第9話:湯けむり三姉妹と魔術
タオルを首に掛け、汗を拭いながら私は宿舎の中へと戻ってきた。
(早くお風呂入りたい)
全身を土と汗で汚した私は、宿舎の一階に造られた風呂場へと足を向けていた。数十年前にこの教会を建てた人物の趣味で造られたそうで、広々としており非常に快適だ。
国内でも風呂場という施設は滅多に無いそうで、月に一度は信者向けに開放すると多くの信者たちが訪れるほどだ。
ちなみに風呂場の掃除は毎日交代で三人ずつで行なう。広過ぎて一人では無理だからだ。代わりに当番の三人は、一番最初に風呂へ入ることが許される。
宿舎の玄関から少し歩けば、すぐに風呂場の前へと着いた。
扉を開け、中に入ると靴を脱ぐためのスペースがあり、そのすぐ奥に脱衣所がある。脱衣所にはいくつかの棚が備わっており、大体四、五人程度なら問題なく入れる構造になっていた。
私は靴を脱ぎ、揃えて置いておく。すぐそばには三人分の靴が置かれ、それらも綺麗に揃えられていた。どうやら先客がいるようだ。
空いている棚の前へと移動すると、服を脱ぐ。ある程度、砂埃は落として来たので床が汚れることはない。昔、外から砂を落とさず入って来たものだから、床を汚し、それのせいでミリ姉と他のシスターから叱られたことがある。自業自得か。
脱いだ服や下着、タオルなんかは近くに置かれたカゴでひとまとめにされる。そのカゴは夜、洗濯担当のシスターが回収し、洗濯場へと運ばれるのだ。なかなか効率的だと思う。
私は脱いだものを次々とそのカゴへ放り投げる。ミリ姉がいたら怒られるが、見られてなければ構わない。
裸となった私は、風呂場へつながる扉の脇に置かれたタオルを手に取り中へと入る。
ちょうど良い温度に温められた空気が、私の全身を撫でる。
広く作られた空間は、大きく二つに分けられている。
手前には木製の桶と椅子がいくつか備えられており、そこで髪や体を洗う。そしてその奥には湯船だ。タイル張りの立派なもので、外に設置された貯水槽からお湯が注がれる。貯水槽自体が水を温める魔道具になっているそうだ。
その湯船には三人分の人影が見えた。
「お、来たわねぇ!」
ざばっと湯船から立ち上がり、手を振りながら声をかけて来たのは長身の、黒色の強い紫髪をした女性だ。彼女がいるということは、他の二人は察することのできる人物だ。
「遅いよ、フィリア。ルゥがのぼせる」
「そ、そんな貧弱じゃないよリーシャ姉……」
声を掛けてきた順に、眠たげな目をした人物が隣に座るものをからかうと、その人物は泣きそうな顔を見せる。三人とも同じ髪色をしている。突然だ、彼女らは三姉妹なのだ。
長身の女性は長女のララ・レミルトン、眠たげな顔をしたのがリーシャ・レミルトン、そして最後の弱々しげな人物がルゥ・レミルトンだ。それぞれ年齢はララがリア姉と同い年、リーシャが私より二つ年上で、ルゥが一つ年上だ。
この三人、取り分けララとリーシャはミリ姉によって問題児と評される人物たちだ。二人は楽しく過ごすためと称して、教会内で悪戯を働き、それに巻き込まれたルゥは三人まとめてリア姉に折檻されている。
「今日の掃除当番は、ララたちだったんだ」
私がそう言いながら椅子に座ると、ぺたぺたと足音が後ろから聞こえる。
「そそ! ついでにフィリアの稽古が終わるタイミングを見計らってたのよ〜」
背後に近づいて来たのはララだった。彼女は嬉しそうな声で私にそう言うと、私の前に設置された蛇口を捻る。すると温かいお湯が流れ始め、真下に置かれた桶へとお湯は注がれていく。
この蛇口は湯船と同様、外の貯水槽に繋がっているのでお湯が出る仕組みだ。
「見計らってた?」
「明日教会出るんでしょ? どうせなら一緒にお風呂入ろうかなって!」
ララはお湯が張られた桶を手に取ると、私の頭上でそれをひっくり返した。
一瞬で全身を水浸しにした私を見て、湯船に浸かっているであろうリーシャがくすくすと笑った。
「濡れた猫みたい、フィリア」
「ちょっと、可愛いかも……」
その言葉に同調したルゥがそんなことを言っていた。
「お稽古を頑張ったフィリアちゃんを、ララお姉ちゃんが洗ってあげましょうね!」
間髪入れずに楽しそうな声をララが漏らし、私の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。いつも使っている備え付けの石鹸の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「ちょっと、子供じゃないよ私」
「良いじゃない、昔はよくしてたんだから」
ララはその手を止めることはなく、私の髪を洗っていく。
そういえばお風呂はよくララたち三姉妹と入っていたなぁ、と思い出す。同時にララとリーシャに唆されて悪戯の手伝いをしてしまい、ミリ姉に叱られたこともあった。
「それなのにフィリアったら、私のことをいつまで経ってもお姉ちゃんって呼んでくれないんだから。私さみしい」
「ララにはもう妹が二人もいるでしょ」
そういうんじゃないんだけどなぁ、と少し不貞腐れたような声でララは言った。
再びお湯を頭から浴びせられる。それが二度、三度と続きようやく落ち着いた。
「次は、私の番」
私は忍び寄るリーシャに気が付かず、彼女は私の持って来たタオルを手に取ると洗髪用の石鹸とは別のものをタオルで包み、わしゃわしゃと擦る。タオルから泡が立って来たところで、そのタオルは私の背中に押し付けられた。
「体まで洗われるのは恥ずかしいんだけれど!」
背中をゴシゴシと擦るリーシャに抗議の声を上げると、彼女は楽しげに鼻歌を歌っていた。
「フィリアの肌、綺麗だから」
「理由になってないよ……」
そう言いながらも気持ちよさに私は折れ、身を任せることにした。
「あ、ちょっと、前は流石に自分でやる!」
背中を洗い終えたリーシャの手が、タオルと共に私の前へと伸びてくるのは流石に見過ごせなかった。
私はリーシャからタオルを奪い取ると、残った箇所を洗い始める。
「恥ずかしがることないのに」
「フィリアは自分の体に自信がないのよ〜」
渋々と湯船へ戻るリーシャに、いつのまにか湯船へと浸かっていたララがそう答えた。
抗議したい気持ちをグッと堪えて、私は体を洗い続ける。
「胸なんて飾り。欲の権化」
「そ、そうかなぁ……」
か細いルゥの声が聞こえる。ララとルゥは、なんというか、立派なものを持っている。対してリーシャは私と同じような体型だが、本人はあまり気にしていないようだった。
体を洗い終えた私は、湯船へと浸かる。
じんわりとした温かさが全身を包み込み、私は息を吐いた。
「あ、フィリア。怪我してるよ」
ルゥが私の腕を指差し、私はその箇所を見る。そこには青痣ができており、触ってみると鈍い痛みがあった。
おそらく稽古の時についたものだろう。よく見れば体のあちこちに擦り傷もある。慣れてしまったからか、全然気にならなかった。
「そのまま、動かなくて良いよ」
そう言うとルゥは私に右手を翳し、瞳を閉じる。すると彼女の右手に緑色の光がともる。魔術を行使する際に現れる、魔力光だ。
「傷付いた者よ、我が手で癒されよ。〈キュア〉」
ルゥの言葉に応じるように、緑色の光はより一層輝く。そしてその光は私に移り、全身を覆った。
体にできた痣や傷を見ていると、それがゆっくり治っていく。
彼女が使ったのは治癒魔術と言われるものであり、本人の自己治癒能力を底上げすることで怪我を治すものだ。
魔術には工程が三つある。
まず初めに魔力運用。これは自身の中にある魔力を、魔術の使用で必要な分だけ取り出す行為を指す。
次に詠唱。魔力に効果を持たせるためのものであり、言葉によって明確なイメージを掴む。イメージの部分が非常に大きいため、熟達した者や才能のある者は詠唱を省くことができるらしい。
そして最後に術式発動。魔力に名を与えることで意味を確定させ、事象を起こすものだ。
そして魔術を行使出来る者を、総じて魔術師と呼ぶ。
その三つを完璧にこなせれば、理論的には生まれたばかりの赤ん坊でも魔術を行使することができるらしい。
ただ私にはこの工程の詠唱部分ができない。イメージというのが私には掴めず、発動に至らないのだ。
ルゥは治癒魔術を得意とする治癒魔術師であり、教会に訪れる信者にも施している。
完全に怪我が消えると、私を包んでいた光も消える。
「ルゥ、ありがとう」
「お礼なんて全然良いよ。でも怪我してるならちゃんと気にしなきゃだめだよ?」
わかった、と答えると彼女は満足げに微笑んだ。
だがすぐにその表情を暗くする。
「もう明日なんだね……」
ルゥは歳が近いこともあり、よく話していた。気心の知れた友達のように思っていたが、三姉妹の末っ子である彼女は、もしかしたら私のことを妹として可愛がっていたのかもしれない。
「こーら、ちゃんと挨拶してもらったでしょ?湿っぽい話は無し無し」
ルゥの隣で座っていたララが、彼女の頬を後ろから手のひらで挟んだ。
「もう会えないわけじゃない。私はそう聞いた」
私の隣に座るリーシャがぼーっと天井を見ながら言った。私はその言葉に頷き、ルゥに言う。
「休みの日とかは余裕あれば顔を出すよ。私の家はここだから」
そう言うとルゥは目の端に涙を溜め、私に抱きついて頷いた。私は彼女の背を撫でながら、昨日もこんな感じで泣き就かれたなぁと思い出す。
「いつでも良いから帰って来なさいね。シスターとして学園で嫌なこととか、悪口とか聞いてあげる」
まあ貴女ならそうそう無いでしょうけど、と付け加えるとララはくすくすと笑い、ルゥの頭を撫でた。
その後も三人と話をしながらゆっくりくつろぐ。
最終的にのぼせたルゥを湯船から運び出し、風呂の時間は終わった。