幕間:小さな祝宴
ミリア視点の短話になります。
「さて……」
フィリアを見送った私は、彼女が使っていた部屋を訪れていた。
物のなくなった部屋を見回すと、何か胸に込み上げるものがある。
「おや、珍しい」
ベッドを見ると普段と違い、綺麗に整えられている。その上には脱いでいった寝巻きが置かれ、それも畳まれていた。
「学園でもこの調子でいれば良いのですがね」
思えば、教会に来た頃はしっかりしていた気がする。私の中の幼いフィリアは、物静かで礼儀正しく、整理整頓のできる手のかからない子だ。
それがいつしか面倒臭がりになったのは、何がきっかけだろうか。もしかしたら元々の性格が、生活に慣れて表面化したのかもしれない。
だとしたらそれは良いことなのか。それとも私が気にしすぎなのか。
「やっほ。やっぱりここに居たのね、ミリア」
そんなことを考えながら掃き掃除をしていると、背中に声をかけられた。言葉遣いと声質から、その人物が誰かはすぐにわかる。
「ララ、何か用ですか?」
教会の悪戯三姉妹の長女、ララだ。いや正確に言えば彼女とその妹であるリーシャが主導で、巻き込まれたルゥという構図だろう。
私は一旦手を止め、ララの方へと向く。
彼女はにやにやと頬を緩ませており、左手に白い陶器製の水差し、右手に同じ柄のグラスを二つぶら下げていた。その姿から彼女が何かを企んでいるように見えた。
(フィリアの雑さや面倒臭がりなところは、ララの影響かもしれませんね……)
私はそう思い、ため息をつく。
その様子を見たララが口を尖らせながら、私に歩み寄る。
「なぁに? 美女の顔見てため息なんて。幸せが逃げちゃうわよ」
「失礼。貴女に対してではなかったのです」
「何よもう、相変わらずお堅いんだから」
そう言ってララはベッドに座ると、枕元の棚に手に持ったそれらを置いた。私はそれを横目に、掃き掃除を再開する。
足を組み、膝に肘を付けて手を台座に顎を乗せると、わたしをじっと見つめる。
「……なんですか?」
「いやぁ、てっきり落ち込んでると思ったんだけどねぇ」
彼女は棚に置いた水差しを手に取り、グラスに中身を注いでいく。流れ出る液体は、何やら深い紫色に見えた。
「ララ」
「なぁに? ミーちゃん」
「その呼び方はやめてください。それよりも貴女、こんな時間になんてものを飲んでるんですか」
紫色の液体から熟成された葡萄の香りと、ほのかな酒精特有の匂いを感じる。
その液体の正体は葡萄酒だ。
他の宗教の一部では禁止されているそうだが、私たちの信仰するアルビス教に置いて酒は問題無い。
問題無いのだが……
「まだ九時ですよ? この後の勤めはどうするのですか」
「記念すべき日に働くなんて、勿体ないじゃない」
彼女は笑いながら、葡萄酒が注がれたグラスに口を付け傾けると一口飲む。
ほんのりと朱色に染まった頬をにやつかせながら、ララは私に話しかけた。
「ミーちゃんもどう?」
「だからその呼び方は……遠慮します。掃除中ですので」
ララは私の答えに満足しなかったのか、唇を尖らせまた一口飲む。
「“汝、幸福を享受せよ。幸福を分け与えよ”って言うじゃない?」
経典の一部を引用し、ララはそう言った。
私は手を止め、彼女を見る。
「……それが、飲酒と何の関係が?」
「フィリアは希望と共に旅立った。希望とは幸福の一つであり、私はその幸福を分けてもらってるの」
「……それで?」
「私は今幸福なので、それをミリアに分け与えようとしてるのよ」
なるほど、全くわからない。彼女の言っていることは解釈でしかない。
「まあ本音を言えばお酒を飲みたいのと、単純にフィリアの門出を祝いたいのよ」
私の呆れた顔を見て、ララは最後にそう溢した。
その顔はにやついたものではなく、慈愛に満ちた優しいものだ。
「……はぁ」
私はその顔を見て、すっかり毒気を抜かれてしまった。自分に正直なのは、時に卑怯な気がする。
手に持った箒を壁に立て掛け、ララの隣に座る。ベッドの柔らかな感触と弾力を感じる。
「お?」
「どうしたんですか? 一緒に飲むのでしょう?」
「あ、いや、良いの? マジ?」
「言葉遣い。見つかったら貴女のせいにしますからね」
ララは私の言葉を聞くとぱあっと顔を明るくし、もう一つのグラスに葡萄酒を注いでいく。
満たされたグラスを手渡され、私はそれを一気に傾ける。喉を熱い感覚が通り過ぎ、鼻腔を芳醇な香りが満たす。
五回ほど喉を鳴らせば、グラスは空となった。
「……昔から良い飲みっぷりよね、意外と」
「嫌いではないので」
空になったグラスを差し出すと、ララは再び葡萄酒を注ぐ。
「昔は夜、他の子達の目を盗んで私の部屋で飲んでいたわねぇ」
「おかげで当時の先輩たちに怒られたのが八回、エドガー神父には十三回怒られました」
「……よく覚えてるわねぇ……」
次の葡萄酒はゆっくりと飲む。
まだ午前中ということもあり、窓の外から差し込む陽光が少し眩しい。
葡萄酒によって徐々に体が火照っていくのを感じ、私は胸元を緩める。
「寂しい?」
「当たり前です。誰よりも可愛がっていたのは私ですよ」
「素直ねぇ」
一気に飲み干したのが効いたのか、本音がすんなり吐き出せる。
寂しいに決まっている。十年だ。あの子を一番そばで見守っていたのは誰でもない、この私なのだ。
私は隣に座るララの肩に頭を乗せる。目の奥が熱を持ち、視界が潤む。
その様子を見たララは私に体重を預け、片手で私の背中を撫でる。
「泣き虫なのは変わってないのね、ミーちゃん」
「……昔の呼び方はやめて」
ララと私は七歳からこの教会に住んでいる。お互いそれぞれの理由があり、預けられたのだ。
かれこれ十八年も一緒に過ごし、今ではシスターの中で最年長として下の子たちへ指導を行なっている。
気心の知れた友達。それが私たちの関係性だ。
「学園でひとりぼっちにならないかな」
「フィリアは人見知りをしないわ。大丈夫」
「いじめられないかな」
「芯の強い子よ。むしろ跳ね除けてしまいそう」
私の不安を、ララはひとつひとつ解消するように答えていく。
「……妹って、こんなに大事なのね」
「そうよ。気付いた?」
私はその問いに頷く。
私の心の中、その多くがフィリアで満たされていた。強がって、お姉さんぶって見送ったが離れたくないのは私の方だったのだ。
彼女も同じ気持ちなのだろうか。確かめようのない疑問だが、確かなことはある。
フィリアは、自分の夢のために歩き出した。ならば私はその背中を押すことはしても、引くことをしてはならない。
溢れそうになる涙を堪え、私はララから離れる。
「……ありがとう、ララ」
「どういたしまして。さ、飲みましょう」
いつの間にか空になったグラスに、また葡萄酒が注がれていく。
満たされたそれを持ち上げると、ララは自分のグラスをこちらに差し出してきた。
「旅立つ家族に!」
私も同じようにグラスを差し出すと、ララはそう言いながらグラス同士を軽くぶつける。陶器特有の音が、がらんどうの部屋に響く。
グラスの中の葡萄酒を一口、飲んだ。そして私たちはフィリアの昔話に花を咲かせる。
「そういえばあの子、一回だけおねしょしたの覚えてる?」
「……私、それ知らないんですけど」
「……あー、口止めされてたんだった」
まさか知らない話から始まるとは。
私は苦笑しながら、口元が緩むのを実感した。
そして私たちは、たまたま部屋を訪れたエドガーに見つかり、笑顔のままの彼から叱られるまで、小さな祝宴を開くのだった。




