第53話:遠巻きの視線
運動場の入り口から出て右の一角に、私とアリス、ピペットの姿はあった。ここには水道が通っており、横並びで蛇口が五つ並んでいる。
ジアより授業が終わった後、生徒全員に対してここを使って水分補給をしろ、と言われたのでここに来た。
加えて周囲には休憩できるようにベンチも設置されており、私たち以外の生徒も思い思いに休んでいる。
蛇口を捻り水を流し始めると、まず手を洗う。木剣を握っていた掌は熱を帯び、冷やされた水が気持ちよく感じた。そしてそのまま両手を使って水を貯め口を付け、貯められた水を飲み干す。
隣ではアリスが私と同じ動きで水を飲んでいた。彼女は私と違って汗をかいておらず、疲労も感じさせる様子は無かった。
小さな体にどれだけの体力が詰まっているのだろう、と不思議に思いながら私は水を飲む。
掌に貯められる水は少量ではあるが、渇いた喉を潤すには十分で、私は三度水を貯めて飲むと満足して蛇口から離れる。その私のタイミングを見計らってか、アリスもその場から離れ私の手を握ると一緒に歩き始めた。
私たちは近くの木陰へと移動すると、そこにはピネットがいた。彼女は地面に仰向けで横になっており、目を閉じながら鼻歌を歌っていた。
「お、混んでなかった?」
私たちが近付くのに気付いたのか、ピネットは目を開けると寝転んだ状態で私たちを見る。
彼女もまたアリスと同様、疲れを見せていない。苦戦しながらも体力には余裕があったのだろう。
私の体力が少ないのか、と二人を見てて思うが先ほどの水道付近にいた生徒を見れば、私と同様疲れた果てた表情を浮かべながらその場で座り込んだりしていたので、おそらくアリスとピネットが規格外なのだろう。
「全然。皆動きたくないって感じで、並んでるのは数人くらい」
「そりゃそっか。型稽古に慣れてないってのもあるけど、アタシですら疲れてるぐらいだし」
そう言ってピネットは、軽く笑いながら再び目を閉じた。疲れてる風には見えないけどなぁ、と思いながら私はアリスの手を引いてピネットの近くに腰を下ろす。
柔らかい太陽の光が、頭上の葉の間を通して差し込んでくる。ちょうど良い暖かさを感じ、私は目を細めた。
「獣人は体力おばけ」
「アリスがそれ言う?」
そんな会話を二人がしているが、私や他の生徒からしたら二人ともおかしいでしょ、と言いたくなる。
とりあえず運動後の習慣として、体の筋を伸ばすようにストレッチを私は始めた。
柔軟な体は怪我を防ぐし、剣の扱いには不可欠だとジアから以前教わった。それからはなるべく欠かさずにするようにしている。
一歩も動けなくなるほど、疲れ果てた時はサボってしまうが。
「次は何やるかなー。フィリア、なんか予想できない?」
ストレッチをしていると、寝転んだピネットが私に尋ねる。次というのは五限目のことだ。
私がジアの弟子だから稽古はどんな流れだったのか知っているだろう、という考えからくる問いなのはすぐに理解した。
私は体を動かしながら思い出す。
「だいたい型の後は打ち込みかな」
「寸止め?」
「いや、ちゃんと怪我する感じの」
「こわぁ……」
私の答えにピネットは顔を歪めていた。
小さい頃はたしか寸止めだった気がするが、いつしか避けるか防ぐかしないと痛い思いをするようになった。私はそれが普通だと思っているがどうなんだろう。
「痛みは覚えるのにとても有効」
「でも痛いのは嫌じゃん……」
アリスの言葉に唇を尖らせたピネットが答えていた。
ジアも同じようなことを言っていた気がする。痛みや苦しみの記憶は他の記憶と違って、鮮明に、ずっと残り続けるのだと。
だからと言って、痛い思いをする前提なのは嫌だ。そこはピネットと同意見と言える。
「避ければ良い。痛くない」
「それもそっか」
単純だなぁ、と思いながら二人の会話を聞く。声のトーンを変えることなく喋るアリスに、気楽で明る気なピネットの会話は聞いてて面白かった。
―――☆☆☆―――
「……フィリア、見られてない?」
二人の会話を聞きながら、ストレッチを終えゆっくり休んでいた私に、寝転んだピネットがそう話し掛けた。
ちなみにアリスはいつの間にか寝てしまい、今は私の膝に頭を乗せ寝息を立てている。
「見られてる?」
ピネットの言葉にそう聞き返すと、彼女は頷いてある方向へと視線を向けた。
私はその視線を追って、ピネットが見ている方へと目を移すと、たしかに何人かの生徒が私たちを見ていることに気が付いた。だが少し距離があるため、ピネットの言うように私を見ているのか、私たちを見ているのか判別がつかない。
「アレ、私を見てるの?」
「見てる見てる。アタシ、目も良いから」
私には全然わからないが、ピネットがそこまで言うならそうなのだろう。
しかし、と思う。何故あの生徒たちは私を見ているのだろうか。遠目に見える顔を私は知らない。おそらく別学級の生徒だろう。
見られて何か困るわけではないが、ジッと見続けられるのは居心地が悪い。何か私が失礼なことでもしたのなら、遠巻きに見てないで直接言って欲しいものだ。
「なんかした?」
「なにも。一緒にいたから知ってるでしょ?」
「まあねぇ」
やましいことないし気にしないでいっか、と言ってピネットはまた目を閉じてリラックスし始める。
気付かなければ私もそうしたいが、意識し始めるとなんともむず痒い感覚がある。かと言ってわざわざ、何か用ですかなんて聞きに行くのも面倒だ。
「値踏みしてるだけ」
「あれ? 起きてたの?」
どうしたものかと考えていると、私の膝あたりから声がした。視線を落としてそちらを見れば、私の膝を枕にして仰向けに寝ていたアリスが私の顔を見上げていた。
さっきまですやすやと寝息を立てていたと思ったが、いつ起きたのだろう。
そしてアリスの言った値踏み、とはどういうことだ。
「値踏みって、私を?」
「うん」
「なんで?」
「弟子と呼ばれてたから」
「……なるほどね」
なるほど、と合点がいく。普段と同じようにジアと話をしていたので失念していた。授業が始まる前までのことを思い出してみれば、生徒たちの視線を一心に受けながらジアのことを師匠と呼ぶ私がいた。
そういうことか、と私は理解する。
“剣帝”の弟子がどんな人物なのか、彼らは気になっているのだろう。そしてその者が、王国随一の剣士の弟子に相応しいのか。それを確かめるべく、遠目から値踏みしてるのか。
勝手そうに思えるが、それだけジアの存在というのは大きいし、意味のあるものなわけだ。
「隙見せたら相応しくない、って言って襲われそう」
「あり得るかもねぇ」
「うん」
私の言葉に二人は言葉数は少ないながら、ほぼ間を置かずに肯定した。
冗談のつもりで言ったのに、と思いながらこちらを見る生徒へとまた視線を移す。
なにやら耳打ちをしながら私を見ている。当たり前だが何を話しているかなんて分かるわけがない。
「……悪口とかじゃなきゃ良いけどなぁ」
ため息をつく。
弟子となったこと自体は本当に嬉しいのだが、副産物として他人から監視されるようになるのは嫌だ。
私は何事も起きないことを祈りながら、残りの休憩時間を過ごした。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は明日12時、17時の二回を予定しています。
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