18話 ぽろぽろ
さて。僕と天羽さんは、一緒に梅次さんの家へと歩いて向かう。
「あっつー」
「そうだね」
日差しの強い、夏の熱い日。僕はデリバリーバッグを背負って団扇を、天羽さんは日傘を持って歩く。自転車なら早く着くけど、天羽さんが日傘を使うために徒歩で向かうのだ。
故に、汗が止まらない。この暑さだと、天羽さんだけに行かせて迷子になったら熱中症で倒れてしまう……そんな心配が出た。だから僕が案内して最短ルートを行くのは間違いない判断だ。
「……あ」
僕の持ってきた水筒が空になった。天羽さんの心配してる場合じゃなかった。
すると、天羽は肩掛けポーチから水筒を取り、僕に渡してきた。
「飲みきったの? はい、どうぞ」
「え……ええっ? い、いいよ」
「大丈夫。私もう一本持ってるの。石上くん使っていいよ」
「そっか。分かったよ。ありがとう」
蓋を開けて、飲む………寸前で止まる。
これ、天羽さんが普段から使ってる物だよな。普段から、天羽さんが口を付けている物だよな。
「大丈夫だよ、一口も付けてないから」
今日は。そういう注釈を心の中で加える。過去に口を付けてきた物。洗ったかどうかは関係無い。これは間違いなく、間節キス……は……あまりにも刺激が強過ぎる。
今日はどうしたんだ? さっきのインパクトが、まだまだ残ってるのか。体が熱い。ああもう、外からの暑さと、中からの熱さが混じって、思考がおかしくなってる。冷やさないと! 心頭滅却!
考えた末、水筒を首に当てて冷やす。
「あー。その使い方も良いね!」
すると、天羽さんも真似をした。ほっそりとした首筋と、鎖骨がチラリと見える。
「いやー、冷えるね」
「……うん。そうだね」
とどめにそんな笑顔を見せられると、せっかく冷やしたのにまた熱くなるよ。
◆◇◆◇◆
……で。梅次さんの家に到着。
「おお、よく来たねぇ」
「こんにちはー!」
梅次さんのお母さんに当たるその人は、庭の草むしりを終えて、僕たちを家の中へ招く。家の中へ進むと、クーラーの効いた部屋に、梅次さんがソファに座っていた。
「こんにちは」
「こんにちは! お久しぶりです! 元気にしてました?」
「うん、元気だよ。花恵ちゃんのお陰でね」
そう言って、ソファに深く座りながら、お腹をさする。
「え、え? もしかして」
「うん。赤ちゃんが出来たの」
「えーー!? おめでとう! おめでとう!」
天羽さんが飛び跳ねて喜ぶ。梅次さんも、お母さんも、つられて笑顔になっていく。
「ありがとう! 花恵ちゃんにね、どうしてもお礼が言いたかったの」
梅次さんの言葉を、皆で聞き入る。
「妊娠してから、つわりが始まってね。何も食べれない時もあって、お米の臭いは嗅ぐだけでダメだし。お腹が空いてるのに食べれなくて……。でもね、たった一つだけ、食べられたの。花恵ちゃんの作る食パン。本当に助かった。今も、助けられてる。食べるのが嬉しくて、お腹が大きくなるのが楽しみになって。私とこの子が生きていられるのは、本当に花恵ちゃんのお陰。本当に本当に、ありがとう」
梅次さんは、落ち着いて一言一言を天羽さんに伝える。
それを聞いた天羽さんは……
「えへへ……良かったよぉ。こんなにも……喜んでもらえて……」
梅次さんと手を取り合い、ぽろぽろと泣いて、笑っていた。
◆◇◆◇◆
ややあって。僕らは帰り道を歩く。
「喜んでもらえて良かったね」
「うん! 良かった! 私、こんなに喜んでもらえる事をしてたんだね!」
「だね。天羽さん、いつも頑張ってるもん」
「うん! 努力した甲斐があるよ!」
と。目元の赤い天羽さんが、歯を見せて笑う。
本当に凄いと思う。そうそう誰にでも出来る事じゃない。いつも食べられる物が食べられなくて、赤ちゃんに栄養をあげられない極限な時に、食べる事が出来るのだから。
「……」
改めて。命のやり取りを垣間見て、改めて思った。
「母親ってスゴいね」
「…うん。スゴいよね。ありがとうって何度言っても足りないくらい」
「……」
「……」
………? 何だろう、この沈黙は。
「天羽さん?」
「……ごめんね。ちょっと、ママの事を考えてた」
そう言って、天羽さんは、空を見上げて、一呼吸。
「……聞いてくれる?」
「うん」
「ありがとう。あのね、知ってると思うけど、私のママは、もう亡くなってるの」
やや沈黙の後、そして、こう続けた。
「私を産む時に、亡くなったの」