十四話 贈り物は過剰気味
「うわあ……すごい、ちゃんと建物になっているんだ……」
「あなたそんな所に感動していちゃ、これから感動し過ぎでひっくり返っちゃうわよ?」
「そうかもしれませんが……私一か月以上ぼろ屋で生活をしていて……建物を直す心得もなかったので、天井の大穴も見て見ぬふりを続けていて……」
「なんだか、あなたにとてつもなく悪い事をしていたような気分になっちゃうわね……あなたがここにきたのは本当に偶然で、神々の手によるものかどうか判断がつかないけれど……あなたみたいな普通の女の子を、あれだけの廃屋で生活させていたと考えると、私が悪い魔女じゃないのに、悪い魔女みたいね」
くすくすころころと涼しげな声で笑うキュルーケさんが、この島で見た人の中で一番輝いて見えるのは現金なのだろう。でもぴかーっと輝いてしまったのは仕方がない。
それ位に私の暮らしていたあばら家は、人の暮らす家ではなかったのだ。
「あの、中に入ってもいいでしょうか?」
「あなたの家なのだからいいに決まっているじゃない」
「作ってくれた方が言ってくれるなら、そうなんでしょうけれど……すみません、緊張のあまり手汗がひどくて」
「何を緊張しちゃうのかしら! あなたって面白いわね」
そう言って笑ってばかりいるキュルーケさんに促されるままに、私は家の扉を開けた。
「ちゃんと鍵がかかる仕様になってる……突然夜中に扉があかなくていいって、なんて素晴らしいんだろう……」
私は扉を開け示している時点で涙が出てきそうだった。家だ……ちゃんと人が暮らす住居だ……私が今まで頑張って生活してきたあばら家は、一体何だったのだろうと思う位にきちんとした住居過ぎて、感動で胸がじーんとしてきたほどだった。
そんな思いを胸に抱きつつ、私は室内に入って、あまりの光景に膝から頽れて泣き出してしまった。
「うええええん……家だ……ちゃんとした壁とか台所とかがある普通の家だ……なんて素敵なんだろう……」
「……あなたの一か月にわたる苦労を垣間見ている気分だわ……」
えんえんと声をあげて泣き出してしまった私である。何といっても隙間風の入らないきちんとした造りの壁のある家なのだ。天井の大穴を気にしないで使える台所があるのだ。それだけでもう、泣いてしまうほどうれしい物になっていたのだ。
そんな私の反応を見て、キュルーケさんが複雑そうに言う。そりゃ彼女からすれば、一体どんな生活をして来たのだろう、と思わせる泣きっぷりをしていると思う。
「これで海風が吹くたびに、家が崩れ落ちちゃうんじゃないかって気が気じゃなくて、眠れない夜とかなくなりました! 雨が降るたびに炉の火を守るために、どんな時間帯でも跳ね起きて炉の火を守る事をしなくていいなんてなんて素晴らしい!!」
「いかに原始的な生活をして来たのかが、わかるわ……そうよね……私みたいに魔法が使えるわけじゃない女の子にとって、いろいろ極限状態だったのね……」
キュルーケさんはそうって私の頭を撫でた。撫でられて気が付いたのは、私が結構極限状態の精神で今までなんとか、毎日を過ごし続けて来ていたという事だった。
いつもいつでもご飯の心配。それから炉の火の心配、家が潰れちゃったりしないかの心配……なるほど普通はあまり考えない心配事がいくつかある気がする。
それはあくまでも。貴族令嬢という条件の元で、同じような心配をしている人は、きっとこの世の中にいくらでもいるのだろうけれど……私は神経を張り詰めてなんとかやってきていたわけだ。
「ありがとうございます、ありがとうございます!! すみません、お礼の言葉がこれ以上出てこない……涙ばっかり出てきてしまって……」
私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、キュルーケさんを見上げた。
それ位感動している私を見て、キュルーケさんがにっこりと、悪戯を思い付いた子供のような笑顔で笑った。
「私、今、飛び切り素敵な贈り物を思いついちゃったの、ぜひあなたに贈らせてほしいわ」
「これ以上何をくださる気なんですか!? そんなにたくさんの物はいらないです!」
「そう言ってくれる子じゃないと贈れないものなのよ。うふふ、あなたは心が素直で綺麗だわ。私達は、お気に入りの子に贈り物をしたがる性質なの」
それはそれは綺麗な笑顔で笑ったキュルーケさんが、すたすたと室内に入っていって、平凡な見た目のトランクケースを持ってきた。それは壁にかけられていたから、装飾品のように見えたけれど、実用品だったらしい。
「いつでもあなたが自由に、どこにでも暮らせるように、これの中に家が丸ごと入れられちゃうようにしましょう。そうすれば、あなたがこれから、逃げたくなった時に逃げ出せるわ」
「とても不穏な言葉に聞えますが……逃げるって何から……」
「あら、誰しも逃げ出したいと思う日はあるし、どこか遠くに少しだけ行きたくなる事も有るでしょう? そういう時に、絶対に安全な場所を確保できるのは特別よ」
「一瞬あの牛頭の怪物から逃げ出すためかと思いました……」
「あら、あなたはあの怪物からは逃げられないわ。櫛を受け取ってしまったのだから。ああいう古い妻問いの形式は、魔術的に見てもぎっちぎちになっていて、私達でもひっくりかえせないのよ」
「つまり私は……知らなかった事だったのに、牛頭の怪物と連れ添わなくちゃいけないと?」
「それはあなたがこれからじっくり考えて、あの怪物に対して心の底から誠実に話を持って行けばどうにかなるかもしれないわ。あの怪物は、言葉が通じないように思えるでしょうけれど、心は通じるのよ」
「……外に出られる時が来たら、一緒に外に出ようって言ってあるんです」
「あなた勇気があるわね……」
「閉じ込められた時に、あの牛頭の怪物も、「ちょっと待ってちょうだい、閉じ込められたですって?」
私があの怪物の心のうちを少し分かった気がするようになった、一つのきっかけの事を話すと、キュルーケさんは私の言葉を止めて、一言言った。
「おしおきが必要ね……ああいった手合いはそういう極端な事をしがちだけれど……迷宮アヴィスの中までは見通せないから甘く見ていたわ」
「何をする気なのでしょう……」
「安心してちょうだいな、ちょっとおいたな事をした事を怒るだけよ」
にっこりと、先ほどとは違う顔で笑ったキュルーケさんは、
「あなたは家の中をじっくり堪能していてちょうだいな。私はあの怪物にお話があるから。あなたがきっと欲しいだろうものは、一通り用意してあるからね」
そう言って至れり尽くせりの家の中を楽しんでちょうだい、と言ってキュルーケさんは家を後にした。
私は後を追いかけたらきっといけないのだろうな、と思う事にして、ようやく玄関前から立ち上がり、家の中を見て回る事にしたのだった。
「お風呂に入れる……お布団がある……着替えがある程度ある……なんて素敵なんだろう……」
私はそんな事を言いつつ、一か月以上使えなかったお風呂というものを使わせてもらい、着替えという夢のまた夢だったものに袖を通し、お布団に転がった。すごい、人間の生活だ、快適すぎる……と感動しつつ、いままでいかに地面というかぎりぎり板張りというべきなのかすら、微妙な寝床で寝ていた事も有ってか、そのまま寝入ってしまったのだった。
ふすふすという音がして、なんだか気の抜ける呼吸音だと思いつつ、ぼやっと目を開けて見えてきたのが、見慣れてしまった牛頭で、何で家の中にいるんだろうと思ったものの、鍵をかけていないから入ってきたんだろうな、と思い直した。
寝床から起きあがると、やけにぼろっとした状態の牛頭の怪物が、私の寝床の近くの床に座っていて、顎を寝台の隅に乗せて寝入っていた。
こんな姿勢なのに熟睡している……という相手の強さのような物に感心しつつ、寝床から立ち上がり、これまた用意されていた室内履きに足を突っ込み、牛頭の怪物がいるという事は、キュルーケさんのお仕置きが終ったんだろうかと少し眠気の取れない頭で考えた。
周囲に何かないかと見回すと、置手紙なのだろう用紙が置かれていて、そこにキュルーケさんのものだろう見事な筆記で
「お仕置きとお説教は終わったから、後はあなたが色々決めてちょうだいね。あなたの決断を応援するわ、私はそろそろ帰ります。また遊びに来るわね」
という、自由人なのかしっかりした人なのか判断に困る、そんな事が書かれていた。
あの人はここに遊びに来る予定なのだ……それは役割がないから自由に来るってだけなのだろう。
結界の魔女としての働きはしなさそうだった。きっと任期が終わったら手を出さないという形なのかもしれない。
書置きを見て、私はまだまだ疲れている気がして、また寝台に戻って、布団をかぶって二度寝をする事にした。
そんな余裕があるのは、ちゃんとした壁と屋根と寝床があるからで、人間の生活にとってそれらがいかに重きを置かれるものなのか、改めて実感した一日だった。