第90話:教室の私たち
ホームルームは生徒たちで賑わっている。入学から三ヶ月も経てば、仲の良い者同士でグループが出来上がる。このホワイトルームに在籍する生徒数は、マウロとその取り巻きが去ってから二十五名となり、四、五人のグループが四つほど出来ている。
「昨日の課題、アリスはやってきた?」
「やった。面倒だって言ったら、フィリアに怒られた」
「……以前にも、同じような話を聞いた覚えがあるな」
「アタシもー」
斯くいう私たちも、そのグループの中の一つだ。私とアリス、レミィ、オル、ピネットは同じ机を使っており、廊下側の一番奥が定位置となっていた。入学初日、オルが座っていた場所だ。
今は授業が始まる前ということもあり、席に座らず雑談を楽しんでいる。アリスは席に座りながら、オルとピネットと話をしている。
「怒ってはいないんだけどなぁ」
「なんだか姉妹みたいだね」
「そう?」
そんな三人の会話を横で聞きながら、私はレミィと話をしていた。
レミィは真面目な子だ。私と会話しながら、机の上に配られた算術の教本と、書き取り用の羊皮紙を並べている。
教本は決闘の日に配られたようで、私も次の日にデカルトから渡された。紙の本を人数分配るなんて、と驚いたのをよく覚えている。
「うん。アリスちゃんの見た目からの印象もあるかも」
「……でも、教えてくれる側なんだよね」
「学年で一番だったもんね」
そうレミィに言って、私はアリスを見る。
私たちのグループの中で、アリスはマスコット的な存在となっている。幼い見た目がそうしているのもある。
しかし、その見た目に反して彼女は、目覚ましい成績を収めている。
つい先日、全ての授業において中間試験が行われた。年に数回行われる試験の内の一つで、その結果は学年ごとに順位として掲示板へと張り出された。
そこでアリスは、全ての試験で満点、一位を収めるという、驚異的な成績を叩き出した。算術に自信があったのか、オルが非常に悔しそうにしていたのを思い出す。
「廊下を歩いているだけで、他の生徒から“天童”なんて呼ばれてる」
「先生たちもそんなこと言ってたよ。アリスちゃんは凄いね」
英雄の娘を自称する奇妙な少女から一転、その評価は英雄の娘として相応しいと言われるようになった。
一応、レミィは実家を通して、今もアリスについて調べているらしい。本当にあの“英雄”グリムヒルトの娘なのか、特にレミィの父が気にしているようだ。
だが確かめようがなく、苦戦していると聞いている。というのも、確かめるには“英雄”に聞くのが一番なのだが、彼女は現在行方知らずとなっている。それ自体は珍しくなく、“英雄”は旅から旅への根無草というのは周知の事実だ。
連絡手段はあるにはあるのだが、基本王族しか使えないようで、その手段は“王の色彩”であるレオンゴルド家にも使えないらしい。
加えて、今レオンゴルド家は忙しい。その理由はアリスではなく私にある。
マウロとの一件によって彼の家、ロドリゴス家がかなりまずい状況に陥っているらしい。平民を狙った暗殺未遂は、貴族たちの間で問題となり、最悪お家取り潰しになる事件となった。
ただ被害者である私としては、ただの平民に過ぎないがそれは望まない事態だ。
マウロは、襲撃について自分は知らなかったと言っていた。監督責任はあるだろうが、知らないことで責任を取らされるのは、なんというか、あんまりだと思った。
そこで私はレミィを通じて、マウロから聞いた話をレミィの父に伝え、どうにかならないかと相談したのが先々月のことだ。
それもあり現在レオンゴルド家は、ロドリゴス家の取り潰し回避のために奔走してくれている。
(正直、掛け合ってくれないと思ってたけど)
レミィの父とは直接会っていないものの、自分の娘の友人ということで良くしてくれている。今度お礼を言いに行きたいところだ。
マウロの件といえば、ピネットのこともある。
彼女は襲撃の実行犯として、学園側から謹慎二週間の処分を受けた。私は決闘の日の夜に彼女から直接聞かされたが、色々と事情があったようだ。謝られたが、事情を聞けば怒る気にもならなかったし、そもそも本気で殺す気は無かったそうなので、それで良しとした。
学園側の処分も、マウロたちに比べて軽いものになったのは事情を考慮してだろう。
『組合からも怒られちゃった。当分は依頼、受けられないや』
そう言いながら笑っていたピネットを思い出す。
「ん? なぁに、フィリア?」
ピネットのことを考えていると、いつのまにか彼女を見ていたようで目が合った。すると彼女は、耳を動かしながら楽しそうににやにやと笑う。
「特に何もないよ」
「えー? 本当はアタシに見惚れてたんじゃないのー? 浮気者め」
「考え事してただけ……浮気って何さ」
「そりゃあもう、ね? こんなに可愛い伴侶がいるのにぃ」
そう言ってピネットはアリスを後ろから抱きしめ、彼女の頭を撫でていた。
そういえば、そのことについても考えなければならない。
アリスと一緒に生活するのも、同じ部屋で過ごすのも構わない。むしろ今は楽しいと思っている。しかし、あくまでそれは友達という関係の上に成り立っているもので、それ以上の関係を私は望んでいない。
(そもそも、恋愛なんてしたことないし)
幼い頃から教会で暮らしていた私にとって、異性との接触はかなり少ない出来事だった。それこそ、仲の良い異性というのはエドガーとジアぐらいだったし、学園に来てからオルが加わったぐらいだ。
故に、恋だのなんだのというものを経験したことがない私には、アリスの言う結婚云々の話を受け入れるつもりは今のところない。
「……?」
そんなことを考えながらピネットから視線を外し、隣に座って準備をしているだろうレミィを見た時だった。
彼女は俯いており、横顔はどこか暗く、羊皮紙を纏めている途中に固まってしまったかのような姿勢で止まっていた。
「レミィ?」
「……」
「レミィ」
「……え? あ、な、なに?」
名前を呼びながら肩を揺らすと、レミィはハッとしたように顔を上げ、いつも通りの笑顔をこちらに向けてきた。
「いや、なんか表情が暗かったから」
「ご、ごめんね」
大丈夫だよ、と笑いながら羊皮紙を纏め、机の上に置く。
表情は明るいが、明らかに何かありそうだ。
だが踏み込んで良いものか、判断がつかない。聞くべきか、聞かざるべきか。
「……何かあったら、相談してね」
考えた末に出てきた言葉は、当たり障りの無いものだった。
それに対しレミィは頷きながら、頼りにするね、と言いながら笑い掛け、それとほぼ同時に始業の鐘が鳴った。
なんだか、レミィの曇った表情がやけに印象的で、私は胸にチクチクとした痛みを感じた。




