02 海翔はチート主人公の夢を見れない
魔神王。神と王という究極の称号二つを名乗る男を前に、海翔は内心こんがらがっていた。
「お前たちは外せ」
「御意に」
アルザストが手を一振りすると、杖をついた老人が頭を下げ、残りの三人を引き連れて部屋を出ていった。ベッドから見て部屋の反対側に丸テーブルがあり、アルザストはそのとなりの二つの椅子の片方に腰掛けた。
「掛けよ」
もう片方をの椅子を指し示され、大人しく座る。
「貴様のことを話せ」
「………名前は高橋海翔、前世は戦争に巻き込まれた感じで死んだ」
「戦争か………嫌なものだな」
アルザストが紅茶を啜りながら小さく呟く。
「権能について心当たりはあるか?」
「権能?」
「知らぬのか?」
呆れたような表情を向けられたが、目が覚めたら異世界にいたこっちの身にもなってほしい。
「いや異世界から来たのに知るわけないだろ。そういうのがあるかもとは思ってたけど」
「転生者は、みな平等に神々の恩恵を受ける。来る道中でエレインという名の神に会わなかったか?」
「エレイン? いいや?」
海翔の返答を聞いたアルザストは、今度は少し悲しげな表情で顔を伏せた。
「どうかした?」
「……いや。やはりあやつも死んだのか」
「この世界の神様って死ぬんだな」
「貴様の世界は違うのか?」
「俺の世界の神様は、いたとしても俺たちは認知してなかったね。俺が知ってるのは、俺の世界にあった異世界のお話のことさ」
「それはまたいつか、時間のあるときに聞かせてもらおう」
アルザストが指を鳴らすと、テーブルの上にチョコレートのような黒いチップが入ったクッキーが皿に乗って現れた。すかさず両手を伸ばして片手に三枚ずつクッキーを掴みながら、今度はこちらから質問する。
「その権能ってやつについて教えてくれ」
「礼儀を知らんのか」
「俺は誰かを敬ったことはない。ついでに、食えるときには食えるだけ食う」
「まあよい。俺も配下に礼儀を強いることはないからな」
一口で一枚のクッキーを食い散らかしている海翔に、何を思っているのか嬉しそうに目を細め、アルザストは足を組んで語り始める。
「転生者は、異世界に渡る時にもとの世界の秩序――――神々が作った世界の仕組みだな、その一部を受け継ぐ。それが潜在的な能力として顕現したもの、それが権能だ」
「異世界チックだけども難しいな」
「理解しろとは言わん。聞き流せ。転生者の権能は所有者自身の力量や技能によって変化するのだが…」
そこで一旦話を切って、アルザストがこちらを見ながら紅茶を啜る。技能、技能………
「運動神経一極型。頭使うことはてんでダメ」
「だろうな。ならば魔法能力の系統ではなく、身体能力に関わるものだろうな」
「身体能力強化か………」
異世界系ファンタジーにおける拳闘士やストライカーといったジョブが脳裏に浮かぶ。ひょっとしたら強いのではないだろうか。
「体内の魔力をコントロールして、体を頑強に、俊敏に、超常的にする魔法がある。同じ系統でも権能となれば桁違いだろうな」
「なるほど、それなら……ちょっと待て」
左手に持っていた最後の一つのクッキーを口に入れようとしたところで、海翔が動きを止めてアルザストを見やる。
「何か隠してんな?」
「ほう?」
「お前が、『心当たりがある』って言ったのは、別の転生者のことじゃないな。転生者はこの数百年、現れてないってさっき言ったろ」
「なるほど、その通りだ」
珍しく知能が仕事をした。いつもなら残りのメンバーからの拍手喝采が巻き起こるが、それがないことに小さくない寂しさを感じる。
「なら、お前は何か別の方法で、転生者の権能について調べたんだ、違うか? まさか俺が寝てる間に人体実験でもしたんじゃねえよな。知ってること大人しく吐け」
「察しがいい。貴様が降ってきたときに、二、三十発ほど魔法を放たせてもらった」
「ぶっ!!」
クッキーでアルザストを指しながら、どや顔で推理をかまして紅茶を啜っていたが、アルザストの暴露に口の中のものを全部吹き出す。
「ああっ!? 魔法!? 殺す気か!?」
「案ずるな。生きているではないか」
「………それもそうか」
咳き込みながら憤慨する海翔だったが、正論を叩き込まれて納得してしまう。
「バカだから説明してくれ」
「ああ、おそらく貴様は何かしらの力によって体が保護されている」
「保護だあ?」
海翔が頬を引っ張ったり二の腕を触ってみたりするが、触覚も痛覚もある。
「いや全然」
「常時発動ではないようだな。しかし、我が魔法はそこらの一流魔法使いなど到底及びも付かぬ力のものだが、なかなかどうして、貴様の体に傷一つ付けることは叶わなかった」
アルザストが手をヒラヒラと振りながら続けるが、その目は笑っているようにも見える。
「我が神眼にも見透かせぬ、この世界のものではない秩序が、貴様を守っている」
「……マジかよ」
思っていたよりもちゃんと強い異世界転生特典に、クッキーを口に運び続けていた海翔の手が止まる。
「どんなのかは?」
「言った通りだ。貴様の身体を、より頑強なものにする。権能を持たずとも、体内の魔力をコントロールしてその耐久性を高めることは可能だが、やはり転生者の権能となると次元が違う」
指を鳴らして空になったクッキーの皿を消し、カップに残った紅茶を飲み干してアルザストが立ち上がる。
「来い。貴様の権能の、より深淵を覗いてやる」
◇ ◇ ◇
「なあ魔神王」
「アルザストでよい」
「なあアルザスト、俺恋人探しに行きたいんだけど」
長い廊下を歩くアルザストに後ろから声をかける。
片側の壁は全て大きな窓がついていて、城の中庭を人々が歩いているのが見える。反対側には絵がズラリとならんでいるが、恋人が芸術家志望とはいえ、審美眼に乏しい海翔では絵の価値はあまり入ってこない。
「その気持ちは分かる。だが、貴様はどのような世界から来た? その世界に魔法や権能のようなものはあったのか?」
「あるわけねえだろ。あったらこの年で死なねえよ」
「ならば、この世界での生き残り方を善意で教えてくれようとしている相手の提案は受けておくべきだと思うぞ」
何度目かの廊下の角を曲がると大きな広間に出た。玄関ホールのようだ。正面の壁には簡素だが大きなドアと、色とりどりのステンドグラスが見える。
辺りを見回すと、玄関から入って正面の壁に、交差された二本の剣を真ん中にして数々の武器が飾られているのが目に入る。
「あれは神器という代物だ。神々の秩序が流し込まれた、一本一本がこの世に二振りとない業物だ」
「おお……」
直接的な異世界要素を初めて目の当たりにし、思わず声が漏れる。
アルザストがコツコツと壁に歩みより、真ん中の剣の片方、刃の半分が黒、もう半分が白の長剣を掴むと、途端に辺りの空気が震えだし、天井のシャンデリアが揺れ始めた。
「易々と使えば軽く世界の理が変わる」
「これカッケえな」
海翔が指を指したのは身の丈以上の大きさの大鎌だ。刃は禍々しい青色と赤色が混ざった光を発している。
「これは?」
「それも神器の一つ、時間と空間を司る律神ゼノのものだ。やつが死ぬ手前に俺のもとに送ってきた」
海翔が恐る恐る刃に触れるとヴォオオオンと鎌が振動し、すぐ何もなかったかのように動かなくなった。
「ほう」
「どうかしたか?」
面白そうな顔をして腕を組むアルザストに、刃の光っている部分をツンツンと触りながら聞く。
「いや、神器は神の秩序の一部を具現化させたものだ。並の人間が触れればその箇所から存在が抹消される」
「先言えよ馬鹿!!」
一瞬で手を引っ込めた海翔は、さっきから重要なことを言うのが遅すぎるアルザストに大声で怒鳴る。
「神器に触れることが出来るのは、同じ神しかいないはずだ」
「ん? じゃあなんで……」
「分からぬ…………いや、なるほどな」
最後の言葉は海翔には届かなかったが、アルザストはぶつぶつと独り言を繰り返す。
「ていうより俺達どこ向かってんの?」
「闘技場、という言葉なら分かりやすいか?」
玄関の扉を開けると、海翔が起きたときに部屋にいた長髪のたくましい女性がいた。片目は吠える狼の頭が彫られた銀の眼帯で隠されている。
「閣下」
「闘技場は空いているか?」
「先ほどまでザグレアが隊の訓練を。今から私の部隊ですが空けておきましょう」
「助かる」
そこでその女性は意味ありげに海翔に視線を向ける。
「あぁ、カイト、こやつは我が魔神王軍の第三将イドラ・エインだ。俺を除けば魔界で最も速いぞ」
「おぉ、最速ってカッコいいですね。よろしくお願いします」
海翔の目に映ったイドラの第一印象は、『アマゾネス』だ。海翔やアルザストに比べれば色黒の肌をした腕に無数の傷跡が残り、後ろ腰には二本の独特な形の剣を差している。
だがそれ以上にどうしても気になるのは、羽織っているマントを除けば、どう見ても素肌に甲冑を直接着てるようにしか見えない。
「寒くないんすか?」
「おっと、坊やには少し刺激が強かったかな」
「俺には世界中のどの女性でも太刀打ちできない、至高の恋人がいるのでね」
イドラがいたずらっ子のような顔でニヤリと笑ってマントの前を閉じるが、海翔は肩をすくめるだけだ。そして改めて右手を差し出す。
「転生者の高橋海翔です。よろしく」
「イドラ・エインだ。閣下には最初期から使えている。いつか手合わせ願いたいものだな、少年」
イドラがその手を力強く握り返す。
「では行くとしよう」
アルザストが歩き出したので、手を振るイドラに見送られて、再び着いていく。
「イドラは俺が転生した百年前より、ゼギア、セルム、ザグレアと共に俺に仕えている」
「やっぱ魔族は寿命が長いのか」
「四百歳ほどで高齢とは言われるな」
アルザストにあれこれ質問するうちに、石造りの円形の建物に入った。
「さて、早速始めよう」
「よっしゃあ!!」
「と言いたいところだが、すでに見当はついている」
やる気をへし折られてずっこけそうになった。
「お前頭いいのか? もしかして俺と違う人種か? 考える時間があったら拳で全部解決するタイプじゃないのか?」
「よく言うだろう。神は全能にして全知。世界の全ては神の掌中」
「クッソそうだコイツ神だった」
アルザストが手をかざすと、その手のひらの上に、紫色の光で何重もの円と、その上にびっしりと書かれた、見たことのない文字が浮かび上がった。
「うおおお何それ!?」
「よく見ておけ。全ての魔法は等しく魔方陣を描く必要があるが、魔法の難易度は基本的に魔方陣の複雑さだ。円や文字が多いほど、描くのが難しくなる。より精密に描いた魔方陣ほど、より正確で強力な魔法を行使できる」
神器に続く二つ目の異世界要素を見てテンションが上がる海翔の前で、その魔方陣がひときわ強く輝く。すると次の瞬間には、アルザストの手に先ほどの大鎌が握られていた。
「神器は神しか使えぬ、と先ほど言ったが、神でなくとも使う方法はある」
アルザストがそれを海翔の方にひょいと投げ、海翔が慌ててキャッチする。重厚で禍々しい見た目に反して全く重さを感じないこと以外に特に異常はなく、無論海翔の体にはなんの影響もない。
「一つは、体の中に幾重もの反魔法を張り巡らし、神の秩序による侵食を防ぐこと」
アルザストが今度は別の魔方陣を描く。おそらく反魔法とやらの魔方陣だろう。円の数はあまり変わっていないが、文字の数が桁違いに多い。
「反魔法は、相手の魔法を妨害するために使うものでな。陣を描かず、ただ魔力を固めただけの魔力障壁よりはよっぽど強いが、いかんせん難易度が高い」
魔方陣からどろりと液体状の光が漏れでて、アルザストの右腕をスライムのように包み込む。
右の肘から先を全て包み込むと、色が薄れて跡形もなく消えた。だが、アルザストの腕の表面から、白い光の粒子が立ち上っている。
「しかも神の秩序を退けようとするならば、よほどの魔法技術と魔力が必要になる」
アルザストが軽く手を振ると、フッと腕の光が消える。
「もう一つは、神器の秩序に適合すること。簡単にいうと武器に選ばれることだ」
「適合?」
海翔の問いかけに、アルザストは強く頷く。
「この魔界に住んでいるのは魔族だが、彼らは俺がこの世界に降臨したときに魔神ガイザレアスの秩序の恩恵を受けた。その結果、普通の人間に比べて莫大な魔力と強靭な体を持つ種族へと昇華した」
「ふむふむなるほど」
「つまりどの魔族も皆、魂の奥深くには俺の司る秩序であった『反転』の秩序が刻み込まれているのだ。稀にその魂に刻まれた秩序が強いものが現れるが、その者達のさらに極一部は俺の秩序の影響を受けにくい故に、反転の秩序から作られた俺の神器を扱うことができる」
「つまり、お前の眷属の中でも血が濃い連中ならお前自身の秩序の侵食を受けないってことか?」
「血が濃いだの薄いだのの話は好かんが、まぁ間違ってはいない。ちゃんと理解できているではないか」
「こういう異世界チックな話はスーッと頭に入ってくるんだよね」
鎌で遊びながらも要点をついている海翔の話に、アルザストも感心する。
「とすると? 俺はそのゼノさんの秩序を魂に持ってるのか?」
「いや、転生者の権能はもとの世界から引き継いできた秩序の一部だ」
鎌をアルザストに投げ返して海翔が問う。その鎌を手の一振りでフッと消し、アルザストが続ける。
「そして貴様が引き継いできたのは、おそらく『時間』もしくは『空間』の秩序だろうな」
「めっちゃ強そうじゃん」
「それならば貴様の権能にも説明がつく。体が存在する空間か時間を今この場所から切り離せば、周りからの影響は一切受けない」
「…………なんかいたなそんなキャラ」
海翔の脳裏に蘇るのは、もとの世界にあった某有名ライトノベルに登場する大罪なんとやらの一人だ。稀に見るクズだったので覚えている。
「試しにやってみよ」
言いながら、アルザストがいくつもの魔方陣を描く。先ほど鎌を召喚したのや、反魔法のものとは比べ物にならない大きさ、複雑さ、そして数。
「『ガルトナーヴァ』」
アルザストが唱えるのと同時に、その背後の空間にいくつもの炎が上がる。
炎はより大きく黒くなり、闘技場の半分を十個ほどの巨大な黒い太陽が覆い尽くした。
「さて、権能を使え。こいつをぶつけてやろう」
「間違いなく死ぬ気がする」
「安心しろ。死ぬときは一瞬だ」
「なんのフォローにもなってない」
朗らかに笑うアルザストとは対照的に、殺す気がないとわかっていても顔が曇る。
「貴様が降ってきた時はこれよりさらに上位の魔法を放ったのだ。どうということはない」
「はいはい、やればいいんでしょ。でどうやってやるの?」
アルザストがニヤリと笑っていった。
「権能に名をつけて、その名を言うがよい」
「……それでいいのか?」
「魔法にしろ権能にしろ、使い方は根本のところで同じだ。構築した魔方陣を発動させるため、権能の秩序を目覚めさせるためのトリガーが、名だ」
アルザストが別の魔方陣を描く。
「召喚『ガイザレアス』」
真っ黒な魔方陣が組み上がり、アルザストが名を唱えると、白と黒の剣身を持った長剣が、魔方陣の中心から浮かび上がってくる。
「名は強い力を持つ。故に、魔法や秩序の力を解放させるには最適だ」
「名前……名前ねぇ……」
ライトノベルの主人公達が技名を叫ぶ理由はそれか、と納得しつつ、技名を考える。
「時間、空間。確かアレの名前は……」
納得したような顔で、剣を肩にかついだアルザストを正面から見据え、海翔が口を開く。
「『クロノス』」
どこからともなく重い鐘の音が鳴り響き、海翔の全身から白と黒の小さな立方体の粒子が立ち上る。周りの全ての色が一瞬にして無くなり、アルザストもその背後の黒炎も微動だにしない。
時間が止まった白い世界で、海翔は一人立っていた。
「……………すげぇ」
そのままアルザストの目の前に進んでみるがなんの反応もない。黒い太陽にもゆっくりと触ってみる。熱くはないが、触っている感覚がある。試しに全力で蹴り飛ばしてみるが、何度やってもなんの影響もなく、脚にも衝撃が響かない。
「これどうやって解除するんだ?」
もともと立っていた場所に戻ってきてそう呟く。まだまだ余裕だがやけに疲れる。
「………権能解除」
それっぽいことを小声で呟くと鐘の音が止まり、一瞬で世界に色と動きが戻る。
「思い付いたか?」
アルザストが問いかけてくる。
その背後で海翔が蹴り飛ばした黒炎の一つが大音響を立てて吹き飛び、闘技場の壁にぶつかって爆発した。かなり広い闘技場の真反対で爆発したにも関わらず、海翔の体が五メートルほど吹き飛ぶほどの大爆発だが、闘技場は相当頑丈なのか傷一つ付かない。
「……何をした?」
「なんもしてないことはないけど……」
残りの黒炎と神器を消して歩いてきたアルザストが、手を差しのべて海翔を引き起こす。
「名前言ったら周りの時間が止まって、その間にあの太陽にちょっかい出してたら権能解除した瞬間にぶっ飛んだんだよ」
「ふむ……」
アルザストはしばらく考え込んだが、指を鳴らすと再び大鎌が現れた。
「さっきからそれどうやってんの?」
「技を極限まで磨けば、いちいち魔方陣など書かなくてもよくなる」
鎌を片手で地面に突き立て、アルザストが顎で海翔を指し示す。
「もう一度やってみよ」
「……『クロノス』」
再び世界から色が消え去り、どこからか鐘の音が聞こえてくる。
しかし、今回は一人ではなかった。
「ふむ、虚空間か」
「えぇなんで?」
何故かアルザストが同じように動いていた。手に持っている大鎌の刃の青い部分がヴォオオオオンという音を発しながら震動している。
「俺の権能最強論が秒で消滅したじゃん」
「この鎌を持つものはあらゆる時間的、空間的束縛を受けなくなる。遠方に一瞬で移動することもできる」
アルザストが鎌を大きく一ふりすると、色のない世界に亀裂が走り、ガラスが割れるような音とともにもとの世界に帰ってきた。
「しかしどうやら、貴様の権能が干渉できるのは時間だけらしいな」
「なんで分かったん?」
「あの世界でゼノの鎌が反応したのは時間の秩序のみ。空間の乱れはあの世界に存在しなかった」
鎌を消しながらアルザストが歩き出し、その後ろについていきながら海翔が尋ねると、すぐさま答えが返ってくる。
「だがその権能は強力だぞ? この九世界には、あの鎌以外、貴様に対抗できる存在はいなかろう」
面白いものを見たとでも言うように笑いつつ、アルザストが闘技場の入り口に向かう。
「けどさ、アルザスト。俺がいくら強くなっても、信乃を見つけれなかったらどうしようもないじゃん?」
「そうだ。そこでこれだ」
アルザストが手を一振りし、海翔の目の前に深紅の光で魔方陣が描かれる。ただし先程の円形のものとは違い、四角の枠に何行かの文字が並んでいる。
「それは契約に使う魔法だ。内容は見ての通り」
「いや俺この文字読めねえよ?」
「む? 言葉が通じるのに文字が違うのか。厄介なものだな」
アルザストが人差し指と中指を揃えて空中に線を描くと、魔方陣に新たな数行が追加される。
「内容はこうだ。お前の仲間を探すのに、我が魔神王軍の全情報戦力を注ぎ込んでやろう」
「言ってることの桁が違う気がするんだが」
「それだけでない。転生者の力を狙い、九世界の様々な勢力がお前達を狙うことになる。そこでだ」
アルザストが立ち止まって、海翔に正面から向き合う。
「お前が我が魔神王軍の軍門に下り、この九世界の平和の維持に協力するという条件付きで、この俺が魔神ガイザレアスの名に誓い、お前とお前の仲間達を護ってやろう」
神の力。この世界で何にも劣ることのない、最強の権力にして武力。
「お前のその言葉を信頼できる証拠は?」
「国の一つでも滅ぼせば力を直に見せてやれるのだがな、生憎と滅ぼしてもよい国がない」
「もうお前が破壊神名乗れよ」
「無理だな。破壊神が相手では、さすがの俺でも一秒と持つまい」
なぜか自慢げにそう言うアルザストに白い目を向ける。
「………まぁすぐに決めろと言うこともない。じっくり考えて……」
「閣下!」
アルザストの言葉を遮って、慎重の高い長髪の男が足音を一切立てずに猛スピードで走ってきた。海翔が目覚めた部屋にいたうちの一人だ。
「各地から伝令です。龍界のベルモンド卿と、機兵界のオーレアから転生者の情報が」
「は? なんて?」
「詳しく」
海翔とアルザストが同時に聞き返す。
「龍界騎士団第二師団長のベルモンド卿が先ほど天から降ってきた少年を保護し、龍界の風詠みが転生者と断定したと」
「龍界? なんだそれ?」
「後で話そう。セルム、他には」
セルムと呼ばれた男性は、低くも高くもない淡々とした声で続ける。
「機兵界第三工業都市イエレルに潜伏中のオーレアが、機兵界が転生者の召喚に成功したとの情報を手に入れました」
「ふむ………」
考え込むアルザストの隣、海翔は無性にそわそわする。
「あの……」
「セルムだ」
「セルムさん、その転生者の名前か特徴って分かりませんか?」
「龍界で保護された少年は、未知の素材で出来た見たことのない意匠の服装をして、足首に小型のナイフを携帯していた」
「どうだ?」
「俺の家族だ。名前は赤坂奏汰」
海翔が目を見開く。とある事件において責任を感じ、それ以来護身用のナイフを肌身離さず持つようになった奏汰に違いない。心拍が早まる。
「もう一人は?」
「こちらは名前が分かっており、ユウキダイチと」
アルザストが目配せをしてくる。
「あぁ、俺の家族だ」
冷静に言いながらも、海翔の心は跳び跳ねんばかりだった。しかしそれとは対照的に、アルザストが重い口を開く。
「だとしたら厄介なことだ」
「へ? なんで?」
「龍界と魔界は、ここ数百年に渡って友好的な関係を維持している。だが、機兵界とは戦争状態だ」
戦争という、前世で何よりも憎悪した二文字が海翔の背中に忌避感となって這いずり回る。
「特に奴らが転生者を戦争での戦力として使うつもりで召喚したのなら、我々とて見過ごしは出来まい」
「それともう一つ、お耳に入れたいことが」
セルムが表情を変えないまま、話を続ける。
「六魔将筆頭、炎帝フィガロス・エッドが挙兵、機兵界へ侵攻を始めました」
◇ ◇ ◇
そのあとのアルザストの対応は迅速だった。セルムとイドラの二人を含めた将を集めて、世界の端へと進む炎帝の軍を足止めするよう指示した。そして自身は炎帝の本拠地まで乗り込んできている。
ちなみに海翔も一緒である。
「権能で時間止めると体力の減りが尋常じゃないんだけどどうしたらいい?」
「完全に止めるのではなく遅くすることを意識しろ。魔法も権能もイメージだ、頭の中で強く思い浮かべれば自然と反映される」
巨大な門の前で立ち話をしていると、城壁の上から飛んでくる何人もの兵士に取り囲まれた。
「ヤバイんじゃねえの?」
「奴らも俺に手を出せばどうなるかぐらいは分かっている」
「どうなんだよ?」
「知らぬ方がよかろう」
着地した兵士達は武器や杖を構えてはいるが、誰も攻撃しようとはしてこない。まだアルザストの底力を見たわけではないが、神を自称して尚且つあれだけ優秀な配下がいるなら実力も折り紙つきだろう。
「魔神王、フィガロス様はすでに出陣なされた」
「この世界に入るうちは、我が神眼から逃れられぬと思え」
そのうちの一人が警戒しながらアルザストに声をかけるが、返答になってない返答に顔を曇らせる。
「我々も全員フィガロス様が城を出て、先頭で軍を率いていくのが見えたのだ。一体何を言って………」
「『ガイザレアス』」
なんの前触れもなく、魔方陣すら描かず、魔神王アルザストの神としての権能が具現化した神器が、その右手に握られる。
「我が権能の前に、結果は還りて背理する。反転の凶刃『オーレンフォール』」
さらにアルザストの足元に巨大な魔方陣が展開され、回りに紫色の光が立ち込める。
「魔神王! 貴様まさか!」
兵士の声には耳を貸さず、アルザストが魔方陣の中心に神器を突き刺した。その瞬間、アルザストと海翔以外の、魔方陣の外側にいる兵士達も含めて全ての風景に、ガラスが割れたかのようにヒビが入る。
亀裂が世界を覆っていき、ガシャアアアアンと大音響を立てて世界が崩壊した。
「うおお…………お?」
ガラスの破片が全て光の粒子となって消え去ると、二人は相変わらず巨大な城門の前に立っていた。
「何が起こった?」
「俺の秩序は『反転』だ。ありとあらゆる存在、現象を反転させる。今は炎帝の軍が『既に出陣した』結果を反転させた。故に……」
「まだ出陣してない、ってことか。つっよ」
門が音を立てて開き、中から赤一色の鎧に身を包んだ軍勢が現れた。
その先頭で龍のような生物を駆るのは、アルザストよりもかなり年上の精悍な顔つきの男だ。マントもブーツも鎧も、全てが血のように赤い装備で統一している。
「…………」
「久方ぶりだな、フィガロス。どこかへ出掛けるところか?」
ニコニコと話しかけるアルザストに対して、炎帝フィガロスは仏頂面を崩さない。
「そう言えば、機兵界に転生者が現れたようだな」
「………毎度のことながら、本当に呆れる」
思っていたより重厚なボイスの持ち主だったフィガロスは、地龍から降りて数歩、アルザストに歩み寄る。
「魔神王、貴様はなぜそこまで頑なに争いを避ける」
「己の民が死ぬところなど、支配者としては見たくないものでな」
「だがこれは我が軍勢、貴様ではなく、我に忠誠を誓った者達だ」
「それがどうした?」
「貴様は貴様の民の心配だけすればよかろう。我が庇護下にある民にまで、口出しをしてくれるな」
「魔界は俺が統べる世界だ。貴様も含めて、魔族と名乗るならば俺の民となるぞ?」
「貴様はもう神ではない」
「神でないなら、世界を掌握できぬとでも? ならば貴様が魔界を一つに統一してみよ」
「話にならぬ。我と、我が民の意思に口を挟むな」
二人が押し問答を繰り返す手前、海翔は暇である。そして海翔は暇が嫌いである。
「別にアルザストが護ってくれるって言ってるんなら、大人しく護ってもらえばいいじゃん。神だし強えし」
「黙っていろ配下風情が。神という名にいつまでもすがっていては、人々はいつまで経ってもその先へは進めぬ」
理解しきっていない頭で口を挟むが、フィガロスはチラリとも見ずに一蹴する。
「我々はもう一度出陣する。今度は干渉してくれるな。どのみちこれほどの権能を使ったのだ。しばらくは神器も使えまい」
「通すと思うか?」
「毎度その手には乗らぬ。貴様こそ刃を向けられたわけでもなかろうに、我らにその力の矛先を向けるつもりか?」
それを聞くと、アルザストは快活に笑って口を開く。
「今、自分達は俺の民ではないと言ったのはどこのどいつだ。まぁいい。俺は寛容だからな、細かいことにはいちいち口を挟まぬ。だが炎帝、一つ賭けをせぬか」
「賭け?」
アルザストが人差し指を立てて発した言葉に、フィガロスが怪訝な顔をする。
「あぁ、見ての通り、こいつはこちら側の転生者なのだが」
「はぁっ!?」
そこでやっと初めて海翔に向けられたフィガロスの顔が、一気に驚きの表情に染まる。
「こいつとお前で一戦やれ。お前が勝てば俺は手を引こう。こいつが勝ったら貴様は軍を下げろ。機兵界の転生者はこいつの仲間のようだからな、大人しくこいつに任せておけ」
「俺!?」
「……よかろう」
「ちょいちょい何勝手に了承してんの」
海翔が焦るが、アルザストは耳を貸さず二、三歩後ろに下がって腕を組む。
「案ずるな。死んだら死んだで蘇生してやる」
「死ぬ前提で話すな」
「小僧、やるか、やらんのか」
アルザストに口をこぼす海翔に、フィガロスが苛立った口調で問いかける。
「はぁ、やるよやるよ。やりゃいいんだろ?」
フィガロスに向き合い、半身で拳を握って構える。
「六魔将が一人、炎帝フィガロス・エッド」
「……転生者、高橋海翔」
「参る!」
フィガロスの名乗りに合わせて海翔も名前をいうと、フィガロスが魔方陣を複数展開して、そのうちの一つから、赤々と燃え上がる炎剣を抜き放つ。
「『炎剣ヴァルフレア』、紅蓮の焔よ、我が敵を燃やし尽くせ『ガルヴェイン』!」
フィガロスの背後に、炎で形作られた大砲が数十門現れ、腕の一振りで全てを焼き尽くす業火の群れが一直線に海翔に飛来する。しかし、
「俺にはやることがある」
ぼそりと呟いて前へ歩むと、名を唱えていないにも関わらず時間の歩みが遅くなり、そのまま燃え盛る魔弾の雨を軽やかなステップで次々とかわし、勢いが増す魔弾に服を焼かれながらもフィガロスに肉薄する。
「甘い!!」
「そのためにも」
一瞬で目の前まで移動してきた海翔に、驚きながらもフィガロスが炎剣を振り下ろし、防御に使った左腕を炎に包む。
しかし、斬られはしない。
「まだ……ここで………!」
剣圧によって足が地面に沈み込むが、倒れはしない。
「止まるわけにはいかねえ!!!」
「ぬっ!?」
その全身から漆黒と黄金の光を迸らせて、海翔が炎剣を押し返す。
「お?」
アルザストも腕組みを解き、その様子に目が釘付けになっている。
「チッ!!」
「まだ……来い、『クロノス』!!」
大きく飛び退いて魔弾を乱射するフィガロスを追って海翔が権能を展開する。周囲の色が薄くなるが、今度は完全な白い世界とはならず、周りの景色がスローモーションとなる。正常な時間から切り離されて無敵の異物となった四肢で魔弾を弾き返し、再びフィガロスに肉薄する。
「オラァ!!」
「ぐっ!!」
海翔の繰り出した鉄拳がフィガロスの鳩尾にめり込んで、その体をさらに後方へと飛ばす。
「『ヴィド・アルバ』!!」
「うおおっ!?」
フィガロスの魔方陣が形を変えて光り、海翔の足元から火柱が上がり、間欠泉の如く上空高くへと飛ばす。
「破滅の黒陽『ガルトナーヴァ』っ!!」
両者の間に巨大な漆黒の太陽が出現し、音を立てて海翔へと迫った。が、
「『クロノス』!!」
海翔の声と共に一瞬でその姿が消え、黒陽は何もない空間を通りすぎる。
「面倒な……」
「オラァ!!!!」
見失った海翔を警戒して全方向に魔力障壁を展開したフィガロスの真後ろから、一撃で不可視の壁を破って海翔が迫る。
「……ッ!! 『ヴィド………」
「しっ!!」
フィガロスによって魔方陣が構築されるよりも前に、かろうじて視認できるほどの速さにまで己の時間を加速させ、
「ボレーシュートォ!!」
十年のサッカー人生によって積み上げられた一撃を、残った魔力障壁を砕きながらフィガロスの側頭部に叩き込む。時間の停滞が一瞬で過ぎ去り、フィガロスの上半身がそのまま回転して地面にめり込んだ。
そのままピクリとも動かない。
「はぁっ………はぁっ………っ!!」
海翔の方も体力が尽きて少しばかりふらつく。
「よくやった。『エクストラヒール』」
しかし、アルザストが歩み寄ってその肩に手をおいて魔法を唱えるとすぐに、朦朧とした意識が覚め、汗と泥で汚れた額を手のひらで拭う。
同じ魔法をフィガロスにもかけたアルザストが、フィガロスの足をつかんで地中から引っ張り出す。
「ぐっ………!」
「貴様の敗けだ、フィガロス。兵を引け」
周りで見守っていた兵士たちの足元に炎帝を投げ飛ばし、アルザストは海翔の肩に手を置いて再び魔方陣を展開する。
「機兵界への調査にはこいつを送る。それで妥協するがよい」
「向こうの転生者も俺の友達だ。心配は無用だぜ、炎のおっさん」
服を全て焼かれた左手の親指を立ててにっこりと笑う海翔を睨み付けるフィガロスの表情は、うまく読み取れない。
「………貴様は…………いや、なんでもない」
「そういうのスゲェ気になる」
「我が城へ」
フィガロスに聞き返す前にアルザストの魔法人が光を放ち、一瞬で視界が白く染まったかと思えば再びアルザストの城の、神器が並ぶ玄関前の部屋へと戻ってきた。
「おおっ、ちょうどだったぜよ」
椅子の一つに腰かけていた大柄な男がどっこいせと立ち上がる。
「炎帝は軍を引いた。だが機兵界から目を離すこともしない」
「既にオーレアがおりますが?」
「こやつも追加で送り込む。友人だそうでな。ゼギア、オルカンに連絡しておけ」
アルザストが壁に剣を戻しながら、ゼギアと呼ばれた老人に指示を出す。
「セルムは龍界へと赴き、転生者と接触せよ。ザグレア、深淵卿と戦姫が動いた。釘を刺してこい」
「御意に」
アルザストの指示を受けて、すぐに二人がいなくなる。
「イドラ、こいつに諜報の基本事項を叩き込め」
「今からですか?」
「………いや、カイト、まずは休め」
「だあぁぁぁ疲れた!!」
アルザストの言葉を聞くよりも速く、仰向けになってソファに寝っ転がる。そもそも異世界に転生、神の力の使用、そして魔法使いとの決闘という夢としか考えられないイベントを一日でこなしたのだ。体は疲れていないはずだが、頭がどうにかなりそうである。
「イドラさん、明日からでお願いしやす」
「あぁ、地獄を見せてやる」
傍らで鬼の表情を見せるイドラに苦笑いを浮かべつつ、海翔の意識は遠くへと落ちていった。
海翔中での優先順位⇒信乃>>>>>年下の兄弟姉妹>その他家族。