第70話:フィリアの言葉
レミオレッタ視点です。
「オルくんたち、どこかな……」
外でフィリアと別れ、私はアリスヒルデと観覧席に来ていた。満席と言っても良いほど人で溢れた観覧席は、人々の声と熱気で満たされている。
私は周囲をぐるりと見回す。見落としがないようにゆっくりと、顔を一人一人ちゃんと確認していく。
朝食を食べていた時にフィリアから、ピネットが席を取りに早めに出たと聞いた。おそらく既にピネットとオルは合流しているだろう、と思い二人の姿を探す。
「レミィ、あれ」
アリスヒルデの声が右隣から聞こえた。私は彼女の方に視線を移すと、彼女はその右手である一点を指差している。
私は辿るように指差された場所を見てみると、キラキラと笑顔を向けながらこちらに手を振る男子生徒がいた。
「ふふ、わかりやすいね」
「合流する時、役立つ」
アリスヒルデとそんな会話をしながら、生徒たちの合間を縫ってキラキラしている男子生徒、つまりオルの下へと向かう。
程なくしてオルと合流すると、彼は相変わらずの様子で前髪を手で払いながら、キラキラとした笑顔を振り撒いていた。
「やあ、おはよう。今日も一段と美しいが、元気かい?」
「おはよ。元気だから綺麗なんじゃないかな?」
「ふむ、それはそうか。君は賢いな」
「ありがと」
彼の軽口、というかこの感じにも随分と慣れた。
最初に会った時は、仲良くなれるか本当に不安だった。この軟派な感じというか、口を開けば口説いてくるような、そんな男性は初めてだったのもある。
しかし、接していく内に彼の内面を少しずつ知れた。
今では苦手に感じていない。彼もまた大切な友達だ。
私はオルの左に、アリスヒルデは私の左へと座り、正面の運動場中央部を見る。
一つの人影を見つけ、ジッと確かめるように見詰めてみれば、それがデカルトであることに気付く。彼が今回の決闘において、判定と進行を担う話を私は今朝、彼から直接聞いていた。
「……あれ? ピネットさんは?」
デカルトの姿を確認した後、私はピネットの姿が見えないことに気が付く。ふわふわの明るい茶髪を靡かせた、彼女の姿がどこにもない。
「彼女なら……言い辛いんだが、花を摘みに行った」
オルは顔を顰め、困ったような表情を浮かべながらそう言った。それぐらいのことであれば、なんら気にしないのにと思ったのだが、もしかしたら男性は恥ずかしいのかもしれないと考え、口には出さなかった。
口説くような言葉を沢山言うのに、そういうのは恥ずかしがるんだなぁと、私は不思議に思った。
「……それにしても、序列戦ってこんなに人が集まるんだね」
私は盛り上がりを見せている生徒たちの姿を見て、オルにそう話し掛ける。すると彼は真剣な表情を浮かべながら、私に答えた。
「ピネットから君も聞いただろうが、序列戦はある層の生徒にとってはとても重要だ。その初戦ということもあり、注目度は非常に高いのだろうね」
そして続けてオルは、周囲に聞こえないぐらいの声量で私に耳打ちした。
「加えて、生徒間で賭けも発生しているようだ」
決闘の勝敗、それを元にした賭け事というのは珍しくない。貴族間で行われる決闘に於いて、見届ける側の権利のような側面があるからだ。
賭け事は人を熱狂させる。この運動場に渦巻く熱にも含まれているだろう。
「胴元はおそらく……」
そう言ってオルの視線が動く。私は彼の視線を追って、反対側の観覧席を見る。
一画、静かに中央部を見ている集団がいる。約十人ぐらいの集団だ。遠目に見える制服は、私たちとは違う色が使われている。上級生だろう。
「お父様から聞いていた通り、やっぱり学園に来てたんだ」
私は“彼ら”のことを知っている。
貴族の社交界で直接話したこともある。この学園に入ったと聞いてはいたが、その姿を見るのは今日が初めてだ。
「結果によっては、フィリアが目を付けられるかもしれない。面倒にならなければ良いが……」
「その時は私が出るよ」
そうならないのが一番ではあるが、“彼ら”のことだ。フィリアの素性についても知っているだろうし、彼女がマウロに勝てば接触してくる可能性は十分にある。
オルの言う通り、面倒なことにならなければ良いのだけれど。
「生徒諸君。時間だ」
ざわざわと落ち着かない観覧席、それを覆い隠すように男の声が運動場に鳴り響いた。
大きく拡声された男の声、その出所は中央部にいるデカルトだ。
彼の一声によって、ざわつく観覧席は静まり返り、生徒たちの視線はデカルトへと向けられる。
「今回の序列戦について、俺から説明させてもらう」
そうしてデカルトから述べられたのは、以前アリスヒルデとマウロの時にも言っていた決闘の内容についてだ。
決闘方式は通常のものと同じ、つまり武器や防具、道具は無制限で使用できること。そして魔術についても中等以下であれば制限は無い。
制限時間は序列戦でよく採用される三十分。
勝敗はどちらかの戦闘不能、降参宣言、判定役のデカルトが続行不能と判断する、そして制限時間を超過した時点で彼が有利だったと判断した時に決する。
「溢れよ、守りの水。触れる者を覆え」
たしか守護の被膜、という運動場に備わっている魔術だっただろうか。その詠唱を終えるとデカルトは、周囲の観覧席を見回した。
「今回の序列戦、要求についても説明させて頂く」
マウロ・ロドリゴス。
彼が望むのは、相対者であるフィリアの退学。
フィリア・アスファロス。
彼女が望むのは、マウロに自分の存在を認めさせること。
負ければ別れ、勝てばまた日々を過ごせる。それだけの単純な話だが、だからこそ重い。
勝って欲しい。フィリア自身のためにも、私やアリスヒルデ、皆のためにも。
そう願うだけの私は、とても無力だと感じた。
デカルトの説明が終わると、中央部の私から見て左右の入り口からそれぞれ人影が出てくる。そしてそれと同時に、静まり返っていた観覧席が再び熱気に満たされた。
「始まるぞ。ピネットはどこまで行ったのやら……!」
少し興奮したような声色で、隣のオルが言った。
中央部右手側はマウロだ。どこか不機嫌そうな顔をしてあるいている。
そして左手側、フィリアの姿を捉えた。朝は緊張しているようだったが、今はすっかり普段通りに見える。
「フィリアちゃん来たよ、ほら」
そう言って私は、自分の左隣に座っているアリスヒルデを見た。
しかし、彼女の姿はそこに無かった。アリスヒルデが本来座っているはずの場所はもぬけの殻で、さらにその奥に座る別の生徒が見えるだけだ。
「オルくん、アリスヒルデちゃんいない!」
「……え? いや僕は見てないぞ!」
お手洗いだろうか。
なら一言ぐらいなにか言ってから、離れてくれれば良いのに、と呟く。
とりあえずそのうち戻ってくるはずだ。というかもう始まるのだから早く戻って来て欲しい。
フィリアとマウロの距離が縮まり、二人の足が止まったタイミングで観覧席は誰からの指示も無く、自然と静かになる。
「――双方、“構え”」
息を呑む。
始まる。始まってしまう。
フィリア自身と、彼女に関わった私たちのこれからが決まる戦いが始まるのだ。
『勝って、またレミィの所に行くよ』
ふと今朝の、彼女の言葉が脳裏をよぎった。
「――“始め”!」
デカルトのその一声で、決闘が始まった。
そして同時に中央部で爆発が起き、大量の砂埃が空を舞った。




