15話 超が付く方向音痴
さて。そろそろ本題に入ろう。
「注文……って、どれくらい来るの?」
「ん〜〜とね。ここ最近は、週末に5件くらいだよ」
「5件も……1人で作って届けて。大変だね」
「ん。そうだね。作るのは楽しいんだけど、届けるのが……ね」
天羽さんの視線が少し下がる。
「届けるのが?」
「……知らない道に行くと、迷っちゃうんだよね」
「えっ……? 迷う?」
「うん」
「石上くん。花恵はね、超が付く方向音痴なの」
涼風さんが横からズバッと言い切ると、天羽さんが、「うっ」と言って苦虫を噛み潰したような表情になる。
「地図を見ても、真逆を行っちゃうし。近所の人に道を聞いて、やっと届けてるんだよ」
「えっ。本当?」
「うん。お恥ずかしながら、全くその通りです……」
「だよね。あたしの家にも来たし、文実ちゃんの家にも来たの。だよね〜」
「うん。7回」
苺谷さんが両手で7本指を立てて、天羽さんに見せている。天羽さんは、「ぐはっ!」と言って、喉を抑えて天に助けを求めるように手を伸ばした。
……天羽さんのリアクションをもう少し見ていたいけど、苦手分野を掘り起こすのは良くない。そろそろフォローしなきゃ。
「そうなんだ。でも、でもさ、天羽さんは遅刻してないじゃん。家から学校まで迷わず来れてるよね」
「っ! そ、そうだよ! そうだもん! ちゃんと来てるもん!」
「まぁ、確かに。遅刻してないね」
天羽さんの表情がぱっと明るくなる。涼風さんが認める。
……しかし、苺谷さんが、ぽつりと言った。
「毎日お父さんが学校の前まで送ってるからね」
衝撃の事実。天羽さんは、「ぎにゃー!」と言って、力が抜けたのか机に突っ伏せてしまった。
……毎日。高校2年生になっても、お父様が心配するくらい、超が付く方向音痴……らしい。
ごめんね、天羽さん。傷口に塩を塗っちゃった。
◆◇◆◇◆
来月、天羽さんはマンホールが割れて事故に遭う。それを直せば解決する。至って簡単だ。
しかし、それで本当に天羽さんの笑顔を守れるのか……と、素直に喜べていない。
その明暗の分かれる名案を、とある人物に聞く必要がある訳で。
今日は週末。
僕は今、天羽さんの家に来ている。これで2回目の訪問だが、1回目はずぶ濡れになり天羽さんと一緒に入った訳で。インターホンを押すのは今日が初めてだ。
服のボタンがちゃんと付いてるか確かめて、髪の乱れを手櫛で整えて……インターホンを押す。音が鳴ると、背筋がピンと伸びる。ああ緊張する。
───ガチャ
「いらっしゃい」
扉を開けて出迎えたのは……
「お邪魔します。お祖母様」
白い髪を後頭部に団子状にして結び、茶色のカーディガンを羽織っている。
今日の話し合いの相手。
天羽さんの、祖母にあたるお方だ。
◆◇◆◇◆
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
家に招かれた僕は、以前入った部屋とは違う、和室に案内され、座卓に正座する。お祖母様が急須で湯呑みに注いで下さった緑茶を目の前にして、緊張しすぎて飲む気になれず、お祖母様へと視線をむける。
「ほっほっほ。そう固まらなくて良いのよ」
「は、はい。善処します」
「そうしておくれ。さて、駆馬くん。まずは直接言いたかった事があってね」
「な、何でしょう」
「花恵の命を救ってくれて、ありがとう」
深々と、頭を下げて下さった。
「老い先短い私よりも先に、あの子に不幸な事が起こりでもしたら……ああそんな事はとてもとても。駆馬くんのお陰だよ。お礼を言うのが遅くなってすまないね」
「そ、その、大丈夫です。本当に、天羽さんが無事で、僕も嬉しいです」
ゆっくりとした声で、まるで神様に礼拝するように感謝され、僕は返答に困ってしまった。
「そうかいそうかい。優しくて謙虚だねぇ。どうだい、花恵とお見合いするかい?」
「お、おおおおお見合い!?」
「ほっほっほっほ。初々しいねぇ。ほっほっほ」
冗談……だよな? 本気なのか? よく分からない。
とにかく、僕が主導権を握って、今日の本題に入らないと。
「お祖母様。お手紙は読まれましたか?」
「ええ、読みました」
僕の問いかけに、お祖母様が座卓の下から手紙を出す。
それは、つい5日前。超が付く方向音痴だと話題に挙がり、天羽さんの困った顔を見た時から、思い立って、僕が書いたもの。僕が願い出て、書いたもの。
「僕を……ここのパン屋の配達係として、働かせて下さい」