第32話:挑みたい相手
体を洗い終えた私はアリスとレミィと三人で浴場の奥へと進む。そこには広く大きな浴槽があり、水面は湯気によって少しだけ幻想的な光景となっていた。
つま先をつけると程よい温度を感じる。浴槽の縁周りは段差になっており、私は一段ずつ降って行く。思ったよりも浴槽は深く造られており、段差を二段降りると底に着く。だいたい膝上まで浸かるとさらに奥へと進み、入ってきた側とは反対の縁まで移動すると、縁側に背を向けてゆっくりと腰を下ろしながら体に巻いたタオルを取る。
底に座るとお湯は大体私の鎖骨までで、教会のものよりかは深いがちょうど良いと感じた。
「……深い。座れない」
左隣にいるアリスは中腰気味だが、それ以上腰を落とすと顔まで沈んでしまいそうだ。
「アリス、こっちおいで」
私はそう言ってアリスを呼び、胡座をかく。近付く彼女の手を取ると優しく引き寄せ、自分の膝の上に座らせる。
「これならどう?」
「大丈夫。ちょうど良い」
アリスを見下ろしてみれば、ちょうど首まで浸かる形になっており快適そうだ。
彼女の銀髪が湯船の中で揺蕩い、水の中で光って見える。
「フィリア、重くない?」
「全然平気だよ」
アリスにそう答えると、彼女は自分の頭を私の首元に擦り付ける。その行動とお湯の中で感じる彼女の重さから、まるで小動物のように感じる。
全身にじんわりとした温かさを感じ、疲れが抜けていくような感覚がある。
なんだかんだ一日中動いていたので、こうしてゆっくりする時間が心地良い。
「……そういえば」
一日を思い起こしてみると、気になることが一つある。決闘でアリスと戦った彼、マウロはどうしているだろうか。教室に行ってそのまま寮へと向かってしまったので、彼と会う機会は無かった。
アリスの要求である私への謝罪。別に望んではいないが、決闘の結果に応じた要求は実行されなければならない。
「?」
「ああ、いや。マウロは何してるのかなって」
私を見上げたアリスが、何も言わずに不思議そうな顔をしていたので私は答える。
するとアリスは視線を正面に戻しながら話す。
「魔術で治せる程度の負傷にした。問題ない」
「手加減したってこと?」
私がそう聞くと、彼女は少し考えてまた答えた。
「死なない程度には、手加減した。けれど、全力で来たから“ひとつのつるぎ”を見せた」
“ひとつのつるぎ”は最後に見せた、魔力を収束させる技のことだろう。
彼女の言い方で考えれば、おそらくあの決闘において当初、その技を使う予定は無かった。だがマウロの全力に対し、敬意を持って使うことを決めた。
「剣を交えるなら、本気を見たかった。あの人は徐々に力を出して、最後に本気を出してくれた」
あの時感じた、何かを待っているのかもしれないというのは、マウロの全身全霊、本気の一撃を待っていたのだろう。
強者然とした、ある意味上から目線の行動と考え方ではあるが、それでも彼女なりの敬意だったのだろう。
「あの人は強い。折れなければ、もっと強くなる」
覗き込んだ彼女の瞳は、真剣だ。
圧倒的な力量差がありながらも、彼女の中でマウロの評価は高いのだろう。遠くから見ていた私も彼の剣には、しっかりとした下地による強さが見えた。
「……もし、もしも私が彼と戦うってなったら、勝てると思う?」
私は自然と握り締めた右手を見ながら、アリスに問う。
「……多分、難しい」
アリスは少し間を置いて考えた後、私の問いにそう答えた。握り締めた右手に、より力が入ったのを自覚する。
努力を怠ったつもりはない。むしろ必死だったと思う。だがそれでも届かないのは、私に才能が無いからだろうか。
「でも、フィリアは勝てる」
そう言ってアリスは私の左胸に、指先をつける。
「“ここ”が負けなければ、必ず勝てる」
彼女が指差しているのは、物体的なものではない。
きっと彼女は私の心を示しているのだろう。
心が負けなければ。そう言っているのだと理解する。
彼の、マウロの剣は綺麗だった。
挑んでみたい。機会があるならば、その剣に真っ向から挑んでみたいと私は思う。
腕や才能では勝てないかもしれないけど、それを知るのも私にとって財産だ。
「いつか、彼と戦ってみたい」
「応援する」
私の言葉に答えてくれるアリスは、どこか心強かった。




