第10話:剣とバレッタとお姉ちゃん
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風呂を終え、回復したルゥたちと共に食堂で夕食を食べた後、私は部屋へと戻って来た。
まだ少し濡れた髪をタオルで拭いながら、私はベッドに腰掛ける。既に外は月と闇が支配しており、部屋の中も暗い。ベッド脇の棚に置かれたランプに火を灯す。ぼんやりとした光が暗闇の中に現れ、弱々しくも部屋を照らす。
「ミリ姉かな、これ」
昼、部屋を出る時にランプは無かったはずだ。きっとミリ姉が置いて行ってくれたのだろう。
よく見ればカバンも部屋の隅に丁寧に置かれているし、ベッドの布団も綺麗に揃えられている。脱衣所に置いてそのままにしてしまった木剣も、汚れを落とした状態で壁にかけられていた。
私の部屋に入って、こういうマメなことをしていくのはミリ姉だろう。
昼間に言われた雑なところがある、という彼女の言葉を思い出し、私は苦笑した。
「……私は、たくさんの人に助けられているよ」
窓の外で大きな姿を見せる月に、私は呟いた。
言葉を向けたのは、父と母だ。既に二人と暮らした時間の倍を、この教会で暮らしたことになる。
たくさんの思い出を貰った。たくさんの経験と出会いもあった。そしてそのどれもが、私の中で輝いて見える。
「恵まれ過ぎているって、本当に思う」
だがその輝きは、私が見ても良いものなのだろうかと思う時がある。
あの日、あの炎の中に消えた人たち。彼らもまた、この輝きを見るべき存在だったはずだ。
私が、私だけが見て良いものじゃない。そんな気がする。
「だから、私は――」
その言葉の先を知っているのは私と、月だけで良い。
私はベッドに倒れ込み、そのまま眠りにつく。
―――☆☆☆―――
目を覚ます。
昨晩は夢を見なかった。心地よい眠りだったと思う。
朝が来た。
私にとって大きな転機であり、目指す道へ一歩踏み出す日だ。
私はベッドから出ると寝巻きを脱ぎ、いつもの服装に着替える。慣れないブレスレットに違和感を感じるが、誇らしさもあるので気にしない。
脱いだ寝巻きを丁寧に畳み、ついでにベッドも綺麗に整える。普段はしないが、今日くらいはしなければならない気がした。
部屋の隅に置かれたカバンと、壁に架けられた木剣を手に取ると私は部屋の外へと出た。
「……行って来ます」
扉を閉める前に、誰もいない部屋へ向かって私は呟いた。十年間過ごした部屋に別れを告げ、ゆっくりと扉を閉める。
廊下から螺旋階段を通り、聖堂へと入る。昨日と違って今日は誰もいない。しんと静まり返る聖堂は、いつにも増して神聖に感じた。
誰の気配もしないのが少し疑問ではあったが、私は気にせず、聖堂の正面から外へと出ていく。
そこには、皆がいた。
エドガーとミリ姉は正面に、私の両脇をシスターたちが一列になって並んでいた。もちろんその中にはララたちもいる。
驚く私にエドガーとミリ姉が歩み寄って来ると、私に語り掛けた。
「本当は私だけ見送る予定だったのですがね、シスター皆で揃って見送りたいと」
「家族の門出を祝いたいのは皆の心で、当然の想いでしょう」
呆然としたままの私に二人はそう話し、エドガーが一歩前へと進む。彼の両手には白い布で包まれた、細長い何かが握られていた。
「餞別です」
カバンと木剣を地面に置き、差し出されたそれを受け取る。エドガーが手を離すと、ずっしりとした重さに一瞬持っていかれる。見て下さい、と言われ私は布を剥いだ。
それは一本の剣だった。銀の装飾が適度に施され、革製の鞘に収められた真剣だ。剣帯も付いている。
私は剣を鞘からゆっくりと抜く。鞘から現れたのは、白銀の刀身だ。細長い両刃の刀身は綺麗に磨かれ、覗き込んだ私の顔を映し出した。
「これを、私に?」
刀身から視線をエドガーに移すと、彼は微笑みながら答えた。
「皆でお金を出し合い、購入したものです。高級なものではありませんが、貴女に贈るものとしては最適だと」
私はその言葉を聞き、両脇に立つシスターたち一人一人の顔を見た。皆一様に笑いながら頷いていた。
「剣とは傷付けるものです。振るわれた剣は誰かを、何かを必ず傷付ける。だが同時に剣は己を、他者を守る力を持ちます。努努、忘れないように」
刀身を鞘に戻し、両腕で剣を抱きしめながら私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。大事に、正しく使います」
そう言って私は頭を上げ、剣帯を腰に巻き剣を差す。左腰に剣の重みを感じるが、いずれ慣れるだろう。
「私からはこれを」
ミリ姉は手のひらを差し出し、私に見せる。そこには花を模した小さなバレッタがあった。
「ありがとう、ミリ姉。付けてくれる?」
「ええ」
彼女は私の後ろへと回ると、懐から出した櫛で私の髪を梳いていく。
そういえば昔もこうして髪を梳いてくれたことがあった。その頃から、きっと私たちの関係は変わっていないのだと思う。
そして整えられた髪に、バレッタが差し込まれる。
私は振り向くと、彼女に抱き付いた。
「綺麗な髪をしているのですから、ちゃんと整えるのですよ」
「うん。ちゃんとする、ちゃんと使うよ」
ミリ姉の両手が背中に回され、強く抱き締められる。痛くも苦しくもない。ただ愛しさと暖かさがそこにあった。
「体には気をつけて、日々学ぶことを忘れないように。友達は大切にしなさい。食事は面倒臭がらず、ちゃんと食べること。あと、あとは……」
彼女の言葉ひとつひとつを、しっかりと聞く。彼女の声は段々震えていった。
私は彼女の顔を見た。そこにはいつもの無表情で、冷たい雰囲気はなかった。目の端に涙を溜め、唇を振るわせながら必死に笑顔を作ろうとする彼女がいた。
そんな彼女の胸に顔を押し当てると、彼女は右手で私の頭を撫でる。優しいその感触は懐かしさを感じさせた。
「フィリア。私は貴女がどこにいても愛し、想っています」
「知ってるよ。私も愛してる、ミリアお姉ちゃん」
在りし日の記憶が蘇る。
教会に移り住んでからしばらく後、私は悪夢にうなされるようになった。
私はその夢を見るたびに泣いていた。あの日の恐怖と、両親にもう会えないという寂しさからだ。
泣きじゃくる私を真っ先に慰めてくれたのはミリ姉で、泣き止むまでそばにいてくれたのもミリ姉だった。
ある日、彼女は言った。
「恐怖は私にどうすることもできません。ですが、家族のいない寂しさなら、私が埋めてあげられます」
涙で喉を鳴らす小さな私を、今のように抱きしめながら。
「今日から私がフィリアの姉になりましょう。私は妹である貴女のそばを離れません」
ああ、そういえば。ミリアを姉と呼ぶようになったのは、この言葉を聞いた後からだった。
その言葉に私は救われたし、寂しい思いは和らいで行った。
彼女は私に、“英雄”とは別の救いを齎したのだ。
私は彼女から離れ、懐からハンカチを一枚取り出す。そのハンカチでミリ姉の涙を拭うと、笑って見せた。
「ミリ姉、行って来ます」
「いってらっしゃい、私の愛しい妹」
正門へと向き直り、私は歩き出す。
これ以上の言葉はいらない。私はミリ姉に、エドガーに、ララたちに、シスターたちに背を向けなければならない。
私は歩く。
その態度と行動を以って、私は進んで行くのだと彼女たちに見せる。悲しい別れではない。すぐにまた会える。また会う時は今日よりも強く、成長した姿を見せるだろう。
背中に声を聞く。
名前を呼ぶ声。がんばれという声。いってらっしゃいという声。その全てを背に受ける。
これは背中を押す手だ。私はこの手に支えられて来た。
開け放たれた正門の前に立つ。あと一歩、前へと進み出せば教会の外だ。
私は振り返り、教会の方を見る。手を振るたくさんの姿を視界に収めると、私は再び正門へと向き直る。
息を思いっきり吸い、私は皆に届くよう精一杯の声を張り上げる。
「――行って来ます!」
同時に、教会の外へと一歩踏み出す。
こうして私は、夢への道を確かに歩き始めたのだ。




