第49話:城壁を小指で押す
「もしかしたらって思ったけど、ほんとに剣術まで一緒なんてね! ツいてると思わない?」
廊下を歩きながら、両手を頭の後ろで組んでいるピネットが上機嫌に私に話し掛ける。
私たちは冒険者学を終え、剣術の授業を受けるために第三運動場へと向かっている最中だ。
私の隣を歩くピネットも四限と五限が剣術らしく、折角だし一緒に行こうということで行動を共にしている。
「ツいてるかはわからないけど、知らない子ばかりってよりは良いかも」
私がそう答えるとピネットは嬉しそうに笑い、頭の後ろで組んでいた手を解くと肩を組んできた。
身長は私よりも高く、肩を組むと覆いかぶさるような形になった。
「わかるよ、フィリア。集団の中で浮くのは嫌だよねぇ」
ピネットはすぐに溶け込めそうな気がするけどなぁ、と考えながらも声には出さなかった。
彼女の顔を見る。とても機嫌が良さそうで、明るい笑顔を振り撒いている。
その顔を見ていると、まさか彼女が先ほど話していた壮絶な経験をした人物とは到底思えない。
あの話を聞いた上で、あの教室にいた生徒のうちどれだけが残るだろう。
冒険者はハイリスクハイリターンの職業であることを、この世界の住人であれば誰でも知っている。命の危機に何度も直面しながら世界中を旅し、富と名声を一身に受けることのできる職業。
それが一般的な認識だ。私もそう思っている。
実態としてそれは間違いではないが、当事者とそうでない者との間には意識の差があるのだろう。特にリスク、つまり命を賭けているという部分に対して楽観的であると言っても良い。
教室で、あの場にいた者全員に語り聞かせていた、ピネットの姿を思い出す。
真剣な眼差しをローガンに向けていた。そして茶化すことも軽んじる様子もなく、ただ淡々と語っていた。
その時、彼女は何を思っていたのだろう。
目の前で倒れていく仲間たちを見て、彼女は何を考えていたのだろうか。
私は少しだけ、それがわかる気がする。
理不尽に振り下ろされる死をただ見詰めることしかできず、己の無力さに絶望する感覚。私はそれを知っているし、今でもはっきりと覚えている。
ピネットは私と違って、多少覚悟はしていたと思う。今のランクに至るまでに、きっと語ったこと以外にも多く経験しているはずだ。だからと言って、心の傷を浅くすることなんてできやしない。
恐怖と悲しみ、痛みは決して振り払うことのできないものだ。
「どうかした?」
気が付くと私は足を止めながらピネットを見ていたようで、彼女が数歩先で私を見ていた。
「……ううん、なんでもない」
私はピネットにそう返事をした。
思っていたことを直接彼女に言う必要はないし、それ以上に言い出す勇気もない。
胸の内に秘めたままで良い。もしも言う必要がある時が来たら、その時でも遅くはないと思う。
私は小走りでピネットの横に立つと、再び歩き始める。
「ところでさ」
歩き始めると同時に、ピネットが言い辛そうに私に語り掛けた。
私はもしかしたら考えていたことがバレてしまったかもしれない、と思って身構える。
「一応……説明してくれてたよね?」
想定していた言葉と違うものが彼女の口から出てきて、私は一瞬思考が止まった。
困ったような表情を見せるピネットに、なんのことだろうと考えてみると、答えはすぐに出た。
「アリス」
声を掛けた銀髪の少女は、私の陰に隠れてジッとピネットを見ていた。
私の右隣にピネット、左隣はアリスが歩いており私を挟む形となっている。ピネットと自分の対角線上に必ず私が来るように細々と調整し、アリスは歩いていた。
「なに?」
「なんで隠れてるの?」
アリスにそう問い掛けてみると、答えは返ってこなかった。
表情の変わらないアリスの気分は、彼女の纏う雰囲気で察しなくてはならない。言葉で明確な答えが出てこないので、なんとなくでアリスを見てみる。
……特に怒ったり、機嫌が悪そうには感じない。私は感じ取れなかったが、教室で寝ていた時にピネットへ向けていた警戒心も、ピネットの様子を見る限りは無いように見える。
(恥ずかしがってる……はないか。初対面のレミィたちと普通に話してたし)
ではアリスの不思議な行動の原因、それはなんだろう。
ピネットが何かしたのか? いやそれは無いか。
「もっと顔見せてよぉ……」
ピネットは悲しげな声でそう言いながら、なんとか私の陰に隠れるアリスを見ようと色んな方向から彼女を覗き込む。
するとアリスはそれに対抗し、必ず私が盾になるよう位置を調節している。まるで逃げているようにも見える行動だ。
王国には“城壁を小指で押す”という言葉がある。巨大な城壁が人間の小指程度で動くことは、絶対にありえないということで、やっても意味の無いことを指す言葉だ。
そう。まさに今のピネットがそんな感じだ。
そうは言ってもアリスの今の行動は意味が分からない。
授業が終わって目を覚ましたアリスには、ピネットは良い子で私たちを害する人物ではない、という風に話してある。彼女は私のその言葉に納得し、頷いて見せた。
だが席を立って、次の授業のため移動を始めた直後から、アリスはこの調子だ。
……二人をこのままにしておいても微妙な空気になるなぁ。
それに私の周りをずっとこんな感じで過ごされても、私がいたたまれない雰囲気になる。
私は意を決して、アリスに話し掛ける。
「アリス、そろそろちゃんと話して欲しいんだけど」
少しだけ低い声で、アリスにそう言ってみる。
効果があるかどうか、確証は無かった。
「……嫌いじゃない、だけど嫌い。不思議な感覚」
だが蓋を開けてみれば効果はあったようで、アリスは俯きながらそう言った。
言葉数の少ないアリスだが昨日から話してみた感じ、彼女が話す時はもっと直接的な表現をするし、的確であったはずだ。
しかし、今出てきた彼女の言葉は抽象的すぎて、何を意味しているか全くわからない。
「あははははははは!」
アリスの言葉に困惑する私の横で、ピネットは突然声を上げて笑い始めた。
私が驚いて彼女の方を見ると、彼女は腹を抱えて目の端に涙を溜めながら笑っていた。
「な、なに……?」
「ふ、ふふふ……いやごめんごめん。あんまりにも可愛いかったから」
自分でも驚くぐらい戸惑った声で尋ねてみると、ピネットは笑いをこらえながらそう言った。
そして彼女は、アリスの顔を覗き込むように腰を曲げる。
アリスはというと私の陰に隠れてはいるものの、さっきまでと違って逃げるようなそぶりは無かった。顔の半分を私で隠しながら、ピネットの顔を見ていたのだ。
「大丈夫。仲良くしたいだけ」
「……本当?」
「もちろん。取らないよ」
「……わかった」
二人の会話は短く、それだけだった。
しかし何かが二人の間であったのか、姿勢を戻したピネットを見てもアリスは陰に隠れることはしなくなった。
その様子を見て、私はさらに困惑する。たった二、三言の会話で何が変わったのだろうか。
「その様子を見るに、フィリア。わかってないんだ?」
からかうように笑ったピネットが私にそう言う。
「フィリアは大事にされてるねぇ」
彼女はくすくすと笑いながら、いまだ理解できていない私を嘲笑うようにそう言った。
もはやその言葉の意味すらわからない私は、“城壁を小指で押す”という言葉を再び思い出した。
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次話は12時に投稿予定です。




