇよ!?」
さて、片桐に褒められた所で。
「これを天羽さんに渡したい…んだけど」
「けど?」
「片桐。どうしよう。天羽さんに、なんて声を掛けたらいいかな。まずは発声練習からした方がいいかな」
「あーまた始まったよ」
ダメだ、上手く渡せる未来が全然見えない!
「…よぉし! 走るぞ! 天羽を追いかけるぞ!」
「えええええっ!? 待ってよ! 心の準備が!」
「出たとこ勝負で何とかなる!」
「うう…何とかなると良いんだけど」
片桐を信じて、逃げ腰になりながら走る。僕
しばらく走って、曲がり角を曲がる。すると、その先に…。
「いた! おーい! 天羽! おーーい!」
片桐の大声に、1人歩いていた天羽さんは振り返る。陽の光に照らされ、明るい栗色の長い髪がふわりと舞う。
「片桐くん。それに、石上くんも。どうしたの?」
「ほら。落し物」
「あっ、カピバラざえもん! そっか、落としちゃったんだ。届けてくれてありがとう!」
天羽さんは片桐からストラップを受け取ると、大事そうに両手で包み、後光溢れる笑顔を僕らに見せてくれた。眩しいです。こちらこそ感謝感激です。
「いや、実はな。これが天羽のだって気付いたのは、石上なんだよ。なぁ?」
「えっ、そうなの?」
「あっ……」
顔が近い。過去最高の半径1メートル以内だ。まずい。返答をしないと。無言でおろおろしてたら幻滅される。
「そ、そう。いつも鞄に…ね」
「そう! カバンに付けてるの! そこまで覚えてくれてたんだね! 石上くん、本っ当にありがとう!」
「 」
足が、止まった。
目が、合った。合ってしまった。
…おお、神よ。
…それは、天から舞い落り、雲の如く柔らかな羽で包み、人々を癒す天使か?
…あるいは、色鮮やかな花を咲かせるように、人々に彩りを恵む精霊か?
…答えは、神のみぞ知る。
…天羽花恵さん。
…あなたの笑顔、守りたい。