第44話:獣人の少女
昼食を終えた私たちは挨拶もほどほどに、三限目の授業へと向かう。
私とアリスは三限目に冒険者学となっている。場所は校舎の三階にある教室だ。
授業ごとに教室が変わるので一限目の後の隙間時間と、昼食を取りながら地図を読み込んだことである程度、校舎内の構造は把握できた。
ちなみに地図は把握できた後にオルに返却した。
校舎の一階と二階は生徒が所属する学級の教室、ホームルームが大半を占めている。私たちのホワイトルームとは別に、レッドやブルーといった色にちなんだ学級が存在するようで、見分ける方法としては教室の扉に掲げられた織物の色だ。
一階部分は他にも昼食で使った食堂や、教師の使う職員室などがある。二階部分は二年生と三年生のホームルームが大半で、授業で使われる教室が少しだけだが存在する。
三階から五階は全て、授業用の教室として用意されている。かなりの数の教室があり、学年ごとで使い分けているようだ。授業用の教室はホームルームと違って、織物での判別ができず、扉に番号が振られているのでそれを目印にしなけらばならない。
三階の廊下を少し歩き、一つの扉の前に立つ。扉の番号は三〇六と書かれており、私は手に持った個人時間割を見て授業名の横の番号と照合する。そこにも三〇六と書いてあるので、ここで間違いなさそうだ。
私たちは顔を見合わせ頷くと、扉を開け中へと入る。
教室の内部はホームルームと全く同じ造りだ。違うところがあるとしたら、見慣れた顔が少ないということだろう。中にはホームルームで見たことのある生徒もいるが、それ以外はおそらく別の学級の生徒だ。それだけでも新鮮味がある。
「あそこの席。二人で座ろう」
私は教室を見回し、アリスと横並びで座れる席を探す。すると窓側の二段目が全て空いていた。
どうせなら別学級の生徒と話してみたいが、一旦あの席で良いだろう。その内、話す機会もあるだろうし。
私たちは見つけた空席へと移動し、窓側からアリス、私の順で座る。昼の明るい日差しが窓から差し込み、少し眩しいが問題ないだろう。
私が席について一息つくと、隣のアリスが私の左手を握りながら机に突っ伏す。
「あ、こら。またそうやって」
アリスの顔を覗き込むと、彼女は目を閉じてゆっくりと規則正しい呼吸をしていた。
彼女は既に、夢の世界へと旅立っていた。
また、と私が言ったのはアリスの子の行動は、一限目の算術、そして二限目の体術でも同じように寝てしまっていた。
算術の時は今と同じように机に突っ伏して。体術は第三運動場で行われたが、その隅で大胆にも横になって寝ていた。
どうやら、というか確実にアリスは授業に対し興味が無い。一応声を掛ければ目を開けて反応を見せるが、その後何事もなかったかのように再び寝てしまう。
私はアリスの寝顔を見て、ため息をついた。
折角なら受ければいいのに。知っていることであっても、他人の口から改めて教えられるのは面白いと私は思う。復習にもなるわけだし。
まあ授業を受けるか受けないかは本人の自由だ。それで問題ないとアリスが判断したなら、それで良いだろう。
「……良い天気」
私は窓の外を見る。
多少雲はあるが、非常に良い天気だ。雨の降る気配はないし、木々を見たところ風も荒れていない。こういう日はよく、ララに連れ出されて教会の中庭で昼寝をしたものだ。
春の日差しが優しく前進を包み込み、布団代わりの芝生が柔らかくて心地良かった。ララと隣り合わせで寝転んでいると、遠くでミリ姉が仕事をしろと声を掛けてくる。そんな日々があったのだ。
もしかしたら今も、ララは昼寝をしてミリ姉に叱られているかもしれない。
「ふふっ」
想像すると面白くて、小さい笑いが零れた。
「楽しんでるとこ、悪いんだけど」
そんな私に、右から声が掛かる。
私は驚いて声のした方を見てみると、そこには明るい茶髪をした女子生徒が立っていた。
彼女はにやにやとした笑みを浮かべながら私を見ており、想像笑いを見られた私は恥ずかしさで顔に熱を帯びていくのを感じる。
「ごめんごめん。別に面白がったわけじゃないからさ」
表情を崩さぬまま、彼女は私にそう言った。頭頂部にある二つの三角形が、落ち着きなくピクピクと動いている。
この女子生徒に見覚えがある。たしか昨日、レミィと話している時に見掛けた獣人の子だ。
「フィリア、で合ってる? 昨日と今日、貴族の男子に絡まれてたよね」
その言葉で間違いないと確信した。
私の名前を知っており、マウロとのいざこざを見ていたように語るのは、同じホワイトルームの生徒だけだろう。
彼女は私を知っているようだが、残念ながら彼女の名前を私は知らない。
どうしよう。
恥ずかしさと突然話し掛けられたことで、私は戸惑っていた。
「アタシ、ピネット。ここ、空いてる?」
ピネットと名乗った獣人の女子生徒は、私の右隣の席を指差す。
私はピネットの言葉に頷いて肯定すると、彼女はありがとと言ってそこに座った。
「知ってる人族がいないからさ、どこ座ろっかなーって」
「そ、そうなんだ……」
それで言うならお互いのこと何も知らないだろうに、と心の中で指摘する。
ちなみに人族というのは人間を指す言葉だ。亜人種がよく使っているとミリ姉から聞いたことがある。
ピネットは肘をつきながら右手の爪を眺め、私に話し掛ける。
「そしたらアンタがいたからさ。話してみたいなって思ってたんだよね」
「……私と?」
そう答えると、ピネットは私を横目に見ながらニヤリと笑った。
「“陽炎の少女”って言葉、アタシの産まれた村で有名なんだよね」
私は頭を抱えた。
昨日と今日でその言葉を聞くのは何回目だろう。エドガーから事前にそう呼ばれるかもしれない、と言われていたがまさかこうも呼ばれるとは思いもしなかった。
正直、もう面倒臭い。
そう思って深くため息をつく。
「あ、ごめん。別に貶したりとかじゃないよ。有名だったから興味があっただけ」
ピネットはついた肘を離し、私に体を向けるとし焦ったようにそう言った。
横目で彼女を見てみれば、ニヤついていた表情から苦笑いに変わっている。言葉と雰囲気からして、特に悪気や敵意は無いのだろう。
「ごめんね」
私が黙ったままなのを見て、ピネットは両手を合わせて謝ってくる。
怒ったわけじゃない。単に面倒だと思っただけだ。謝られるほどでもない。
「……怒ってるわけじゃないから、別に謝らなくていいよ」
「ほんと? じゃあ仲良くしよ!」
顔を向けそう言うと、彼女の表情は一転して明るいものになり、笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。
ピネットの態度と、仲良くしようという言葉にまた戸惑いながらも、私は右手を握った。
「改めて、アタシはピネット・ピルギノット。“剣の森”の東にある村から来たんだ。よろしくね」
自身の上半身を覆いそうな程の茶髪をふわふわと揺らし、彼女は改めて名乗った。
「フィリア・アスファロス。よろしくね、ピネット」
謝罪を受けたことだし、私は態度を改めて名乗る。
彼女が私を名前で呼ぶので、失礼かとは思ったが試しに私も名前で呼んでみる。
するとピネットは尻尾を左右に揺らしながら、満面の笑みを向けながら私の右手を強く握った。