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才能無き少女と天才少女が英雄と呼ばれるまで  作者: ふきのたわー
第一章 学園の始まりと少女たちの出会い
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第7話:準備と稽古

 「こんなものかな」


 エドガーの私室から自分の部屋へと戻って来た私は、私物を纏めていた。目の前に置かれた鍵付きのカバンは、シスターの一人から譲ってもらったものだ。

 カバンの中には着替えやタオルといった日用品から、教会で使っていた文字の読み書き用の教科書や算術の本などが詰め込まれていた。何度も読み直したり、書き込んだりしたそれはの本はボロボロになっている。

 本は貴重だ。バラバラになったとしても使わなければ勿体無い。


 私物といってもその量は少なく、大きめのこのカバンに詰め込んでしまえるだけの量しかない。

 あと持って行くものとしては、壁に掛けられた修練用の木剣だろうか。


 「……すっきりしちゃったな」


 部屋を見回す。元々少なかった私物のほとんどがカバンに仕舞われたことで、物がなくなった部屋は殺風景で広く感じた。

 棚とベッド、それがこの部屋の全てになってしまった。

 部屋を見ているとなんだか胸の奥がじんわりと、締め付けられるような感覚があった。それが寂しさであることは、すぐにわかった。


 「もう、今日だけなんだね」


 この教会で、この部屋で暮らすのは今日一日が最後となる。

 部屋の隅の壁を見る。そこには、英雄になる、と彫られていた。文字を覚えたての時に、こっそり食器のナイフで彫ったものだ。後々ミリ姉にバレて、こってり絞られた。

 そしてその文字の下に、ミリ姉のおこりんぼ、とも彫られていた。絞られた後に涙ながらに彫ったのを覚えている。こちらは未だバレていない。

 きっと探せばもっとたくさんの過去が見つかるだろう。この部屋にはそれだけ、思い出が詰まっていた。


 思い出に浸っていると、背後からコンコンという小気味いい音が聞こえた。そしてすぐに女性の声が聞こえる。


 「フィリア、昼食を持って来ました」


 ミリ姉だ。

 私が入って良いよ、と返事をすると彼女は扉を静かに開け、部屋へと入る。


 「昼食は外で食べるのでしょう? 朝食の残りのパンでサンドイッチを作りました」


 あと少しすれば昼になる。そして今日の昼は外で剣の稽古だ。ミリ姉は天気が良くて稽古のある日は、こうして外で食べることのできる昼食を作ってくれる。

 ミリ姉は竹で編まれたバスケットを私に手渡す。


 「いつもありがとう。先生の分も?」

 「勿論です。もてなしとしては最低限ですが」


 バスケットを受け取りながら聞くと、彼女は姿勢良くそう答えた。

 先生とは健の稽古をつけてくれている男性のことで、師匠と呼んでも差し支えない人物のことだ。

 そういえば前にミリ姉お手製のサンドイッチを気に入っていたな、と私は思った。


 「身支度は終わったようですね。まさか出立の前日にするとは思っていませんでしたが」

 「まあそんなに量が無いから。実際、半日で終わったし」


 呆れたように言ったミリ姉に、私が答えるとより呆れたようにため息をついた。


 「貴女は昔からしっかりしているように見えて、雑なところがあります」


 まずい、と思った時には既に遅かった。

 案の定、そこからは小言、というかお叱りの言葉が次々と私にぶつけられた。


 「良いですか? 寮には様々な人が暮らしています。貴女と同い年から、年上年下関係なく。身分も人種も、そもそも人類種とは異なるものもいるそうです。そんな環境で共同生活をするとなれば、一人の考えなしの行動によって不和が生まれるのです。隣人を愛し、尊重せよ。私たちが持つ経典にはそのように書かれております」


 息も吐かせぬその言葉達は、それからも続く。一体いつ息継ぎしているのだろう、と考えていると彼女の鋭い眼光が突き刺さった。真面目に聞け、と言わんばかりの眼光に私はまるで蛇に睨まれた蛙の気分だった。



―――☆☆☆―――



 「――おや、もうこんな時間ですか」


 それから半刻ほど、私は床に正座しながらお叱りを受けていると窓の外を見たミリ姉がそうこぼした。

 ミリ姉は懐から銀色の懐中時計を取り出すと、ため息をついた。


 「もう正午になりますのでここまでにしておきます。私の言った言葉をよく考え、自分の行動を改めるように」

 「はい……」


 正座自体は我慢できるが、石畳の上となれば話は別だ。話を切り上げたミリ姉が部屋を出ていく。その後ろ姿を見送り、私は立ち上がろうとしたが上手く力が入らなかった。

 私はその場にぺたんと座り込み、少し休むことにした。


 しばらくして足の感覚が戻った私は部屋を出て、中庭へと来ていた。広めに作られた庭には、一本の大きな木が植えられており、私はその麓で食事を摂るのが好きだった。

 日光は広げられた葉によって遮られ影ができ、春の暖かな風が心地良いのだ。


 木の麓に腰掛けると部屋から持って来た木剣と、汗を拭う用のタオル、そしてミリ姉から渡されたバスケットを地面に置く。見上げると葉の隙間から優しい光が降り注いでいる。

 バスケットの中を見ると、朝食で出たパンにハムと少しの野菜が挟まれていた。丁寧に仕切りが立てられ、私の分と先生の分に分けられている。

 三角形に切り分けられたものを一つ取り出し、一口食べる。ハムの塩味とマスタードの辛さ、野菜の瑞々しさが口に広がる。


 「美味しいなぁ」


 無意識にそう言ってしまう程に、そのサンドイッチは美味しいものだった。朝食もそうだが料理全般でミリ姉の味を超えるものを、私は知らない。

 咀嚼し口の中が空っぽになればまた一口。それを合計四度繰り返す頃には、一切れ目が終わった。残る私の分は三切れ。大事に食べたいところだが、私の手は止まらなかった。

 食べ終わるのに時間は要らなかった。あっという間に四切れあったサンドイッチは無くなってしまう。

 食後に激しい運動があることから、量は少なめ。ある程度腹を満たせる分しか用意していないのは、ミリ姉の気遣いではあるが物足りなさに私のお腹は切なくなる。


 (いっそ先生の分も食べちゃおうか)


 そんな邪な考えと共に、残ったサンドイッチに手が伸びる。先生が来る前に食べ切って仕舞えば、先生からすれば元から無いも同然。今の私なら、五分もあれば残りのサンドイッチを片付けてしまうことなんて、造作もないだろう。

 私の手が、徐々にサンドイッチへと近付くその時だった。


 「来たぞ、フィリアよ」


 しわがれた男の声が、庭の入り口から聞こえた。咄嗟に手を引っ込め声の方向へと視線を移すと、そこには白い髭を蓄えた背の低い老人がいた。

 私は跳ねるように立ち上がると、一礼する。


 「ジア先生、おはようございます」

 「うむ、おはよう」


 その老人の名はジアッテ、私の剣の先生だ。今年で八十歳を迎えた、はたから見れば気の良さそうなおじいさんだ。家名は捨てたらしく、私やミリ姉たちからジアと呼ばれている。

 エドガーのことをエド坊と呼ぶほど親しい中で、詳細は聞いていないが昔からの知り合いらしい。その伝手で、私に稽古をつけてくれるようになったのだ。

 ジアは私にゆっくりと近付く。その手には木剣が杖代わりに握られている。


 「おや、それは?」


 私の前まで近付いたジアは、髭を撫でながら私の足元に置かれたバスケットを見た。


 「ミリ姉が、私たちにとサンドイッチを」

 「おお、ミリアのサンドイッチか。早速頂いても良いかな?」


 私が頷くとジアは嬉しそうに笑みを浮かべながら、その場に腰を下ろす。そしてバスケットの中から一切れ取り出すと、もそもそと食べ始めた。


 「あの娘が作る飯は、相変わらず美味いのぅ。礼を言っといてくれるか?」

 「ええ、きっと喜びます」


 ゆっくり食べるその姿は可愛らしさを感じさせ、空気を和ませるが私の胸中は落ち着いていられなかった。

 危うく、ジアの前で食べてしまうところだった。以前同じようなことをし、仕返しと称した思い出したくも無い仕置きを食らったことがある。

 仕置きを施したのはミリ姉ではない、目の前に座っている老人だ。


 こう見えて彼、ジアッテはとんでもなく強い。国内でもかなり名の知れた人物だ。

 “剣帝”という二つ名を持つ彼は、数十年前には王国近衛騎士団の剣術指南役として王宮に勤めていた経歴を持つ。今でも王国が抱える騎士団の使う剣術、“騎士団剣術”の基礎を作り上げたことでも有名だ。

 剣に生きるため家を捨て、世界を旅し世界中の剣術を習得したという逸話もある。“剣帝”に扱えぬ剣術無し。そう語られている。


 実際、彼は凄まじかった。私の性格や体の使い方を見て、何の剣術が合っているかを見極めようと、数十の剣術を私に叩き込んだ。残念ながら剣の才に恵まれなかった私にとって、それらは知識になったが身につくことは無かったが。

 

 まさに生きる伝説。それが彼、ジアッテだ。


 「馳走になった」


 ジアはそう言って懐から動物の皮で作られた水筒を取り出し、一口水を飲んだ。

 ふう、と息をつくと立ち上がり、私を見据える。


 その眼は食事を楽しむ優しげなおじいさんから、今にも私を切り捨ててしまいそうな鋭い剣士の眼をしていた。

 足先から頭のてっぺんに掛けて、震えが走る。


 「さて」


 その声が聞こえた瞬間、私は足元に置かれた木剣を手に取り構える。ジアの周りの空間が、歪んでいくように見えた。同時に、全身を冷たい何かが支配する。

 見えるはずのない空間の歪みと悪寒、ジアはそれらを殺気と表現するのだと教えてくれた。


 そう。ジアからは殺気を感じる。

 だが問題は無い。いつものことだ。私はそう思い、気持ちを奮い立たせる。

 ジアがゆっくりと、右手で剣を構える。


 「――稽古を始めるぞ、死ぬ気で着いて来い」


 その言葉を合図として、稽古が唐突に始まった。


 最初の一手は私から。

 両手で握った木剣を振り上げ、踏み込みと同時にジアへと振り下ろす。奥歯がギリギリと音を立て、全力の一刀とした。振り上げから振り下ろしまで時間にして一秒か、二秒ほど。

 対しジアは、まるで周囲を飛ぶ虫を振り払うように右手を動かし、私の一刀を弾いた。それだけで私は仰け反らされ、姿勢を崩しかける。

 両手に木剣同士がぶつかったことによる衝撃が伝わり、痺れをもたらした。

 仰け反る上半身を、必死に腹筋と下半身の力で繋ぎ止める。

 そこから姿勢を正した私は、木剣を構え直そうとした。しかし、目の前にジアの木剣が迫って来ていることに気が付いた。音もなく、気配もなく、動作すら感知できなかったそれは、不意の一撃となる。


 その剣閃を見て、剣で受けてはならない、と頭の中で警鐘が鳴り響いた。


 私は左膝の力を抜き、わざと姿勢を崩した。感覚がゆっくりになる。私の頭があった場所を、ジアの木剣が通り過ぎ、私は左側へと転がるように回避した。


 左膝を地面に付かせながら私はジアを正面に捉え、木剣を構え直す。一瞬のことであったにも関わらず、息が上がり、全身から汗が吹き出た。


 「ふむ、気合いは十分と言ったところか。儂の一刀を受けなかったのは正解じゃ」


 そんな私に対してジアは、汗ひとつかいていない。それどころかカラカラと笑っていた。


 「頭に対する横一閃と一瞬見えた先生の構え……騎士団剣術の“剣砕(つるぎくだ)き”と思い至りました」

 「見事、よう見切った」


 相手の受け止めた剣もろとも兜に叩きつけ、自身の剣と兜によって挟まれた剣を砕きつつ、頭部への致命傷を与える“剣砕き”と呼ばれる技だ。

 本来は大剣で用いられる技だが、ジアほどになれば木剣で再現可能なのだろう。以前ジアから見せてもらったことがあったのが、功を奏した。


 「その調子で続けるぞ、フィリアよ」


 その一声で、剣戟が再開される。

 稽古はまだ、始まったばかりなのだ。

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