第64話:白銀の妖精と、高鳴る胸
「……寒い」
私はあまりの寒さに、身震いと共に目を覚ます。部屋はまだ暗く、朝が来ていないことはすぐにわかった。
目が覚めてから間も無いこともあり、焦点がいまいち定まらないが、そんな視界の中でも掛けていた布団が剥がれて、横向きで寝ていた私の背中が外気に晒されていることに気が付く。
私は寝返りを打ちながら掛け布団の端を握ると、自分の方へ手繰り寄せる。体を完全に覆い隠せば、徐々に布団の中で熱がこもっていくのを感じた。
「……アリス?」
温もりに身を委ねて再び寝ようと目を閉じた時、私は隣で寝ているはずのアリスの姿が無いことに気が付いた。同時に、寝る前のことを徐々に思い出していく。
もやもやとした感情のまま洗濯を終えて干した後、私はすぐに床へ着いた。
ベッドには既に夢の世界へ旅立っているアリスがおり、面積の半分以上を占有していたので彼女を少し動かした。その時、アリスに触れた私の腕に彼女が絡みついてきて、それから離れるのに少しだけ苦労した。
ベッドに入ると私は壁側、つまりアリスの方に背を向けたのだが、そこでも彼女は私に抱きついてきたので、剥がすことはせずそのまま眠りについた。
たしか、そんな流れだった気がする。
私は記憶を辿りながら上体を起こすと、今の状況を整理する。
思い出した内容が正しければ、アリスは私の背中側で眠っていたはずだ。だが今、いるべき場所に彼女の姿は無い。
私はアリスがいたであろう場所に手を当て、ゆっくり確かめるように撫でていく。
「冷たい」
そこから感じる熱は無い。ベッドから出て行ってしばらく経っているのであろう。
洗面所の方に耳を向けてみる。特に音や気配も無いので、お手洗いに行っているわけでは無さそうだ。
総じてアリスは今、この部屋の中にいない。どこに行ったのだろう。
「……まあ、そのうち戻ってくるかな」
私はそう呟き、再び横になると布団を掛け直す。彼女のことだ。何かトラブルがあったとしても、特に問題無く帰ってくるだろう。
もしかしたら唐突に目が覚めて寝付けないものだから、適当に散歩をして気を紛らわせているのかもしれない。
心配することはないだろう。
「……」
そう思いながら目を閉じたのだが、何か落ち着かない。じっと睡魔が私を誘って来ることを待っているが、一向に来る気配が無い。むしろ覚醒に、より近付いていくような感覚すらある。
私はアリスがいた筈の、壁側に体を向ける。本来あるべき彼女の寝顔はそこに無い。
なんとなく、部屋に戻ってきた時のことを思い出した。
アリスは眠気の限界に達し、戻って来て早々ベッドに倒れ込んだ。
私はそんな彼女がちゃんと眠れるよう、体の向きを変えてあげたり布団を掛けるなどしてあげた。
その時感じた彼女の体は、とても軽かった。どこに男の子と、正面から斬り結べるだけの膂力があるのだろう、と疑問に思うほどだ。
なぜかはわからない。だがその時に感じた彼女の体重が、まるで今もそこにあるように両手に感じる。
『私はそばにいる』
決闘の後、アリスが私に言ったその姿、その言葉が頭の中で反響した。
私は勢いよく上体を起こすと、跳ねるようにベッドを出て近くに掛けてあった制服を上着代わりに羽織る。
なんとなく、じっとしていられなかった。
だから私は部屋を飛び出した。
廊下は気持ち悪いくらいに静まり返っており、私は音を立てないよう、そしてなるべく急いで歩いていく。月明かりが十分では無いものの、廊下全体を照らしてくれているので移動に支障は無い。
「魔術があれば、苦労しないんだけど」
誰に向けるでも無い文句を呟きながら、周囲に視線を配ってアリスの姿を探す。
魔術には暗闇を照らすものもあり、松明や持ち運べるランプが無くても暗闇の中を進むことができる。もちろん私には使えないので、こうして手探りのような状態で、廊下を進んでいくしかない。
アリスが行きそうな場所を想像する。彼女の行動範囲は極端に狭い筈だ。私と常に行動していたし、一人でどこかに行くような素振りも見せたことがない。
だが逆にそのことが、想像させるのを難しくさせる。その場所にいるというイメージがわかないからだ。
レミィの所は、自室を飛び出す際に真っ先に除外した。彼女の所に行っていれば、何かしら私に対してレミィからあるはずだ。それが無かったことと、アリスがレミィに会いに行くというのも想像ができない。
ピネットの部屋も無いだろう。レミィのと似たような理由だが、それに加えて二人の関係値はかなり低い。
食堂と売店はありえない。深夜の今、その二つは開いていていない。向かったとしても締まっているので、アリスは別の場所へと足を伸ばすはずだ。
ホワイトルームの教室……授業中に寝ていた子が、眠れないからと言って向かうだろうか。まあもしかしたら、はあるかもしれないがわざわざ行く意味は無い気がする。同じ理由で、授業に使った教室も除外される。
「どこ行っちゃったんだろ……」
廊下を見回し、アリスの姿が見えなければ階段で一つ下の階へと向かい、また廊下を見回す。だがやはりいない。
アリスがいなくて寂しい、という理由で彼女を探しているわけでは無い。
私は思い出して、再度認識したのだ。アリスは誰よりも強く逞しいように見えるが、ただの十二歳の女の子だと。
そんな子がこんな深夜に姿を消した、となれば私も黙って甘い眠りを享受していられない。そんな理由だ。
「あっ」
色々なことを考え、ふと廊下の窓から外を見た。その行為に意味は無く、ほとんど無意識でやったことだった、
しかしそれが功を制し、アリスの姿を見つける。
彼女は中庭にいた。何をしているかまではわからないが、夜の闇の中で彼女の銀髪が煌めいている。
私は無意識に、走り出した。
―――☆☆☆―――
「……フィリア、夜遅い。何してる?」
中庭に着くと、私が声を掛ける前にアリスは私の存在に気が付き、そう言葉を投げかける。
「こっちの台詞だよ……」
私はその言葉に肩を落としながら、アリスにゆっくりと近付いていく。
彼女はいつも通り無表情で、何が起きたかわかっていないかのように首を傾げていた。原因は彼女にあるとしても、勝手に焦って盛り上がっていたのは私だ。何が起きたかなんて知らなくて当然ではある。
「はぁ……」
私が焦っていた、なんてことは話さなくても良いだろう。そう思って私は胸を撫で下ろしながら、一つ息を吐く。
アリスを見る。
彼女は着替えた様子もなく、私が眠る前に見た姿のまま、つまり寝巻き姿だった。
しかし一つ、違う箇所があるとすれば彼女のその右手だ。そこには一本の剣が握られており、柄や刃の形状からして木剣でも練習用の物でも無いことは明らかだった。
そして私はその剣に見覚えがある。決闘の時に見た、白銀の剣だ。
「……稽古してたの?」
アリスにそう聞いたものの、違う気はした。
そしてその予想は的中し、彼女は首を横に振って私の問いに否定を示す。
「見てて」
アリスは一言、私にそう告げると手に持った白銀の剣を構えた。いや構えた、というのはおかしいかもしれない。何故ならその構えは、戦うことに秀でたものでは無いように見えたからだ。
両手で柄を握り、剣の切先が天へと向けられるように垂直に立て、目を閉じたアリスはその額を剣の腹へと当てていた。
まるで祈るようなその姿に、私は息を呑む。
アリスは合図も無く、唐突に剣を振るい始める。
瞳を閉じながら、その場からほとんど動かないまま剣を上下左右に、時折体ごと回転しながらゆっくりと。動いたとしても飛び跳ねるように二、三歩動くだけだった。
それらの動きは決して戦うためのものでは無い。
一言で表すなら、舞踏だ。
月光の下、アリスは美しい銀色を輝かせながら舞うように、踊るように剣を振るっていた。
「王国の西、砂漠がある国で教わった」
アリスは舞いながら、私にそう言った。
私は彼女の姿から目が離せず、そして何も言わずただその場に立っていた。
「剣舞って言うらしい」
アリスの言葉を聞きながら、私は昔、あの村にいた時に母から聞いた物語を思い出す。その物語には妖精という人間の姿に羽根を生やした、美しい小さな生き物が沢山現れて、旅する剣士をその踊りで鼓舞する場面があった。
まるでその物語の妖精のように、アリスは美しく可憐だった。
「戦士の栄光と無事を祈るためのものだと聞いた。あとは戦士の帰還を祝う時にもするらしい」
剣は白銀の軌跡を描き、アリスの髪は彼女が跳ねるたびにまるで羽根のように羽ばたく。
周囲に広がる夜の闇が、より強く彼女の存在を浮き彫りにしている。
「ちょっと早いけど、フィリアにって思った」
舞い続けるアリスはその瞳を開き、私を見た。
私はその姿にただ見惚れるしかなかったが、彼女の視線と自分の視線が重なったところで我に帰る。
アリスが今こうしているのは、私のためだった。それが嬉しくもあり、どこか気恥ずかしい。
「……ありがと」
だからだろうか。
私は顔に熱を感じながら、素っ気無く一言だけ感謝を告げるだけになってしまったのは。
……きっとそうだ。心臓が早鐘を打って五月蝿いのも、気恥ずかしさからくるものだろう。
そうに違いない。
それからしばらく続いたアリスの剣舞を、なぜだかそれまで普通に見れていたのに私は直視できなかった。




