19話 沈黙
天羽さんのお母様が、お産で亡くなった……。
「ママはどこも悪い所は無くてね。お医者さんもスゴい人。でも、ちょっと運が悪くて、どうしようもなかったらしいの」
淡々と簡潔に教えてくれた。声色は落ち着いているのに、その視線からは納得いかないという悲しみを感じる。
「……ごめんね、急にこんな話をして」
「ううん。話してくれてありがとう」
「……」
「……」
……沈黙。
掛ける言葉の選択が難しい。安っぽい同情をされても逆に天羽さんは困ると思う。かと言って、ここまで僕に打ち明けてくれたのは、天羽さん本人にも分からない心の何かを埋めてほしいはず。
一つ一つ、寄り添っていこう。
「……お母様は、どんな人だったの?」
「ん〜とね……とにかく笑ってた人。笑うと言っても、石上くんみたいに優しい笑顔じゃなくて、よくダジャレを言って自分でケラケラ笑う人なの」
さりげなく僕を褒めてくれて嬉しいけど、ニヤつく状況ではない。キリッと傾聴を続けねば。
「ママがね、チョコどれくらい食べる? ってパパに聞いて、パパが『ちょこっと』て言うと、2人してケラケラ笑って、ママはちょこっと所じゃない沢山のチョコをあげちゃったの! もう、その話が私も好きでね!」
「うんうん、良いね。何か、2人の間柄も分かるね」
「そうなの。パパもバァバも、そんな話をいっぱいしてくれる。だから、ママならこう言うんだろうな〜って何となく分かるようになってね。そしたら、悲しくなる事はなくなったの」
そう言って、いつも通りに歯を見せて微笑む。
……しかし。僕は笑顔で答えられなかった。
天羽さん。それは、お母様に話したい事がいっぱいあると言っているようなものだ。
「……さっきね、つらいのに頑張ってる梅次さんを見て、ママと重ねて見ちゃってね、ママ頑張ったんだね、産んでくれてありがとうねって思って、心の中でいっぱいいっぱいありがとうって思ったの」
「そうだったんだね」
「うん。でも、ママはもう居ない。何回言っても、ママには伝わらないんだな、って……久しぶりに泣けちゃった」
「……なるほど…ね」
ありがとうを伝えたくても届かない。天羽さんがずっと抱えてきた悩みの大きさは、僕の想像を超えるだろう。氷山の一角で、このつらさ。
それでも尚、天羽さんは一人で悲しみと向き合い、他の人には優しく振る舞い、パンに気持ちを込めて多くの人を温めている。
この1人の女の子を温められる人は……
「僕が、聞くから」
「……え?」
「ありがとうって、心の中だけで言うのは、なんて言うか我慢してるように見えるからさ。ありがとうって感じたら、僕に話してよ」
今の僕に出来るありったけを言った。
すると、天羽さんが……固まった。足を止め、無言で僕の目を見て、ぱちぱち瞬きをする。
僕の言葉を待ってる。そんな気がして。
「んとね。僕は、天羽さんと一緒だと明るくなれて、元気になれる。天羽さんが笑顔だと僕も笑顔になれるし、天羽さんが喜ぶ事は僕もやりたい。いつも楽しい時間をありがとうって思ってるから。だから……僕がもらうばかりじゃなくて、天羽さんに恩返しがしたい。僕が、天羽さんを笑顔にさせたい。だから、その」
続きが、出てこない。短く簡潔にしようと思ってても、逆に長くなって伝わりにくくなってる。天羽さん困ってないかな。
「……」
ふと、天羽さんが口元を両手で隠し、下を向く。長い前髪で表情が見えない。
「天羽さん?」
様子を伺うと、すぐに片手で制する。大丈夫らしい。
天羽さんが、再び歩く。
「…」
「…」
沈黙は続く。でも、さっきより天羽さんは足止めが軽い。
「石上くん」
天羽さんは一歩だけ跳んで、振り返って後ろ向きの形で歩き……
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
照れを少し含ませながら、歯を見せて笑う。後ろ向きだからだろう。天羽さんの髪がサラサラと揺れていて、どの部分に視線を反らしても綺麗な景色ばかりで、地面を見る事で何とか落ち着いた。
「……んー?」
「っ!」
天羽さんは覗き込むように、僕の視界に入ってきた。びっくりして仰け反って、立ち止まってしまった。
目と目が、合う。
でも、それがいつもより長い間、視線が合う。何となく、天羽さんの方から、視線を合わせたいと言っているような、そんな感じがする。
……天羽さんって睫毛が長いんだなぁ、なんて思ってると、天羽さんの目尻が細くなり、ふふっと言って微笑む。
ダメだ。可愛すぎて、そろそろ照れてしまう。
「あとね。もう一つお礼を言わせて。今日だけじゃなくて、いつも、歩くペースを合わせてくれてるでしょ」
「…えぇ?」
照れが残ってて、変な受け答えをしてしまった。
「石上くん、一人でパンを届ける時も、片桐くんと帰る時もだけど、本当はもっと速く歩けるよね」
「……う、うん」
「ふふ、ちゃんと見てるんだからね。でも、石上くんも私の事、よく見てくれてるんだな〜って、嬉しくなっちゃった」
「……あ、その、どういたしまして。でも何て言うか、僕自身、びっくりしてるんだ。天羽さんに言われるまで気付かなかった。何だろ、一緒に歩いているとあっという間に時間が過ぎちゃうから、少しでも長く一緒にいたくて、無意識に……だと思う」
「……そ、そっかぁ」
「うん。多分」
よし、何とか言葉に出来た。
これで、僕が意図していない事だと分かってもらえた。あんまり感謝されすぎるのも困るからね。よく言ったぞ僕。
「……うん? ど、どうしたの天羽さん」
「……何でだろ。分かんないけど」
天羽さんが息を出し切り、両頬に両手を添えて、小声で言った。
「心臓の音が凄くて、すっごいポカポカする。でも、全然苦しくないよ」
「そっか。なら良かった。今日は暑いから、気分悪くなったら言ってね」
「うん。ありがとうね」
そうして、僕らは隣り合って歩き出す。
はたして、この熱さは、太陽のせいなのか……それとも……。