第71話:間合いへと向かえ
(何が、起きたの……?)
全身に感じる痛みと、乾いた土の匂いが鼻腔を支配していた。痛みを紛らわせようと歯を食いしばると、ジャリジャリとした食感が広がり、私は顔を顰めた。
揺れる視界の中、白の強い黄色が視界に映る。頬に感じる冷たさから、これが地面であること、そして自分が倒れていることに気が付いた。
「――荒ぶる風よ」
男の声が聞こえる。どこから聞こえ、声の主はどこにいるのか。
焦点が定まらず、上下左右に揺れ動き続ける私の瞳はそれを捉えることができない。
「我が敵を吹き飛ばせ」
言葉の意味を理解する。
これは魔術だ。あの時、アリスに向かって放たれた、風属性の初等魔術の詠唱が聞こえているのだ。
「〈ブリーズ〉」
まずい、と頭の中で警鐘が鳴り響いた。
同時に両腕に力を込め、少しだけ地面から体を離すと右足で地面を思い切り蹴り飛ばす。
すると私の体は左へと低空を飛び、今いた場所から少しだけ離れることができた。
ごうっという音と共に、私がいた場所が削られ、砂が巻き上がり地面に浅い窪みができた。
視界の揺れは収まりつつあり、私は再度両腕に力を入れて立ち上がる。
正面に人影を捉える。それがマウロであり、魔術を私に向けて放っていたことを瞬間的に理解した。
そして何があったのか、なぜ私は倒れていたのかも理解する。
決闘が始まった瞬間、私は彼の攻撃をまともに受けた。今地面を削っていたあの魔術に、警戒も受け身もまともにできないまま、直撃したのだ。
マウロは開始の合図、その直前から詠唱を開始していた。合図と同時に放てるように、準備していたのだろう。
(……卑怯なんて思わない。予測はできたはず)
これはお互いの尊厳を賭けた戦いなのだ。
故に手段なんて選んでいられない。勝つためなら全力で、できること全てを出してくるのは当然のことだ。
それに今の一手を卑怯と言うのなら、私が事前にマウロの対策として稽古をしてきたのも卑怯になってしまう。
(一瞬意識を刈り取られただけ。痛みはあるが致命的な怪我はしてない)
腹部に感じる鈍痛は、動けなくなるほどのものじゃない。現に私の体は動いて、魔術の二撃目を避けることができた。
仕切り直しだ。
私は鞘に納められたままの剣を抜く。アリスのものほどでは無いが、綺麗な輝きを放つ銀色の刀身が姿を現した。
真剣特有の重みを手に感じ、これを人に向けるのだと思うと少しだけ気が滅入る。
だが、真剣勝負なのだ。マウロの腰に差さっている剣だって、私と同じだ。
柄を両手で握り、正面にマウロを見据えながら構える。
「今のを大人しく食らっていれば、これ以上怪我をしないでいられただろうな」
マウロの声が聞こえる。
私と彼の距離は遠い。数歩で剣の間合いに入るような距離ではなく、ほぼ一方的に彼が有利を取れる位置関係となっている。
「それで終わらせたいなんて、思ってないでしょう?」
少し声を張り、マウロにそう問い掛けると彼は鼻で笑いながら私を睨みつけた。
「当たり前だ。僕が勝つには、お前の姿はまだ綺麗過ぎる」
言い終わるとマウロは、再び同じ魔術の詠唱を始める。
私はそれを聞くと剣を右手だけで持ち、彼を見据えながら右へと走り出す。
離れるわけでは無い。彼を中心に円を描くように一定の距離を保ちながら、照準を落ち着かせないための行動だ。
魔術が撃ち出されるのは、彼の右手から真っ直ぐだ。魔術自体に対象を追尾する能力は無い。こうして動き続けていれば、彼は偏差で狙わなければならないし、その分精度も落ちるはず。
(隙をついて、距離を縮める……!)
遠距離に対応できるとはいえ、逆に言えば懐に入り込めばあの魔術は使えない。剣の間合いであの魔術を撃てば、その衝撃に自分を巻き込むからだ。
「〈ブリーズ〉!」
発生と同時に、彼の右手から緑色に光る球体が私目掛けて放たれる。走り続ける私に対し、それは直撃する軌道を描いていた。
私は右足を伸ばし、地面に押し当て急制動を掛ける。前へと進む力は止められようとしてもなお私の体を動かし、地面と足が擦れる音を出す。
速度を落とした私、そのすぐ横を緑色の球体が掠め飛んでいく。マウロの魔術は私に当たることはなく、代わりに中央部を囲う壁に直撃し、爆風と砂埃を発生させた。
「――ッ!」
私は完全に動きを止めることなく、ギリギリと歯を食いしばりながら左足を前に出し、右足で掴んだ地面を思い切り蹴ることで、再度走り出すことに成功した。
再び視界の左側に、マウロを捉え続けながら走る。だがそれまでと違うのは、彼との距離感だ。
先程までは距離を保っていたが、今は違う。少しずつ、走りながら体の重心を左にずらすことで、彼との距離を縮め始める。
(目指す距離は、踏み込める位置……!)
剣術の授業、そこでアリスに教わった歩術。
一度の梳り足で剣の間合いに入れる、絶妙な位置。そこを目指して私は距離を縮める。それが今の目的だ。
マウロから間髪入れず、魔術が放たれる。
私は一瞬加速をかけ、進んでいる方向へ飛び込むことで再度回避する。
足を止めてはならない。対応できている今が絶好の機会なのだから。
そこから数発、マウロによる攻撃が放たれ、その度に私が避ける。
目測で必要な距離、それが訪れた。
(――今ッ!)
緑色の球体が私の横を過ぎ去った。
それを合図に、走り始めた時に放たれた魔術、それを避けた時と同じ方法で急制動をかけ、私は体をマウロへと向ける。
体を前へと倒れさせる。同時に剣を振り上げ、後ろに引いた左足を前へと送り出し、右足で思い切り地面を蹴る。
倒れる力は前進する力へと変換され、私の体はマウロに向けて弾き飛ばされる。
(一撃で、沈める……!)
まるで世界がゆっくりと動き出したかのような錯覚を得る。そんな世界の中で、私だけが速い速度を保っている。
眼前に、マウロが近付いていく。彼の表情は驚きに満ちていた。
(これ、でぇッ!)
間合いに、入った。
私は振り上げた剣を、全身の力を込めて振り下ろす。木剣よりも軽量に作られた銀の剣は、風を切り裂きながらマウロの左肩へと向かう。
左肩から右脇腹にかけての、斜めの斬撃。それは必殺の一撃となって、振り下ろされたのだ。
(――え?)
輝く銀の先、マウロの顔を見る。
彼はその口の端を歪め、笑っていた。
瞬間、私は再び爆発によって体を弾き飛ばされた。
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