第87話:走り出した先
「どういうことですか!?」
木目調の黒い机を両手で強く叩き、私は目の前に座る男へ問い掛けた。男は私の様子に一切物怖じせず、パイプを口に咥えたままため息をついていた。
「どうもこうも、なんのことかわからん。急に入って来たと思えば、第一声がそれでは答えようがないだろ」
男ーーデカルトはパイプを口から離し、うんざりした表情を見せながら私にそう告げた。
食堂近くの掲示板に貼り出されていた内容について、私は詳細を知っているだろうデカルトに会いに、彼の自室へと訪れていた。
レミィたちには、食堂に行くよう伝えてある。一緒に行くと言ってくれたが、私個人の問題に時間を取らせるのも申し訳なかったため、そのようにした。
ちなみにアリスはそれでも着いて来たため、部屋の外で待たせている。
「決闘の結果やマウロの件です!」
ここへ来るまでに、なるべく冷静に話を聞こうと思ってはいたものの、いざデカルトの前に立つと感情的になってしまう。
決闘のこととなれば、私は当事者だ。なのに何も聞かされないまま、決まってしまったことに私は苛立っている。デカルトやマウロから直接言われないで、羊皮紙に数行書かれたもので知らされたことにもだ。
「掲示板に書かれたことが全てだ。お前が勝者で、マウロ・ロドリゴスは退学となった」
「その理由とか、過程とかを知りたいんです! だいたい、何で私抜きで話が進んでいるんですか……!」
デカルトは私の言葉に、また一口パイプを吹かすと、机に置かれた小さな皿に中身を落とした。乾いた葉っぱの屑が燃えており、細い煙を上らせながら独特な匂いを振り撒いている。
彼は少し考えるような素振りを見せ、ため息をつく。
「……学園から詳細について口止めされてる。だが当事者であるお前なら良いだろ。ただし、口外するなよ?」
私はデカルトの言葉に頷き、机から両手を離すと姿勢を正した。それを見て彼は、真剣な面持ちで話し始めた。
「勝敗についてだが、俺に直接、ロドリゴス自ら敗北を宣言したことで決まった。引き分けでなく、自分の負けだとな」
「自分から、ですか……?」
咄嗟にそんなことはありえないだろう、と言いそうになったが踏み止まった。マウロのことは全くと言って良いほど知らないが、これまでに見て来た彼の態度や言動を考えると、ありえないと思ってしまう。
理由だ。理由を知りたい。
「マウロはその理由を、言ってましたか?」
「不意を突かれた正面からの斬り落とし。あれによってて一時的ではあるものの、意識を失っていた。本来、あの時既に自分は戦闘不能と判断されるべきだと」
仰向けで倒れていたマウロの姿を思い出す。たしかにそう言われればそうだが、決着を告げる声は聞こえなかった。
「でもあの時、デカルト先生は何も言ってないはずです」
「ああ。俺はまだ続行できると判断したからな」
それも伝えた上で、ロドリゴスは敗北で良い。そう言っていたと、デカルトは答えた。
意識を失ったことが勝敗を決するのであれば、私はそれより前に顎先を掠めた攻撃によって、一瞬意識を手放していた。順番的に見れば、私の負けでも通りそうな理屈だろう。
私がそれを伝えると、デカルトは首を横に振り否定した。
「既に学園の決定事項として、掲示板を介して全生徒に通達している。変えることは無理だ」
「ならもう一度知らせれば、良いだけじゃないですか!」
「決定事項と言ったろ」
そんなこと言われても、納得できない。
こんなの、勝ちを譲られたようなもので勝ったと思えない。そんなことになるなら、不利だろうがもう一度決闘したって良い。
だが、もう一つの通達事項によってそれすらもできない。
「そうだ退学! 退学ってどういうことなんですか!?」
「次から次へと……落ち着け。ちゃんと話してやるから」
デカルトは明日から立ち上がり、窓の近くに立つ。以前、彼から呼び出され、ここに来た時のことを思い出す。あの時とは立場が逆転しており、問いただしているのが私で答えるのがデカルトだ。
「俺も直接本人から聞いていないからな」
デカルトはそう前置きの言葉を述べ、私の目を見ながら語り始めた。
「告発された内容を重く見た、学園から奴に対する処分だ」
「……告発?」
「そうだ。奴からの依頼で、お前が冒険者の襲撃を受けたとな」
襲撃、と言えば昨夜のことに違いない。夜の稽古中にナイフによる襲撃を受けたことは、まだはっきりと覚えている。
マウロによるものだろうと予想はしていたが、まさか本当に彼が犯人だとは、驚きを隠せない。しかも下手人が冒険者なんて、夢にも思わなかった。
「マウロは、本人は認めているんですか?」
「知らん。直接聞いたわけじゃないと言っただろうが。だが即日退学とされた以上、ある程度裏は取れてるんだろうな」
「……え? 即日ってつまり、今日ってこと!?」
私がそう尋ねると、デカルトは頷いて見せた。
そんなこと、掲示板の内容を教えてくれた子は言っていなかった。
「マウロは、彼は今どこにいるんですか!?」
「手続きは済んでいるそうだから、もう学園から出るんじゃーーっておい! アスファロスっ!」
私はデカルトの呼び掛けを無視し、急いで部屋を出る。
アリスが少し驚いたように、どうしたのと尋ねて来たが、今は答える時間すら惜しい。
学園から出るとなれば、場所は一つしかない。外界と学園を繋ぐのは、そこしかないからだ。
私はその場所に向かって走り出す。全身の傷が痛み、こんなことなら治して貰えば良かったと少しだけ後悔した。
(直接会って、話したい)
その思いが、私を突き動かした。




