05 龍、魔法、厄災の襲撃
「ふぅ」
掛け布団を下半身にのせて寝転がったまま大きく息をつく。長い夢でも見ていたかのようだ。四人の仲間達と楽しく過ごした日々の夢。一瞬にしてはかなくも散ってしまった、朧気な夢を。
けれど――――
「クゥル?」
「ん?」
そんな鳴き声の生物はいたか? と一通り記憶を漁るが、知る限りでいた覚えはない
頭を横に九十度傾ける。板張りの床と、屏風の壁が見えた。だが何かがいるというわけでもない。
反対側に百八十度回す。やはり何もいない。
真上に顔を戻して、首を少し起こして布団がかかった腹の上を見る。トカゲがいた。
「…………」
「クルル?」
意識がまだはっきりとしていないせいか、翼と角が生えた、深い青色の鱗と金色の目を持つ四十センチほどのトカゲに見えた。
両手で奏汰の常備品のナイフをつかんで刃先をかじっている。
「うおおおおお!?」
「キュアアッ!?」
奇声を上げて飛び起き、お腹の上に乗っていた巨大トカゲを振り落とす。
いや違う、覚醒した意識が絶対トカゲな訳がないと警告する。
「………トカゲか?」
「クル?」
かじっていたナイフから口を離し、奏汰の目を見て首をかしげる。
「…………………ドラゴンか?」
「キュルル!」
「嘘やん」
その言葉に反応して高らかに鳴き声をあげ、奏汰のナイフを腕に抱えたまま、体の割に大きな翼を羽ばたかせて、部屋の中を飛んでいく。
「あっおいコラ!!」
ナイフを盗られては敵わない。しかも、自分が何処で何故寝ているのかがわからないうちは、周りの環境全てが敵であると考えた方が良い。
「はぁっ…はぁっ…あぁぁぁぁぁ!」
だが、従来の運動音痴に寝起きという状況が重なって、どれだけ走ってもかなり緩く飛んでいる子龍に近づきすらしない。おまけに心臓の横、肺の辺りにつっかえたような違和感を感じる。
荒い息をつきながらその場で前のめりに倒れ込み、両手と膝を地面について目の前でホバリングする子龍を見上げた。
見れば見るほど不思議な生物だ。鳥のものとは違った薄い皮膜による翼に、どの爬虫類とも似つかない大きな鱗。何より、知性を感じさせる、奏汰から一寸も逸らされない大きな瞳。この世の生物とは思えない神秘的な生物だ。
「龍がいるならここは地球じゃない、のか」
「キュルキュル?」
あぐらに座り直した奏汰の目の前に子龍が着地し、涎まみれのナイフを膝の上に乗せる。
「ありがとよ」
「キュゥルル!」
「めっちゃ汚いけどな」
「キュウ……」
言葉を理解しているのか、奏汰の声かけに一喜一憂する子龍。
「お前以外にはいないのか?」
「クル?」
「龍だよ。お前以外の龍はいないのか?」
「クルルルルルル」
やや長い首をキョロキョロと動かして辺りを見回す子龍を、奏汰はじっと見つめている。
「実はまだここが現実世界で、お前は新ソか中国が作った新手の生物兵器って可能性もあるからな」
第三次世界大戦中に生物兵器の使用を解禁した新生ソビエト連邦と中国軍の話も、仰向けに転がる子龍には通じない。その腹を片手でくすぐってやると、固い鱗の質感と、温かく感じるほどの体温が伝わってくる。
やがて、気持ち良かったのか、子龍は瞼を閉じて小さな寝息を立て始めた。
「………別世界、か」
事実がまだうまく飲み込めていない。死んだはずだが、別の世界で生き返った。しかも自分一人で。その事実が、さらに奏汰の心を重たく沈み込ませていた。
「…………」
とはいっても、まだそうと決まったわけではない。ならば自分がすべき事は一つ。
「あいつらを探そう」
子龍を起こさないように静かに立ち上がり、部屋の端まで歩いて屏風を開け放つ。
「……ワーオ」
途端に視界を覆い尽くしたのは、見渡す限り、遥か彼方の地平線まで続く雲海。そして雲の大地を突き破って所々に生えている、剣山のような岩山である。
「マジか」
奏汰が驚いた理由は三つ。
一つ、前世の記憶を洗いざらい探っても見覚えのない風景である、則ちもとの世界ではないこと。
二つ、自分がいる建物が、おそらく崖の中腹に岩壁に取り付けられる形で造られていること。
三つ、剣山の一つの頂上から、巨大な飛行生物が飛び立ったのが見えたこと。
そしてその三つ目の衝撃によって、目覚める以前の記憶が蘇る。
「あの龍は……」
『おぉ、起きたか』
空気を揺るがす低い声が辺りに響き、窓際の手すりから手を離して数歩後退した。
バサリと何かが羽ばたく音がして、建物の下から突風が巻き起こる。両手で顔を覆って風圧に耐え、腕の隙間から恐る恐る外を覗くと、
『丸一日も寝ておったから、てっきり死んでしまったかと思ったぞ』
「…………」
太陽を背にして飛翔する爆撃機ほどの大きさの『龍』。太く引き締まった胴体と力強い首に尻尾、青みがかった黒い光沢を持つ鱗に、どの動物のものとも異なる大きく湾曲した角、首筋から背中を通り、尻尾の中程まで生え揃った棘のような背鰭。
金色の光を放っているかのような神々しい双眸に据えられ、奏汰はみじろぎひとつできない。
『空から降ってきた手前、聞きたいこともあるが、まずは礼を言おう』
相変わらず手を顔の前で不自然な形で組んだまま半身の姿勢で固まっている奏汰の眼前、手すりと屋根の間から軽自動車ほどの大きさがある黒龍の首がぬっ、と入ってくる。
『あの時お主が魔法を使ってコアトルどもの気を引かねば、危うく腹を貫かれるところじゃった。感謝するぞ』
フフフフフ、と笑っているかのような規則正しい吐息が奏汰の顔に吹き付けられ、髪の毛と服が大きくはためく。
『ワシの名はゼーファン。見ての通りただの老いぼれた龍じゃよ』
「…………確認」
やっと声を発することができた奏汰に、龍の目がパチクリと反応する。
「今俺の頭の中に響いてきて、自己紹介をした声の持ち主のゼーファンさんは、俺の目の前でホバリングしながら建物に首を突っ込んできてる超巨大な黒い龍で間違いない」
『如何にも。超巨大と申されたが、龍界にはワシ以上の巨躯を持つ龍など数多に飛んでおるよ』
「……………ここは」
一度黒龍―――ゼーファンから視線を外し、外の雲海をチラリと見やる。
「俺の知る世界じゃないみたい………です」
『楽に話せ。しかしなるほど、翼もなく、魔法も満足に使えぬその身一つで空から降ってきたかと思えば、異界からの客人であったか』
建物から首を引き抜いたゼーファンは、そのまま大きく飛翔すると突風を巻き起こして上空へと飛んで行った。
『建物の反対側に来るとよい』
「……念話?」
相変わらず頭の中に直接響いてくる声の違和感の正体にやっと気づいたが、大人しく従って広い建物の中を通り抜ける。相変わらず子龍は寝ていたが、奏汰が近くを通ると両目をパッチリと開けてトコトコと付いてきた。
「とりあえずお前は生物兵器じゃなかったみたいだな。疑ってごめんよ」
理解しているのか、満足げに喉をクルクルと鳴らし、尻尾を左右に振っている姿がとても愛らしい。
「しっかし龍がこの建物を作ったとも思えないしな。一体誰が………」
半ば子龍に聞かせるように口に出した問いだったが、反対側の襖を開けた瞬間にどうでもよくなった。
「…………」
『驚いたであろう。ここは龍界の都アルス、九世界一美しい街じゃ』
ゼーファンの声が頭の中に響いてくる。
「この家岩壁に埋め込まれてなかった?」
『岩山をくり抜いて、中に建物を作っただけじゃ。龍人は龍と自然を重んじる故、環境を壊さぬよう、岩穴に隠れるように暮らすのじゃ』
「隠れるようにって………」
ゼーファンの説明を聞いてもう一度視線を前に向けるが、
「俺の世界のどんな都市よりも派手なんだけど」
豪華絢爛、荘厳華麗、あらゆる美辞麗句を並べてやっと言い表せるほどに美しい中華風の建物が一際巨大な岩山の岸壁に所狭しと作られ、上下方向に巨大な街を形成している。建物の多さでいえば新首都東京市と同じぐらいか。
剣山の頂上には純白の神殿のような建物があり、一際目立つ威光を放っている。
『この都は龍人達の社会の中心であると同時に、都全体が神龍アーク様を祭る祭壇の役割を担っておる』
「神龍……アーク……」
奏汰は神話や伝説が好きだ。ギリシャ神話や北欧神話、アーサー王伝説やメソポタミア神話など、有名なものは粗方網羅している。
しかし少なくともそのどれにも、『神龍アーク』たる存在は登場しない。
「別世界の裏付けがどんどん出てくる」
『して、お主はどの世界からやってきたのじゃ?』
少し前方に、地響きと突風を伴って黒龍の巨体が着地し、ノシノシと歩いてきて奏汰を見下ろす。
「えと、地球の日本って国です」
『ニホン? 人間界にそんな国はあったか?』
「人間界?」
素朴な疑問が口をついて出た奏汰だったが、ゼーファンからは意外な目を向けられる。
『おっと、魔力の流れから人間族かと思ったが、人間界の民ではなかったか。確かに並の人間族とは思えん魔力を持っておるな』
「ちょっと待ってください?」
その話の流れから、奏汰は一つのことを確信する。
「多分だけど、貴方の言う『別世界』と、僕がいた『別世界』は、根本から違うと思います」
『何?』
黄金の双眸が細められる。
「この世界は、いくつもの世界が繋がっているんですか?」
『知らんのか? 言葉が悪くてすまんが、一体どこの常識知らずじゃ?』
「えと、多分、その全部の世界をひっくるめた、さらに外の世界から……だと……思います…………」
一言毎に、黒龍の目が見開かれ、思わずこちらも語尾が弱々しくなる。
『………それはつまり……異世界からの転生者、ということか?』
「あ、そうだ転生! それだ!」
死後の不思議な空間で海翔が口走っていた言葉が脳裏に蘇る。
『………この時期に色々と厄介じゃのう』
龍の表情はわからないが、奏汰の頭に響いてくる声は何やら面倒くさそうな含みを持っている。
「厄介、っていうのは?」
『ワシでは説明が……おっと、ちょうど帰ってきたのう』
ゼーファンの視線の方をみやると、岩山の岩壁をぴょんぴょん飛び跳ねながら小柄な影が二つ登ってくる。
「人?」
『お主の思っている『人』とは違うと思うがの』
奏汰の疑問には鼻を低く鳴らされた。その間にも、影はどんどんと近づいてくる。
「今更ながらすごいことやってるな」
垂直ギリギリの壁の所々に出っ張った岩を足場にしながら、一歩一歩を力強く踏み込み、ゆうに十メートルは跳躍している。
『雷霆龍拳の基礎の一つ『仙気』じゃよ。特別な呼吸法によって全身の力と柔軟性を上げておる』
「すごいなこの世界」
最後の一歩を踏み切り、二人(一人と一頭)の前に着地した二人の人物が、頭から被っていたフードをバサリと後ろへ外す。
「起きたのか人間!」
片方の少年が駆け寄ってきて、奏汰の周りをぐるぐると回りながらあちこちをじーっ、と見ている。
「ふんふん、あのアホみたいな魔法は人間族にしてはすごいと思ったけども………」
「こら」
もう一人が少年の頭に拳骨を落とす。こちらは奏汰と同い年ぐらいの青年女性だ。
「ごめんね、うちのバカが」
「あ、いえ全然お気になさらず。赤坂奏汰です。別世界から来ました」
「おお、やっぱそうか! 龍界じゃ見たことのない服だもんな!」
『別世界から来た、ではなく異世界から転生してきた、という方が正しいぞ』
「「え?」」
呆けた顔をする二人に、ゼーファンがもう一度ふん、と鼻を鳴らす。
『まずは家に入ろうかの』
◇ ◇ ◇
「それでそれで? お兄さんって転生者なのか?」
「そうみたいだな」
抹茶をズズズと啜った少年が身を乗り出して聞いてくる。さっき外を見た感じ農業をしているとは思えないが、濃い目の緑茶だ。うまい。
「これが夢じゃないなら異世界から来たってことになる」
「スゲェ!! 本物の転生者だ!!」
「君たちの名前は?」
ハイテンションな少年はスルーして、その姉らしき女性に問いかける。
「私はステラ、よろしくね。こっちは弟のレオンハルト、レオでいいわよ」
「姉ちゃん! 自己紹介ぐらい自分でさせてくれよ!」
「うっさい」
『ステラもレオもここの道場の門弟じゃよ。他の子等はしばらく戻って来ないじゃろう』
ステラがレオの頭に拳骨を落とした。いたずらっ子な弟に手を焼く苦労人の姉、という関係の構図が見て取れる。しかし、やけに既視感のある建物だと思ったらやはり道場だったらしい。通っていた剣道クラブの練習場を思い出す。
ステラは外見に反して柔らかな声をしていた。二人とも日本人のような黒髪黒目だが、生前……というか前世ではお目にかからなかったほどの美男美女だ。ステラは信乃や星奈にも劣らないほどの抜群のプロポーションを持っており、レオは男らしさが前面的に出てきた海翔とはまた違ったあどけなさが残る人懐っこい笑みが似合う。
「よろしく。手始めにいろいろと聞きたいことがある」
手に持っていた湯呑を置いて、改めて二人と一頭に向き直る。ちなみにゼーファンは襖を開け放した間から頭だけを突っ込んできている。
「俺のいた世界には龍なんて存在してなかったし、魔法も使えなかった。ここはどういう世界なんだ?」
今思えば、あの時助けてくれたのはレオだったのかもしれないのだが、記憶の中にあるレオには翼が生えていたような気がする。
「ここは九世界のうちの一つの龍界よ。神龍アーク様の治める龍の世界。ゼル爺みたいな龍族と、私たちみたいな龍人族が住んでる」
「ドラゴノイド?」
「あぁ」
初耳の単語に奏汰が疑問符を浮かべるとすぐにステラが道着の袖をまくった。腕にエメラルドグリーンの鱗が生えているのが見える。
「龍族の力を身に宿した人々のことよ。こういう感じで鱗とか角とかが生えてる」
「ハハァッ!!」
立ち上がったレオが決めポーズを取って背中を見せつけると、道着の背中部分に空いた穴から一対の翼が生えてきた。黒い鱗と灰色の皮膜でできた、幅二メートルほどの大きさの龍の翼だ。
「どうだ兄者、スゲェだろ」
「俺はいつからお前の兄になったんだよ」
バサリと翼をはためかせながらこちらを向いてどや顔をしたレオの顔を見ても、頭には金色の筋が入った黒いギザギザの角が生えており、頬の辺りにも翼と同色の鱗が生えている。
「しっかし龍人か……海翔が喜びそうだな」
「カイトって誰だ?」
「俺の家族。一緒に死んで………多分一緒に転生してきてる」
『ぬっ!? ちょっと待て。複数人で転生してきたのか!?』
瞼が落ちて半ば寝かけていたゼーファンの金色の目がカッ、っと見開かれる。
「ただの憶測だよ。俺は四人の家族と事故で同時に死んで、死後の世界で会話もした。俺がこうやって新しい世界に来たのに、あの四人が来てないって言うのはな。正直考えられない」
膝の上に載ってきた子龍の顎の下を撫でてやると、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしてきた。そう、全て憶測だ。同時に奏汰の願望でもある。何一つ根拠も確信もない。
「なあ姉ちゃん、転生者五人ってすごいのか?」
「うーん、どうなのゼル爺?」
『転生者が三人いれば神にも勝てる、とは言われておるな』
「んんっ?」
聞き逃せない会話に思わず子龍を撫でていた手が止まる。閉じかけていた瞼がぱっちりと開かれた。
『転生者は何かしらの権能を持っておるのでな。そういえばお主の権能は何じゃ?』
「権能? 超能力的なやつか? 魔法じゃなく?」
「魔法は大体誰でも使えるよ。適正素因は一人一つだけどね」
レオが右手を閉じたり開いたりすると、その表面に紫色の小さな電撃が走った。
「俺は雷、姉ちゃんは風」
「風の魔法なら俺も使えるぞ。空飛ぼうとしてた時に見つけた」
『何?』
同時にフラッシュバックしてきた、ゼーファンとレオが倒してしまったらしい巨大プテラノドンの生態が気になるが、奏汰の発言にゼーファンが居心地悪そうに頭を動かした。
『お主、炎の魔法を使っておらなかったか?』
「ああ、そうでしたね。多分今でも使えますよ」
目覚めた瞬間から心臓の右横辺りにある暖かな異物感。今なら何なのかがぼんやりと分かるが、魔法を使った時をイメージすると胸のあたりの熱が強くなる。
『今はやめておけ。魔力がほとんど残っておらん故、無理に魔法を使うと魔心と一緒に心臓が爆ぜるぞ』
「あっはい」
『しかし二種……レオ、魔石を持ってきてくれぬか?』
「いいの?」
『早いうちに試したいことがあるのでな』
ゼーファンに使いを頼まれたレオは、宙返りで立ち上がったかと思うと慌ただしく部屋を出て行った。
「魔石って?」
「魔力を直接結晶化させたものよ。自分の魔力じゃなくて魔石を消費して魔法を使うこともできるわ」
『最も、製造が困難故に高品質のものはあまりないがの』
ステラの説明にゼーファンが鼻を鳴らす。しばらくすると、石か金属のような素材でできた壺を持ったレオが戻ってきた。
「ほいさ!」
「これが?」
『魔石じゃ』
中に入っていたのは色とりどりの宝石だ。どれも大きさは握りこぶしの中に収まるほど。
『一定の大きさの魔石に込められた魔力の密度――――ワシらは純度と呼ぶ、その高さによって色が変わるんじゃよ。最も純度が低いのが赤、そこから橙、黄、翠、蒼、紫、黒の順じゃ。更にその上になると色が薄くなって透明になるらしいのじゃが、見たことはないの』
試しに一つを手にとって眺めてみる。赤色の宝石をつまむ指の先から、魔心と言うらしい場所から感じるのと同じ温かさが伝わってくる。恐らくこれが魔力なのだろう。
「指で割れるから割ってみなよ」
「いいのか?」
「別にそれぐらいなら私たちでも作れるしね」
ステラに促されて親指に力を入れると一瞬は見た目通りの硬さを感じたが、すぐにパキンッ、という音とともに粉々に砕け散った。同時に、指先に感じていた魔力が手の辺りに漂っているのを感じる。
『その魔力を使って魔法を使ってみよ』
「心臓が爆ぜるんじゃ……」
『お主の魔心に残っておる魔力は皆無じゃからな。そっちからは魔力を持ってこんように意識すればよいじゃろう』
そんな無茶苦茶なと思いつつ、右手に纏わりつく魔力を意識する。魔法は魔力を『変換』もしくは『消費』して使うもの。感じている魔力を炎に変換するイメージを持つ。
「ファイア!」
転生直後に発見した、魔法を使うための式句こと英語を口に出すと、感じていた魔力が消え、代わりに右手の掌の上に赤々と燃える炎が現れる。
「おお!」
レオが興味深そうに机に手をついて飛び跳ね、ステラも口に手を当てて驚いている。膝の上の子龍が居心地が悪そうにもぞりと動いた。
『次じゃ』
「へっ?」
『いいから、次じゃ』
目を輝かせているレオの様子に思わず孤児院の年下の家族たちの姿を重ね、頬を綻ばせていると、ゼーファンが鼻をふんっ、と鳴らした。
『次は炎以外の魔法を使ってみよ』
「ゼル爺?」
「分かった………ウォーター」
風ではテーブルの上のものを吹き飛ばしてしまいそうだったため、異世界の魔法定番、炎と並び立つ水を選んで魔法を使う。
同じく魔石の割れる耳障りのいい音がしたのち、発生した魔力が即座に水へと変換され、
「わっぷ」
「キャア!」
「キュルル!?」
「あっ」
一瞬球形を保った水が、机の上で弾けて周りに飛び散ってしまった。頭から水を被った子龍が膝から飛びのき、ゼーファンの顔の上によじ登ってこちらを見てくる。
「……ゴメンナサイ」
「別に大丈夫だけど……素因魔法二つ?」
ステラもレオもびっしょりと濡れてしまっているが、気にしていないのか会話を続けている。
『なるほど、それがお主の権能というわけじゃ』
「まったくわかりません」
『まず、この世界でいう魔法というのは、魔力を使って行う行為全般を差す』
「魔力を使ってさっきみたいに魔法を使ったり、身体能力を上げたりできるわ」
恐らく風の魔法を使いながら服を乾かしているステラが、ゼーファンの説明に補足してくれる。
「そして、魔法の中でも上位に位置するのが素因魔法。炎や風、水、雷みたいな自然の存在に干渉して操作する魔法よ」
「はへぇ」
『じゃがのう、その素因魔法の適正は、普通一人一つなのじゃよ』
「ああ、オーケー理解した」
要は本来一人一つしか使えないと決まっている属性魔法に対し、奏汰は全てに適性があるというわけだ。
「ラノベっぽく言うとエレメントマスターって感じか」
「おおカッコいいな兄者」
「だろ」
似たようなキャラは大抵の異世界系アニメorラノベに出てきていた気がするが、まさかそのポジションに自分が就くことになろうとは。
「それじゃ、話を進めよう。ゼーファン、俺が立場的にいろいろ面倒なのは分かった。こういう場合戦争に駆り出されたりするんだろうけど、生憎と俺は戦争孤児だ、戦争に加担する気はない」
もう一度座りなおし、お茶を一口飲んでからゼーファンに指先を向けて言う。
「だけど、俺はこの世界に来てるであろう四人の家族を探したい。そしてそれは俺一人じゃ無理だ。だから貴方達龍界に協力してほしい。対価は支払う」
『お主、その発言の意味が分かっておろうな』
「ゼル爺?」
途端にゼーファンの気配が変わった。建物がガタガタと揺れ出し、ステラの静止も聞かずに巨大な牙を剥き出し、その表面に紫電が走る。
生前最期に対峙したクロクマの比較にならない、生物として圧倒的上位に位置する存在からの圧にたじろぎそうになるが、不思議と恐怖は感じない。
「ああ、これは契約だ。俺はこの世界に来たばっかで何も知らないから情報が欲しい。対価として支払えるのは、転生者としての俺自身の価値とエレメントマスターの権能だけだ」
『クァーハッハッハッハァ!! 面白い、気に入ったぞ人間の少年よ』
なおも強気に出ると、圧をかけてきていたゼーファンが巨大な口を開いて大笑いし、焦げ臭い匂いのする吐息を奏汰に吹き付けた。
『龍界の騎士でもお主程の胆力の持ち主はおらぬじゃろうな』
「ありがとうございます、それで」
『うむ、我が名においてお主の友人たちを探す手助けをしてやろう』
「よし」
龍の世界で龍の協力を取り付けることができた。街の規模から見ても、捜索願いを出せばすぐに他の5人の情報は集まるだろう。
あとはーーーー
「………」
部屋に謎の音が響き渡った。謎の、と言いはしたが実際には奏汰の腹の音だ。
「ッダッハッハッハッハッハッ!!」
『そういえば人間族は一日何も食わんだけでも死ぬんじゃったのう』
レオが机をバンバン叩きながら大笑いし、ゼーファンがまた鼻をふんっ、と鳴らした。
『レオ、ステラ、着替えたらソータを連れて街で食事をとってきなさい』
「やった! 姉ちゃん、屋台横丁行こ!!」
「何言ってんの鏡月通りに決まってるでしょ」
「けちー」
どたどたと走っていった二人は随分と仲がよいようだ。透華と蓮を思い出させる。
『ステラはこの道場の師範の一人娘じゃ』
ゼーファンがゆったりとした優しい声を発した。
『レオは野生の龍に育てられたんじゃが、親の龍が殺されてのう。野生の龍ほどに気性が荒かったレオを宥めたのがステラじゃ』
ずっと昔から二人を見守ってきた、そんな表情。
「俺も、血は繋がってない家族がいる。四人もね」
『大事にしなさい』
「分かってます」
もう一度五人で暮らすのだ。今度こそ、悔いがないように。
◇ ◇ ◇
「すんげぇぇぇぇぇ!!」
「だろだろー?」
改めて街に入ってみると思っていたよりも様々なものが溢れていた。数年前に行った闇市も似たような雰囲気だったが、あの時とは違い、道行く人々が皆活気に包まれている。
「龍界の街はどこもこんな風なのか?」
「まさか。龍界にいる半分ぐらいのドラゴノイドはここで生活してるけど、外にもたくさん町はあるわよ。でもここまで発展してるところはないわね」
街の景観から察せられたが、中華風の羽織に着替えてきたレオとステラは、混雑した街の通りをずんずんと進んでいく。
「しっかし…見られるな」
「え? ああ」
ほかの住民たちもほとんどが似たような出で立ちなので、一人だけジャケット姿の奏汰に視線が集まるのも無理はない。
「兄者がイケメンだからじゃないか?」
「お前らに言われてもなぁ」
奏汰は、顔面偏差値が限界突破している海翔や、悪戯っぽい笑みが似合う大地、クールな印象の叶とは違い、外見で女子の興味を引くことはない。信乃や星奈、赤坂兄妹いわく『目鼻立ちは整っているから前髪を上げればモテる』とのことだが、あまり目立ちたくない故に実行してこなかった。
しかも今は、さすが異世界としか言えない超美形姉弟と連れ立って歩いているため、むしろ値踏みの視線といった感じがする。というか全体的に住民の顔の造形がいい。
「ソータって言ったわよね、どうせなら服も買っちゃう?」
ステラが振り向いてそう言ったが、しばし腕を組んで思案する。
「いや、いいよ。見られるってだけで俺に危害が及ぶわけでもないし、服に費やすお金があるなら美味しいもの食べたいな」
「じゃあ俺様がオススメするイチオシの屋台に……」
「おい!! ステラ!!」
フラグ回収の匂いがする、と思った瞬間には謎の一団に取り囲まれていた。ステラの名前を知っているということは知り合いだろうが、どうにも空気がピリついている。
「アムレス、取り込み中なのが分からない? 後で相手してあげるから失せなさい」
「その取り込んでるそいつに用がある。どこのどいつだ?」
行く手に立ちふさがった、奏汰より少し上、海翔ほどの背丈の龍人はアムレスという名前らしい。長い紺色交じりの黒髪を束ねた青年は奏汰をチラリと見てまたすぐにステラへと視線を向けた。
「関係ないでしょう」
「雷霆龍拳の新しい門弟か?」
「話を聞きなさい。あなたには関係ない」
「……アムレス兄は姉ちゃんのことが好きなんだ。でも門派が違うし俺のことが嫌いだからいっつも姉ちゃんを引き抜こうとしてるんだよ。俺はアムレス兄のこと気に入ってるけどね」
「ストーカーか」
話を聞かないアムレスとステラの問答に戸惑っているとレオが耳打ちして教えてくれた。確かにステラは美人だ。信乃のようなほわんほわんとした可愛らしさや星奈のような快活な雰囲気とは違う、透華のような凛とした大人らしさを醸し出している。アムレス君が惹かれるのも分からんでもない。
「レオンハルト、黙れ」
「アムレス、黙るのはあなたよ」
アムレスがレオを睨んだ瞬間、辺りを一陣の風が吹き抜けた。ステラを中心に旋風が発生している。他の住民からしたら日常茶飯事なのか、距離を取ってはいるものの止めようとする大人はいない。
「いつも通りの立ち合いならこの場で受けましょう。そうでなければ今すぐに下がりなさい」
周りをアムレスの仲間たちが取り囲んでいるが、多勢に無勢を気にもしていないようだ。
「龍界の武術の鉄則で、多数での奇襲はご法度なんだよ」
「なるほど。加勢はいらなさそうだな。大分回復はしたけどもうしばらくは動きたくない」
ステラの気迫に押されたのか、しばし視線を交錯させていたアムレスは、一度大きく舌打ちをすると翼を大きく広げ、他の門弟共々飛び去って行った。
「ごめんね、面倒ごとに付き合わせちゃって」
「面倒には慣れてるから大丈夫だよ。にしてもあいつ…」
どこかで見たことがある目だと思ったら、生前散々見てきた嫉妬の視線だ。ぽっと出の奏汰がステラの隣に立っていることが気に入らなかったのだろう。
しかしそれ以外に気になったのはレオへの視線だ。あれではまるで―――
「兄者? どうしたんだ?」
「何でもない、腹が減って死にそうだ」
「早く行きましょ。レオ、屋台通りでいいわよ」
「よっしゃあ!!」
ステラに財布を渡されたレオは、屋根をぴょんぴょん跳び伝って通りの奥へと駆け抜けていった。
「……」
「何か言いたそうだな」
「…気づいた?」
「言わない限りこっちから聞きはしない。だけどあんま一人で思いつめんなよ? 俺の家族にも、一人で全部抱え込んでたやつがいるけど、大体は後になって後悔するもんだ」
おそらく、アムレスがレオを嫌っている理由とも関りがあるのだろう。異世界転生という馬鹿げた状況に陥った自分を助けてもらって、さらに右も左もわからないこの世界で面倒まで見てもらっている。そんな相手の内情を、わざわざ踏み込んでまで詮索するつもりもないが、恩を返す意味で力にはなりたい。
「意外と慎重なんだね。さっきゼル爺と話してた時もだけど、うちのお父さんみたいに一言一句に神経を張り詰めてる感じがする」
「意外ってなんだ意外って」
「フフッ、ありがと。ソータが信頼できるようになったら話してあげる」
やはり纏っている雰囲気が大人びている。まだ信頼されてはいないが、心の内を他者に開いてくれたということに少し安堵した。
「さ、行きましょ」
再び歩き出したステラの背を見失わないように、再び通りを歩きだした。
◇ ◇ ◇
「兄者! こっちこっち!」
食べ歩きを始めて一時間ほどが経過した。一日の間何も口に入れずに寝倒していた奏汰の胃も膨れ、今はレオの食べたいものの屋台を回っている。
「なにこれ」
「ガフの串焼きだよ」
ガフというのは、龍界にいる動物らしい。レオの説明によるとゾウのような大きめの動物とのことだが、肉の触感は鳥と豚を足して二で割ったような感じだ。
「うまいな」
「だろー?」
こんがりと焦げ目のついた串焼きは、やや脂っこいがしつこすぎることもない。脂身自体が知っているのとは別物のようだ。間違いなく海翔が喜ぶ味である。
「ん?」
串にひっついていた肉片を齧っていると、奇妙な感覚を覚えた。どこかから大勢に見られているが、敵意はない。
「ステラ、レオ、見られてるんだけど心当たりない?」
「え? またあのクソ…」
「アムレス君じゃないと思うよ」
ステラが拒否感を顔に出す前に否定して辺りを見回す。屋台の店主と話す老人、丼に入った麺を啜る家族連れ、通りを駆けていくどこかの武術の門下生。怪しいところはない。
「兄者の権能か?」
「あんま外で口にするなよ。権能じゃないけど…まあ勘だ」
「ふーん」
二人とも何気ない風を装っているが、放つ空気が変わった。周りに気を配りながら串焼きを食べている。
「怪しい奴はいないわね。ていうか、こんなところで襲撃してくるやつがいるわけないでしょ」
「それもそう……か…あ?」
串焼きで汚れた指を舐めていた奏汰の視線の先、不可思議な存在が目に入る。
一人のドラゴノイドがこちらを見ていた。街を行き交う住民や、レオ、ステラとは違い、頭の角や翼は目が眩みそうな金色だ。普通の龍人と比べて目立ちそうな外見である上に、通りの真ん中で翼を大きく広げている。なのに誰も気にしていない。まるで見えていないかのようだ。
中性的な顔立ちに、翼と同じく黄金の長髪、そして腰に差した同色の剣……剣?
「ステラ、あいつ剣持ってるぞ」
「……」
「ステラ?」
呼びかけても返事はなく、隣に視線を向けて、
思わず一瞬の間絶句した。
「おい、ステラ!! レオ!!」
時が止まったかのように二人が固まっている。レオはあくびをかいている姿勢、ステラは口元を拭いている姿勢で、二人とも微動だにしない。
いや、二人だけではない。串焼きを客に渡している屋台の店主も、通りを駆け抜けていく子供たちも、視界に入る全員の動きが止まっている。
「ッ!!」
慌てて振り返ると、やはりあの龍人だけがこちらを意思の宿った眼で見続けてきている。と思いきや、こちらに向かって歩いてきた。
「十メートル以内に近づくな。身の安全を保障しかねる」
二人を守るためにベンチから立ち上がり、両手に魔力を送って手のひらの上に小さな炎と風の塊を発生させる。エレメントマスターがこの世界では異常な存在だというなら、攻撃はせずともはったりで乗り切れるかもしれない。
「ほう、全素因適正か」
しかしそれを意に介した様子もない龍人はさらに歩を進めてきた。体を半身にして身構え、右手の炎を暴れさせる。
「最後の警告だ」
辺りに熱風を撒き散らしているが、空の上から落ちてきた時とは違い熱さは感じない。ならば遠慮せずに最大まで威力を上げた一撃を放つ。魔心が熱くなってきた。
「ふむ、及第点と言ったところだな」
しかしいざ放とうと照準を合わせた時、目の前の龍人がパチンと指を鳴らし、その瞬間に炎の球弾が跡形もなく焼失した。
「なっ!?」
「まあ一旦落ち着け。ここは我の作り出した虚空間……と言っても分からんか。もとの時空から切り離した空間だ。語るのに時間を気にせずともよい」
「あんた誰だっ……!!」
あっけにとられる奏汰の横を通り過ぎ、先程まで座っていた向かいにあるベンチに腰掛けた黄金の龍人は、奏汰の問いに思案顔を作った。
「我が誰か、か。貴殿ならわかるのではないか? 最も賢き異界の英雄よ」
「……神龍アークか」
彼(彼女?)は『最も賢き異界の英雄と』言った、すなわち奏汰のことを転生者として認識している。加えて次元を超越した空間まで生み出す能力に、龍族のお墨付きがある転生者の魔法を打ち消す力。
疑う余地はない、こいつが神だ。神が一体何の用だ。
「先に言っておこうか、我に敵意はない。むしろ協力したくて来たのだ」
「誰が何するのに協力するって?」
「決まっているだろう、貴殿の友人を探すことだ」
「嘘だな」
神のこめかみがピクリと動く。
「さっきゼーファンに聞いたんだよ、転生者は三人いれば神にも勝てるってな。お前は俺だけじゃなく俺の家族のことも警戒してる。悪いがどこの馬の骨かも分からない神に、俺の家族を狙わせはしない」
「ふむ、やはりログノーツのシステムに選ばれただけのことはある。慎重すぎても敵を増やすだけだがな」
「何?」
システムだの選ばれただの、一体何を話しているかが分からない。
「まあよい、自己紹介が遅れたな。我が名はアーク、創造神より生み出された『無限』の秩序を司どる秩序神が一柱にして、全ての龍と龍人の祖である」
大仰に自己紹介をした龍人は、やはり近くで見ても異質だ。中世的な容姿と声をもつ欧州人然とした姿に、翼の被膜から鱗の一枚一枚に至るまでが全て黄金の光を放っているように輝いている。
「話したいことがいろいろとあるが、生憎と時間がない。もうすぐこの街は襲撃される」
「は? 襲撃だぁ? 誰に?」
「厄災。この世の全ての生けるものの敵。具現化した怨念」
二つのベンチの間に黒い泥のような物体が現れ、気味の悪い動きを繰り返した後に固まって人型の怪物へと変化した。黒い泥で人間を下手に作り直したようなその怪物は、ファンタジーの世界においても存在自体が歪に感じられる。
「人の悪意や害意によって強くなる怪物だ。ここ数年、奴らの動きが活発になってきている」
「なんで俺に話した?」
「そうだな。貴殿と貴殿の仲間たちがこの怪物と戦う未来が見えた、と言えば信じるか?」
「………」
この神を自称する龍人の言うことを信じてもいいのか。もしこの話が本当なら、さっきの厄災とか言う怪物にこの街だけではなく信乃や叶たちも襲われ……………ん?
「あいつらも転生してきたのか?」
「ああ、龍界とは別の世界だがな」
「……………………」
「どうした?」
「…………そうか、そうかぁ」
胸の奥で閊えていた物が取れたような感覚がする。涙は一旦飲み込み、ベンチにもたれて天を仰いだ。あの四人、前世で守り切れなかった家族もこの世界にやってきている。その事実だけで十分だ。
「………家族か、いい響きだ」
心を見透かしたらしいアークが、向かいのベンチで足を組んだまま深々と嘆息した。
「神にも家族はいるのか?」
「この世の神々は皆創造神の子、即ち全員が兄弟姉妹だ……………いや、だったと言うべきか」
後半は何を言っていたのかうまく聞き取れなかったが、アークはベンチから立ち上がり、遠くアルスの山の頂上にそびえ立つ神殿の方を見上げた。
「それで、引き受けてくれるか?」
「………構わない、でもいくつか質問がある。まず、俺はまだこの世界の云々を何も知らないし、そこまで魔法をうまく扱えない。そんなんでこの化け物を倒せるのか?」
アークが作り出した厄災というらしい怪物のホログラムを拳骨で叩こうとするが、その手はすり抜けてしまう。奏汰の問いにアークは首を縦に振った。
「その通り、倒せない」
「倒せないのかよ。倒せる流れだったろ」
今頷いたのは何だったのか。
「厄災というのは、人の負の感情が具現化した存在だ。しかも奴らの王たる厄災王ウロボロスがいる限り無限に生み出される」
「概念が怪物になることってあるんだ」
「奴らはこの世界にとっては異物だ。人だけでなく、魔獣や魔物にとっても外敵に当たる」
アークが厄災のホログラムの頭部を掴んで握りつぶした。辺りに泥のような黒い何かを撒き散らしながら厄災の全身が弾け飛び、出てきた時と同じように地面へ吸い込まれていった。
「そして、我々神々にとっては天敵ともいえる存在だ」
「何故に?」
「………今はまだ話せん」
少し歩いたアークは、静止した世界の屋台からガフの串焼きを勝手に取り、立ったまま食べ始めた。
「貴殿は、英雄とは何だと思う?」
「何急に? 俺は中二病じゃないぞ」
「いいから答えろ」
口を動かしながら唐突に関係ない問いを投げかけてきたアークに思わず渋面を作る。
「…英雄か。人々を守って敵に立ち向かう存在、かな?」
「ふむ、及第点といったところか」
「ぶっ潰すぞ」
状況さえ違えば手が出るところだった。
「尤も、正解は我にも分らぬ。長きに亘って答えを持つものを探し求めてはいるのだが、生憎と
な」
「英雄ねぇ。お前にとっての英雄は誰なんだ?」
唯一無二の英雄だった祖父の最期の姿を思い出しながら、今度は奏汰が問いかける。
「我にとっての英雄、か。それが分かれば苦労はせぬ。哲学とはこうも長きに答えが出ないものだな」
「お前何歳?」
「千と少しだ。今や死んでいるも同義だがな」
歯の間に詰まった肉を鋭い爪で取っていたアークは、問答の間、少し悲しげな表情を見せていた。信乃に関係する悩みにぶつかった海翔に似ている。
「もう時間だ。この街と民を頼んだぞ」
「ちょ待て待て。俺じゃ厄災を倒せないんじゃないのか?」
「それは魔力に制限があるからだ。先刻我の権能を用いて貴殿の魔心に少しばかり細工をした故、しばらく…明日の陽が昇るまでは無限の魔力を扱えよう。貴殿はこの世界で全ての素因を扱える唯一無二の存在だ。出し惜しみはするなよ」
「バランスブレイカーじみたチート能力をどうもありがとう」
神というのは予想通り何でもありのようだ。転生者が三人いても本当に勝てるのか怪しい。
「貴殿がまだ自分の強さに気づいていないだけだ。力には責任が伴うとはよく言ったものだが、裏を返せば背負うこと即ち強さとも言える」
奏汰の肩をポンと叩いたアークは、そのまま横を通り過ぎ、振り返った時には姿が消えていた。
『真の英雄とは、一体何を背負っているのだろうな』
再び動き始めた世界に、アークの声が響いた。
レオンハルト:わんぱく少年
ステラ:クールビューティー
ゼーファン:孫大好き老龍
子龍:名前未定
アムレス:ストーカー