第6話:陽炎の少女
私は朝食を食べ終え、食堂でミリ姉に淹れて貰った紅茶を飲んでいた。紅茶はそこそこ高級な嗜好品ではあるが、これもまた貴族様からミリ姉が貰って来たようだ。
食堂は縦に長い造りとなっており、一つの長机で皆揃って食事を摂る。既に食べ終えたシスターたちは思い思いに過ごしており、私と同じようにお茶を飲みながらゆっくりしている者、仕事に入る者など様々だ。
ミリ姉は少し前に全員分の食器を片し、洗い物のために台所へと行ったところだ。
「フィリア、手が空いていたらこの後、私の部屋に来てください」
エドガーが私の背後からそう声を掛けた。先程まで珈琲を飲みながら新聞を読んでいた気がするが、部屋に戻るのだろう。そのついでに私に声を掛けたのだ。
「はい、神父様。お茶を飲んだらすぐにでも」
「急ぎではありませんからね」
そう言いながら笑顔を見せたエドガーは、食堂から去っていく。
私はその背を見送りながら、何の用だろう、と思い、紅茶を一口飲んだ。
紅茶を飲み終えた私は螺旋階段を上り、エドガーの私室を目指していた。聖堂に隣接された宿舎、その三階にエドガーの私室はある。ちなみに私は二階の部屋を貰っている。
石造りの螺旋階段は綺麗に清掃が行き届いており、一定間隔で造られた窓から差し込む陽光によって静謐さを感じさせる。
しばらく上ると廊下に出る。左側に扉が三つ、右側は窓が設けられている。
私は廊下を進み、一番奥の扉の前に立つ。木製の扉は装飾が無い、質素なものだ。
一応、身嗜みを簡単に整える。エドガーはあまりそういうのを気にしないが、こういうのは気分だ。ミリ姉に仕込まれたとも言えるが。
そして私は三回、扉をノックする。すると一拍置いて中からエドガーの声で、どうぞ、と聞こえた。私はそれを合図に扉を開ける。
中はこれまた質素で調度品の一つもない、少し長めの背の低い机とそれを挟み込むように低めの椅子が並べられ、奥には執務机に座ったエドガーがいた。
「すみませんね、朝から呼び出して」
私は構いません、と言って中に入る。エドガーの座る執務机の前に立つと、彼は何やら書き物をしているようだった。手元には数枚の紙と羽ペンが置かれている。
「ああ、シト村の村長に手紙を書いていたのですよ。短い間とはいえ、あの村で貴女が過ごしたのに変わりはない」
学園に行くことを伝えるための手紙なのだとエドガーは語った。
あの村には恩がある。ほとんど誰とも話すことはなかったし、知り合いがいるわけでもない。だが重傷を負った私の面倒を見てくれたし、何より亡くなった私の村の村民たちを弔ってくれたのは他でもないシト村の人達だ。
「いずれ機会があれば、直接行ってお礼をしなければなりませんね」
私はエドガーのその言葉に頷く。この十年の間、一度も訪れていない。距離的なものもあるし、私は気にしないが周りのシスターたちが、私を連れて村へ行くのをあまりよく思っていない節がある。
だが私ももう十五歳になる。あと三年もすれば成人する。恩義に報いなければならないだろう。
「本題に入りましょうか」
エドガーは書きかけの手紙を机の端へとどかすと、柔らかな笑みから一転して、神妙な面持ちを見せた。これは大事な話だ、と私は瞬間的に察し、姿勢を正す。
「“ヘイザ―”という言葉に、聞き覚えはありますか?」
そう問われ、私は記憶を確かめる。特にそう言った言葉は聞いたことが無い。
「すみません、私には覚えがありません」
私がそう答えると、エドガーは頷き、ため息をついた。
どこか言い辛そうに、エドガーは話を続ける。
「私としては伝えるべきではないと思うのですが、如何せんこの先必ず触れる言葉になるでしょう」
エドガーはゆっくりと立ち上がり、続ける。
「学園には様々な身分の生徒が居ます。貴女と同じような境遇の子は居ないでしょうが」
ある程度のベースラインは引かれているが、逆に言えばそのラインを越えられるのであればどのような身分であっても通えるのがあの学園だ。
それこそ小さな村出身の平民から、王宮に勤める貴族の子供、王国以外にも友好国から通う者もいる。人間以外の種族もいると聞いたことがある。
「十年前の出来事は、貴族の間で有名な話でしてね」
私に背を向け、窓の外をエドガーは見る。
「“罪の化身”から生き延びた少女。その少女は既に命無いものと同義であり、炎の中に揺らめく、実体の無い陽炎のような存在」
私はその言葉を聞き、悟った。
“ヘイザ―”とは、
「貴族たちが貴女を指す言葉として、“陽炎の少女”と呼んでいるようです」
ミリアが貴族より聞いたそうです、とエドガーは言った。
なるほど。良い意味で使われていないのは態度でわかる。おそらく面白おかしく、または物珍しさを含んでそう呼ばれているのだろう。
そしてこれから行く学園には貴族の子もいる。そういった意味で使われているのなら、私の存在を知ったその子らは私をそう呼ぶのだろう。
「こればかりは人の口である以上、止めることはできません。ましてや貴族となれば、我等はその行動に口を挟めません」
エドガーは心配しているのだ。私がそう呼ばれ、からかわれたり傷付けられたりするのではないかと。
そうであれば、その心配は杞憂だ。
「神父様、私は大丈夫ですよ」
そう私が言うと、エドガーはゆっくりと振り向いた。どこか悲しそうな笑みを浮かべる彼の顔は、少しだけ私の胸をチクリと刺した。
「そんなことで私は傷付けられませんし、折れることもありません」
エドガーが、ミリ姉が、皆が開いてくれた夢への道だ。進むことはあれど、逸れることはしたくない。
からかわれるなんて、あの日の絶望に比べれば痛くもなんともない。そんなことより、私を心配して心を痛める彼の姿、それを見る事の方が余程辛い。
「私は“英雄”になります。その為に避けて通れないのならば、私は立ち向かいます」
私の言葉を聞き、エドガーは一瞬驚いたような表情を見せると、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
見慣れたいつもの顔だ。
エドガーは私に近寄ると、私の頭を撫でる。背はエドガーの方が高いが、初めて会った日に比べれば随分と視線が近くなった。
「……強く、逞しくなりましたね。フィリア」
そう言いながら撫で続けるエドガーが私を見つめる。撫でられることが少し恥ずかしかった私は、視線をずらした。
「女性を褒める時は、逞しいなんて、使いません」
気恥ずかしさから漏れ出た言葉は、まるでミリ姉が言いそうなものだった。