第21話:決着、そして指輪
「どうなったの……?」
隣からレミィの不安げな声が聞こえる。
運動場は未だ砂煙が晴れず、二人の様子は見えない。
「恐らく圧縮した魔力が爆発したんだろう」
レミィの疑問に対し、オルが答えた。
信じがたいことではあるが、彼女の使っていた剣は全て魔力でできたものだった。魔術の中には武器や防具を模倣するものがある。だがそれは、あくまで模倣であって彼女のもののように本物と見間違うほど精巧にはできない。例えば火属性の剣を模倣する魔術であれば、剣の形をした炎を生み出す程度のものだ。
それだけでも異常なのに、彼女は更に作り出したものを魔力へ再変換し、一点へと集中させた。一度発動した魔術を魔力にまで変換するなんて、私は聞いたことがない。
「剣の技術だけじゃない。彼女は異常とも思える程の、魔力運用と魔術講師の技術がある」
オルの言葉に、私は頷いた。
「……あれ、見て!」
レミィが席を立ち、観覧席から身を乗り出しながら中央を指差す。
見てみれば徐々にではあるものの、砂煙が晴れていっている。
そして同時に、黒い影が一つ見えた。一つだけしか見えないのならば、恐らくその人影が勝者だ。大きさでどちらかまではわかりづらい。
「どっちが……」
私はその人影を見つめながら、無意識に呟く。
煙が晴れていく。
そこに立っていたのは、銀髪の少女だった。そしてよく見れば彼女の足元にうつ伏せで倒れている。
「――決闘は終結とする。勝者はアリスヒルデ・ローデンバルト」
中央部の戦いを見届けていたデカルトの一声で、勝敗が決した。
立っているのは銀髪を靡かせるアリスヒルデ、床に伏せているのはマウロだった。
剣を握るアリスヒルデは、まだ立ち込める砂煙の中で私を見ていた。
―――☆☆☆―――
その後、マウロは学園の救護員によって運ばれていった。怪我はしているものの打撲や擦り傷程度の軽いもので、気を失っていたのは間近で魔力の爆発を受けたことによるものだそうだ。
私たち三人と、他の生徒たちは運動場の中央部に集まっていた。デカルトは直前まで決闘がなかったかのように振る舞い、これから身体能力測定を行うと言って生徒を集めた。
集団の中にマウロの取り巻き二人は見えない。恐らく運ばれたマウロに着いて行ったのだろう。
生徒たちの殆どは先ほどの決闘を見ており、今やその話題で持ちきりだ。
「どう言えば良いかわからないけど、すごかったね! ローデンバルトさん」
「ああ。あの決闘を表現する言葉、それがわからない己の語彙力を恨んでしまうほどだったな」
レミィとオルの会話が聞こえる。
斯くいう私たちもまた、その話題で盛り上がっている。
いや、具体的に言えば盛り上がっているのは二人で、私はなんというか、居心地が悪い。
「あれ、なんて魔術なんですか?」
「秘密」
「せめて属性だけでも教えてくれないか?」
「だめ」
居心地の悪さの原因となっている銀髪の少女は、二人の質問に一言だけで返していく。銀髪の少女、決闘の勝者であるアリスヒルデはなぜか、私の左腕に抱きついているのだ。
それを見ている二人はわざとその状態に言及しないようにしており、それがなんとも居心地悪い。
「あの、ローデンバルトさん」
「アリスで良い。なに? フィリア」
もはや左腕と一体化しようとしているのか、と思うほど強く抱きつく彼女に声を掛ける。彼女は私の顔を見上げながら、無表情で答えた。
「……アリスヒルデさんは」
「アリス」
「……アリス、さんは」
「さん要らない。アリス」
混乱する私の事情を汲んでくれ、と心の中で叫ぶ。
レミィを見ると私たちを見ながら、にこにこと笑みを浮かべていた。彼女は決闘後、マウロが敗れたことでスッとしたのか機嫌が良い。
「フィリアちゃん、名前で呼んで欲しいんだよ。ね? ローデンバルトさん」
「そう。レミオレッタは、話がわかる」
「レミィで良いよ」
「なら私も、アリスヒルデで良い」
レミィはすっかりアリスヒルデを気に入ったようで、そんなような会話をしている。
はたから見れば和んでしまいそうな光景だ。そのそばに私自身がいなければ、だ。
私はため息をひとつつくと、意を決してアリスヒルデに声を掛ける。
「……アリス」
「なに? フィリア」
「色々と聞きたいことがあるんだけど……その前に私から離れてくれない?」
「無理。私はフィリアの、そばにいる」
ああ、疑問がまたひとつ増えた。
聞きたいことはたくさんある。なぜ私の名前を知っているのか。決闘前に言っていた、ようやく見つけたというのはどういう意味なのか。そして、その、あの口づけは一体どういうことなのか。
とりあえず、ひとつひとつ解消していこう。
「アリスは、“英雄”グリムヒルトの関係者なの?」
「グリムヒルトは、私の母」
「――えぇ!?」
誰よりも驚いていたのはレミィだった。
関係者かもしれないと思っていたが、まさか親子だったとは思いもよらない答えだ。
「“英雄”に子供がいるなんて……聞いたことない」
「僕もだよ、レミィ。そして真偽がどうあれ、色々と面倒だ」
面倒とは、と私が聞くとオルは頷き、真剣な面持ちで答える。
「“英雄”は世界でたった一人についた称号だ。特にこの王国において、その名はある意味、貴族に匹敵する権威を持つ」
「貴族どころか“王の彩色”よりも上位って考えて良いよ。“英雄”は国王に対して一定の発言力があるって聞いたことがあるから」
「……ああ、なるほど。継承者だ」
私の言葉にオルは頷いた。
貴族に近い権威や、名前による効力を持つのであれば、それを継がせる跡取りが必要だ。
今まで“英雄”には子供がいないとされていた。それが急に娘を名乗る子供が現れたとなれば、貴族や平民関係無しに騒ぎとなる。
加えて貴族からすれば、“王の彩色”よりも上の発言権を持つ“英雄”は権益争いを考慮すれば、非常に厄介な存在だ。一世代で終わるはずだったのに、継承者がいると聞けば、その心中は察することができる。
簡単に言えばアリスは、言い方が悪いが厄介な存在となるわけだ。
「学園内であれば、外部の干渉はある程度防げるだろう」
「休日にでも、お父様に事情を説明します。“王の彩色”の第五席であるレオンゴルド家なら、彼女の保護をしても問題無いでしょう」
話の内容は既に私が関われないレベルだ。
二人の話し合いを尻目に、私はとりあえず自分の疑問を解消するため、私を見つめるアリスに再度話し掛ける。
「なんで私の名前を知ってたの?」
「母から聞いた」
「私を見つけたっていうのは?」
「探していた」
「なんで……?」
「母が、フィリアを探せと、私に言った」
なんとも真意のわからない言葉と行動だ。
それにしても。
アリスの母親が本当にあの人なのであれば、確かに私の名を知っていても不思議ではない。私から名乗ったことはないが、自身が救った者の名ぐらい彼女であれば知る方法はあるだろうし。
だが私を探せ、というのはどういうことだろう。
「なんで私を探せって?」
「知らない」
「知らないかぁ……」
どうやら彼女から“英雄”の真意を探ることは、できそうにない。
私はため息をつきながら、質問を続ける。
「アリスは何歳なの?」
「母から、今年で十二になると、聞いた」
幼そうに見えたのは、間違いなかったようだ。
となると私が“英雄”に救われた当時、アリスは二歳。すでにあの時産まれていたのか。
エドガーから“英雄”に娘がいるなんて話は聞いたことがない。恐らく彼も知らなかったのだろう。
さて、とりあえず最後の質問に移ろう。
聞き辛いが、仕方ない。
「あの、アリス?」
「なに?」
「その、えっと……決闘の前にさ」
「……?」
「私にさ、してくれた……ことがあったよね?」
してくれたってなんだ、と私は自問する。まるであの行為に感謝しているようではないか。
顔が熱くなるのを感じながら、私は話を続ける。
「その……口付け、のような……」
「? のような、じゃない。口付けは、口付け」
一応ちゃんと見ていなかったし、私が勘違いしていたのだと思いたかった。
だがアリスの返答によって、私の想像が正しくて、行われた事実が確定した。
一気に体温が上がり、変な汗をかく。
「……なんで、したの……かなぁ……?」
自分でも驚くほど戸惑っており、変な聞き方をしたと思った。
それに対しアリスはきょとんとしながら、私の顔を見上げている。
「決まってる」
「決まってる……? って、何が……?」
動揺する私に、アリスは言い放った。
「フィリアは、私の伴侶」
「……はんりょ……?」
なんだその言葉は。どういう意味なんだ。
私は頭の中がぐちゃぐちゃになる。アリスの言葉の意味も意図も何もわからない。
「そう、伴侶。フィリアは妻。私が、夫」
待って欲しい。これ以上の情報は私の今の頭で処理しきれない。
そんな私の状態を知ってか知らずか、アリスは何か思いついたように自分の懐をごそごそとまさぐると、何かを取り出した。
「忘れてた。これ」
そう言って私に取り出した何かを手渡す。
手渡されたその品を見て、私の頭は完全に固まった。
それは白い光を放つ、綺麗な銀色をした輪っか状の物だった。小さいその品を、人は指輪と呼ぶ。
「婚約指輪。私と、同じ」
彼女は自身の左手を見せると、そこには渡された指輪と全く同じものが嵌められていた。しかも薬指に。
「夫婦は、寄り添うもの。だから、私はそばにいる」
アリスの表情が、少しだけ変わった。
「夫の私は、妻のフィリアを、守る」
彼女は小さく笑い、私の胸に顔を押し当てた。
何やら後ろでレミィが、嬉しそうな声をあげているが、私は別のことを考えていた。
(あぁ……ミリ姉みたいに大きくなくて、硬くてごめんね……)
私はこの日、人生で初めて現実逃避をした。




