第37話:身支度と混合魔術
「ほらアリス。遅れちゃうよ」
「……無理、起きれない」
着替えを終えた私は歯を磨きながら、いまだ布団の中で丸くなっているアリスと対峙していた。
どうやらアリスは想像以上に朝が弱いようで、かれこれ十分はこの調子だ。
旅をしていた時はどうしていたんだろう。移動や魔物との遭遇などを考慮して、旅をする時は時間に厳しいと聞いたことがあった。しかし今の彼女の姿を見ると、人によるのかもしれない。
「朝ごはん食べに行こ」
「うーん……」
もぞもぞと布団の中で動くアリスを見て、私は一旦洗面所に移動する。
口を濯ぎさっぱりすると、歯を磨くのに使用した木片を捨て、代わりに小さめの櫛を手に取る。洗面所には小さな丸い鏡が備え付けられており、それを見ながら髪を梳かす。
どうやってアリスを起こそうか、と考えながら鏡を見ていると、その鏡に私の背後で動く影が映り込む。
角度を変えて見てみると、その影は枕を抱きながら片眼をこするアリスだった。
寝巻はすっかり乱れており、貸し与えた私の寝巻はすっかりぐちゃぐちゃだ。そこまで寝相が悪く思わなかったので、サイズの問題だろう。
「おはよう。歯磨きする?」
「……する」
ぼーっとしたアリスに尋ねると頷いたので、傍の棚から私の持ってきた木片を手渡す。
そういえば商店に行った時、品揃えの中に歯ブラシがあった。動物の毛を使った物で、貴族が愛用しているらしい。値段は確認してなかったのでわからないが、買えるようなら自分のとアリスの分を買って使ってみたい。
「レミィに声掛けてくるから、少しだけ待ってて」
「……私も行く」
しゃこしゃこと軽快な音を出しながら、眠そうなアリスは私の服を掴む。
このまま連れ出すのも行儀が悪いし、すぐに戻ってくるから待っていて欲しいところだ。
「二分も掛からないよ。歯磨きしながらお留守番してて」
今のアリスの姿があまりにも幼く見え、まるで子供を諭すような言い方になってしまった。
だが彼女は気にしていないのか、少し考える素振りを見せると小さく頷いた。
「良い子だね」
私はそう言って彼女の頭を撫でると、鏡を見ながらバレッタを着け、洗面所を出る。左を向けば廊下に出る扉がすぐあり、靴を履いて外に出た。
レミィの部屋はすぐ隣だ。数歩歩くだけで彼女の部屋、その扉の前に着く。私はその扉をノックしようとした瞬間、あることを思い出した。
昨日お風呂から戻った後、彼女と会っていない。つまり起きる時間は伝えていないし、合わせてもいない。このままノックしてもし起きていなかったら、無理矢理起こしてしまうかもしれない。それは迷惑だろう。
そう思った私はノックしようとした右手を下ろし、扉に片耳を当て中の様子を音で伺う。
扉はそこそこの厚さがあるのでもしかしたら聞こえないかもしれない。そんなことを思っていたが、それは杞憂に終わり中から物音がする。
どうやら既に起きているようだ。
私は耳を扉から離すと、扉をノックする。
「誰? フィリア?」
「ああ、うん。フィリアだよ。朝早くにごめんね」
扉の向こうからレミィの声が聞こえ、私が答えると近付いてくる足音と共に扉が開く。
着替え終えたレミィがそこに立っており、その表情は明るかった。
「おはようフィリア! ちょうどそろそろ部屋に行こうと思ってたの!」
「おはよう、レミィ。それなら良かった」
軽く朝の挨拶を済ませ、私は朝食に行くが一緒にどうか、と尋ねた。
するとレミィは二つ返事で了承し、なおかつ私たちを誘おうとしていたのだと語った。
考えることは一緒だったようで安心した。
既に支度の整ったレミィを連れて、私は自室へと戻る。
「アリス、レミィ来たから早めに支度してね」
「おはよう、アリスヒルデちゃん!」
二人でアリスにそう言いながら部屋に入ると、部屋の奥に彼女の姿は無かった。
まだ歯を磨いているのだろうか、と考え靴を脱いでいると洗面所からアリスが出てきた。
「おはよう、レミィ」
寝ぐせだらけのぼさぼさになった髪を揺らしている彼女は、下着姿だった。
私とレミィは思わず固まる。
ハッとして私は後ろを振り向き、扉が開いていないことを確認する。対してレミィは急いで部屋の中に入り、自分の制服をアリスに羽織らせた。
自分の部屋だということでノックはしなかったが、今度からアリスを残して部屋を出た時はノックすることにしよう。女子寮だからと言って、こんな姿を外から見えてしまうかもしれないという危険性は排除した方が良い。あと今後、彼女が寮以外で暮らすことになった時、下着でうろつく癖がついてしまっても責任が取れない。
とりあえず、今は彼女の支度を手伝おう。
―――☆☆☆―――
「使うみたいでごめんね」
「全然大丈夫だよ」
歯磨きを終えたアリスをベッドに座らせ、私はその後ろから彼女の髪を梳かす。
レミィにはアリスの服を乾かしてもらうようお願いし、今は魔術を使ってそのお願いを聞いてもらっているところだ。
やはりというか、気温の下がった夜では洗濯物は乾かなかった。このままだとアリスの着替えが無いので、他の洗濯物は置いておいてアリスの服だけ乾かしてもらっている。
レミィは左手にアリスの服を持ち、右手から魔術で温風を出していた。彼女の使っている魔術は、複数の属性に高い適性のあったレミィだからこそ扱える、混合魔術というものだ。火と風の魔術を同時に発動させ熱風の魔術とし、魔力を調整することで温風まで出力を抑えているらしい。
「器用だね」
「使える魔術より、魔力を理解しろってお父様に言われてね」
昔からその練習ばっかりしていたんだ、とレミィは笑った。だからといって、やれと言われたことをやれるのは中々難しい。それでなくても魔力運用は、かなりの労力と技術が必要だとミリ姉が言っていた気がする。
「うん。乾いたかな」
時間にして数分、軽い会話をしていると先に作業を終えたのはレミィだった。
アリスの服を見るとすっかり綺麗になり、皴ひとつない状態だった。
「途中から水の魔術も混ぜたの。そうするとお洋服が綺麗になるから」
そう言ってレミィはアリスのそばに服を置く。近くで見ればまるで新品のようだ。
レミィは簡単に言っているが、三属性の魔術を同時に使うなんて聞いたことが無い。そもそも二つの属性だけでも珍しい筈なのに、それを超えて三つとは。
レミィは魔術や魔力に関係する分野に、才能があるのだろう。
「ありがとう。ほらアリス、髪も終わったから着替えよう」
「わかった。二人ともありがとう」
アリスは頷くとベッドの上で立ち上がり、綺麗になった服を着る。
起きた時の姿から打って変わって、彼女は昨日と同じ人形の様な姿になる。
「アリスヒルデちゃんは本当に可愛いね」
「昨日も言われた」
ベッドから飛び降りると、レミィの言葉を確かめるようにアリスは自分の姿を見る。
私もベッドから降りて、彼女の制服を取り出して手渡す。
「お腹空いた」
アリスの言葉で時間を見る。
時刻は七時半前。想定していた時間より少し遅れ気味だ。
「じゃあ食堂に行こっか」
レミィの言葉に私たちは頷き、アリスが私の手を取って部屋を出る。
先ほどとは違い、廊下には制服を着た女子生徒が数人歩いている。おそらく彼女たちも食堂に向かうのだろう。
私たちは彼女たちと同じように、食堂へと歩き始めた。




