第88話:春風は別れを告げる
校舎の玄関を出て真っ直ぐ進む。
幅の広い並木道を通るのは、入学日以来だ。玄関前の受付には、入学日に話した男性の姿は無かった。
並木道に植えられた木々は沢山の葉をつけ、そよ風に揺れながら太陽の光によって煌めいている。
春を感じさせる景色のその先に、一人の背中が見えた。
その子は、片手に大きな鞄をぶら下げ、腰には使い込まれた剣を帯びながらゆっくり歩いている。あと少しで、正門を出てしまう位置にいた。
それがマウロであることは、すぐにわかった。
「待って!!!」
私とマウロの距離は未だ遠く、なんとか止まってもらおうと私は走りながら、その背中に向かって声を張り上げる。するとその子は立ち止まり、それを見て私もある程度近付いた後に足を止めた。
体中からズキズキとした痛みが、頭の中で響く。体力も十分とは言えず、私は両手を膝につき、上半身を支えながら荒い呼吸を整えようとする。
「……何しに来た」
マウロはこちらを振り向くことはせず、背中越しに私へそう問い掛けた。私と彼の間には、戦っていた時のように距離が空いている。
背中を私に向けたまま話す姿、踏み込まなければ近付けない距離感。その二つがまるで、私と彼の関係を表しているように思えた。
「なんで、負けって言ったの……?」
聞きたいことはいくつもある。だから順番に、私は彼に問い掛けようと思った。
私は彼の背中に向かって、まず一つ目の疑問をぶつけた。
「事実だからだ。僕はお前の攻撃を直に食らって、完全に意識を失っていた。本来、戦闘不能と見做されても何ら間違いは無い」
「それを言ったら、私だって――!」
「周囲が見た事実は、それだけだ」
気を失っていたことを伝えようとすると、マウロは語気を強めながら私の言葉を遮って言った。
私は彼の、有無を言わさぬその態度に言葉を失ってしまう。
「お前の勝ちだ。精々、学園を楽しめよ」
「ま、待ってよ! まだ終わってない!」
マウロが会話を終わらせ、再び歩き出そうとするのを止めたくて、私は咄嗟に手を伸ばした。彼はため息をつきながら、踏み出した一歩を元に戻す。
「……早くしてくれ。僕も暇じゃないんだ」
「退学は!? なんでそんなことになったの!?」
マウロはこちらに振り返りはしないまま、顔を横に向けて私の方を見た。呆れたような表情が、横顔からでもわかる。
「聞いたんだろ?」
「……聞いたけれど!」
「ならお前が知ったことが全てだ」
取りつく島もない態度に、私は苛立ちを覚える。あの出来事において、私は被害者で、マウロは加害者だ。そんな彼は私に対して、説明する義務はあるはずだ。
「ちゃんと説明してよ! なんで襲撃なんか……!」
「…………今更、説明することも無い」
少しの間が空き、マウロは首を横に振りながらそう言った。
ーー違和感を感じた。
間が開いた時、彼から何か考え込むような感じがした。加えて私の言葉を聞いた時、一瞬ではあるが表情が曇った気がする。
(……もしかして)
勝手な憶測になるが、一つ思いついたことがある。
間が開いたのは面倒だったとか、言いたくなかったわけじゃなくて。
(知らないから、言えなかった?)
その憶測には、理由がある。
なぜ負けを認めたのか、という問いに対して彼ははっきりと答えていた。私と話すことが面倒なのであれば、気絶したから、と一言で簡単に済ませるだろう。時間が無いと言っているのなら、余計にそうするはずだ。
知らないことに対し、どう言えば納得するかを考えていたから間が開いた。表情が曇ったのも、自分が知らない罪で処分されたことに納得してないから。
説明することが無いんじゃなくて、説明できない。
そう考えればマウロの言動、態度に合点がいく。
「……本当に、君が指示したの?」
「…………」
マウロは私の問い掛けに、何も答えない。顔も正面を向いてしまったので、どんな表情をしているかわからなかった。
だが私にとって、その沈黙が答えだった。
「答えて」
「……答える必要はな――」
「逃げるの?」
先ほどの意趣返しとばかりに、私はマウロの言葉を遮った。そして、彼を煽るような言葉を、背中に向かって投げ付ける。
鞄を握る拳に、力が入ったのが見えた。
「都合が悪くなったら逃げるんだ」
「……」
畳み掛けるなら今だと私は考え、マウロを煽り続けることにする。
少しだけ、申し訳なさを感じる。
「全てを否定した女に負けて」
「…………れ」
「恥ずかしくて顔をを見せたくなくて」
「……まれ」
「だから背中向けたままなんでしょう?」
「黙れぇッ!!!」
マウロの叫びにも似たその声が、並木道に響き渡り、葉擦れの音をかき消した。
シン、と辺りが静まり返る。
少しすると、彼がゆっくりと私の方へ振り向く。その顔は今にも泣き出しそうに、唇を噛み締めていた。
「……僕は貴族なんだ」
絞り出したその声は震えており、どこか諦めている雰囲気を感じさせる。
「僕を慕う者が起こしたことなら、僕が責任を取るのは当たり前だろ……?」
「知らなかったなら、責任どうこうの話じゃ――」
「貴族には、平民のためにその力を使う義務がある」
目元に涙を溜めながら、マウロはそう言い放った。
私は彼の姿と言葉に、どう返して良いかわからず立ち尽くす。
「お前も、護るべき平民だ。だから本来、僕も相応の態度を取るべきなのは最初からわかっていた」
マウロは睨みつけながら、私を指差す。
「だがお前は、この国の国教であるアルビス教を愚弄している!」
「そ、そんなことない!」
「ならその服は何だ!? 神聖な修道服を改造しておいて……!」
勘違いだ。
私は神様を憎んでいると言っても、別にアルビス教に対して悪感情を抱いているわけじゃ無い。神様の存在を否定していないからこその感情だ。
それにこの服だって、案を出したのは神父であるエドガーだし、実際に仕立て直してくれたのはシスターのミリ姉だ。アルビス教公認とまでは言わずとも、少なくとも認めてくれる人たちはいた。
「これは私のいた教会で、そこにいる人が仕立て直してくれた物だよ!」
「嘘をつけ! そもそも、救って貰った分際で修道女にもならず、毎日修道女の真似事をしながら怠惰な生活を過ごしていると聞いたぞ!」
「嘘じゃないし、別に良いでしょ!? 神父様はシスターにならなくて良いって言ってくれたし、礼拝はしなかったけどちゃんと仕事してた! 食って寝てるだけなんて、そんなことはしてない!」
距離が空いたまま、私たちは先ほどまでの雰囲気と違う、まるで子供同士の喧嘩のような言い合いをしていた。
マウロの話を聞けば聞くほど、私の勝手な印象が一人歩きして、それを真に受けていただけに思える。
「気に入らないからって、私のいた村や家族のことまで貶すような言葉を、貴族は言って良いわけ!?」
「あ、あれは……!」
「あれは!? なに!?」
「……口が、過ぎたと思う。すまなかった」
マウロはそう言うと、頭を下げた。
信じられない、と思った。アリスとの決闘、その要求を果たすために教室で会った時でさえ、彼は頭を下げなかったからだ。
私はその姿と言葉に驚き、血の上った頭から急速に熱が奪われていくのを感じた。
「急にそんな、なにを……」
「死者を愚弄するのは良くないことだったと、ちゃんと反省しているんだ」
「……教室で謝って来た時、何で今みたいな態度が取れなかったの……?」
「多くの目があった。貴族が平民に対して頭を下げている姿を、大衆に見せれば他の貴族に迷惑を掛ける。態度まで指定されなかったから、それを利用した」
マウロの言葉を聞き、私は一つ納得したことがある。
彼はいつ、どんな時でも、貴族としての姿を貫いていたのだ。それはレミィと違う形ではあるものの、貴族と平民という絶対的な差のある身分を、彼なりに明確していたのだろう。
事実、彼の口から平民を見下すような発言は、何一つ無かった。オルから聞いた、ロドリゴス家は商人の集会で平民を見下すような発言をしていたという話は、マウロ自身が、ということでは無かったはずだ。
私に対しての態度や言動にも、ちゃんと彼なりの理由があった。
国教とはその言葉通り、国によって保護され、公的に活動を認められている宗教を指す。であればマウロは、国の貴族としてアルビス教を護る立場にいる人間だ。
事情を知らず、周囲から噂程度に聞いた話を鵜呑みにすれば、確かに私はアルビス教を馬鹿にしている女に見えるだろう。それを戒めるのもまた、貴族としては正しい姿なのかもしれない。
「……はあぁ」
深いため息が思わず出る。
それに気付いたのか、マウロは顔を上げ私を見た。眉間に皺を寄せ、何だその態度はと言わんばかりの視線を送ってくる。
結局。結局は、だ。
私たちはすれ違って、お互いのことを知らな過ぎた。どこかでちゃんと向き合って、ちゃんと話をすれば、時間はかかるかもしれないが理解し合えたのだと思う。
そもそも学園において身分は関係無い、という話はどこに行ったのだという疑問は残る。それを無視したのは、明確にマウロが愚かだったと言える。
直情的で、口が悪い。周囲からの影響を受けやすく、その場の感情に左右され過ぎてしまう。
そして誰よりも、己の身分に縛られていた。
それが彼、マウロ・ロドリゴスという男の子だった。
「もっと、色んな人の意見を聞くべきだと思うよ」
「な、なに……?」
「とにかく、私の服とか教会での立場とかそういうことだから」
「……ああ、わかった」
私はマウロにゆっくりと歩み寄る。彼は私の動きに驚いたのか、少し目を見開きながらもその場から動かない、
少し歩き、私は彼の目の前に立った。
彼の方が少しだけ身長が高いが、誤差の範囲だ。ほぼ同じと言って良い。
「襲撃のこと、知らなかったんでしょ?」
「……ああ。おそらく、いつも一緒にいた奴が勝手にやったことだろう」
これもそいつからの入れ知恵だ、と言ってマウロは右越しから、銀色の装飾がされた緑色の宝石を見せて来た。宝石には無数の罅が入っており、少しでも触れれば砕けてしまいそうだった。
これが決闘中、マウロに近付いた時に私を吹き飛ばしていた魔道具だと、言われなくても察することができる。
「ねえ」
「なんだ」
「私も一緒に行くから、襲撃のことデカルト先生にちゃんと説明しようよ。関わっていないので、本当は知りませんでしたって」
「……決まったことを覆すつもりは無い」
マウロは宝石をしまいながら、私の提案を断る。
自分が関与していないことで責任を取らされるなんて、そんなの許されて良いのだろうかと、私は疑問に思う。
「学園内は身分に縛られないんだよ。だから貴族として、とかそんなの……」
「貴族云々と言い続けた僕が、今更だろ」
確かにそうだけど、でもこんなのはあんまりだ。
まだ一週間も経っていないのに、学園を去ることになるなんて。
「……僕は間違えた。色々なことを間違えた上で、こうなった。納得はしてるつもりだ」
その言葉で、私はマウロの決意が固いことを悟る。
これ以上何か言っても、彼は真実を胸に秘めたまま学園を去るのだろう。
なんだかとても悲しくて、悔しいと思ってしまう。
あんなに憎らしかった彼が去ることに、悲しんでいる自分がいた。
他人を傷付けた彼が、他人の悪事によって裁かれている姿に悔しさを感じていた。
「何でお前が泣きそうなんだ」
「……だって」
視界が滲み、涙が溢れないように手で目を擦っていると、優しげなマウロの声が聞こえた。
「勝者は胸を張っていろ。それが敗者に対する礼儀だ」
「……わかった」
私が答えると、彼は鞄を下ろし、その右手を差し出してくる。私は少しだけ濡れた掌を服の裾で拭い、その手を握った。
「次は譲らない。僕が勝つ」
「わかってる。次も私が勝つよ」
マウロは、笑っていた。満面の、とまではいかなくとも、私に微笑んで見せた。
初めて彼の笑顔を見た私は、自然と笑顔を彼に向けていた。
わだかまりが全て無くなった訳じゃない。それでも、私たちの関係が一歩前へと進んだのは明白だった。
握られた手を、同時に離す。
「……じゃあな。フィリア」
私の名を呼び、マウロは下ろした鞄を手に取りながら私に背中を向ける。
「またね、マウロ」
私はマウロの名を呼び、右手を上へ挙げると左右に振った。
また、と敢えて言ったのは私の意地だ。絶対にまた戦って、今度こそちゃんと勝つんだという意地を、彼に見せたつもりだ。
彼はそれに気付いたのか、鼻で笑っていた。そして歩き出し、正門を開けると振り向くことも、躊躇う素振りも見せずに門を越えて行った。
「……ちゃんと、話せた?」
遠くなっていくマウロの背中を見ていると、隣からアリスが声を掛けてくる。
無我夢中でデカルトの自室を出てしまったので、置いて来てしまったと思っていたが、どうやら近くにいたらしい。姿が見えなかったのは、邪魔しないでくれていたのだろう。
「話せたよ。全部じゃないけど」
「なら良い」
そう言ってアリスは私の左手を握った。彼女を見ると頷いたので、私も頷き返した。
ちょうどそのタイミングで、校舎から鐘の音が聞こえた。お昼休憩が終わる鐘だ。
昼食を食べ損ねたのは残念だが、必要な時間だったのでよしとしよう。
「さあ、午後からの授業も頑張ろう」
「うん」
そして私は手を繋いだアリスと共に、校舎へと戻っていく。
決闘は終わったが、マウロとの間にあった確執は完全に消えはしない。お互いがお互いを理解するのに、まだまだ時間は足りないからだ。
彼と再び出会う時がこれから先の人生、きっとあるだろう。
その時、また話をしよう。剣を交えよう。そうして、私たちは理解し合えるのだ。
私たちの出会いは、まだまだ先にある。
頬を、春の風が優しく撫でた。
長々とお読み頂き、ありがとございました。
これにて『第二章 “英雄”の娘は学園で舞う』は終幕となります。
次話は幕間を予定しており、その後『第三章』を始めます。
今後とも、よろしくお願いします。




