一生に一度の縁
「はあ……」
「一体どうされたのですか?」
化粧室から出た私は、一人部屋に戻る気も起きず、肩を落としながら談話室に向かった。
談話室はテーブルとソファがいくつか置いてあるだけの、本当に談話する以外の用途が見当たらない簡素な部屋だった。
誰もいない状況も想定していたが、有難いことにそこには一人、日本人離れした長い手足を持つ、優美という言葉がぴったりな美丈夫がいた。
お互いに軽く会釈をした後、私は美丈夫と真向いのソファにずざざざっと横になった。そして深いため息をついていたところ、私のことを無視できなかった美丈夫は、声をかけてくれた。
「大丈夫、ですか? 何だかとてもお疲れの様ですが」
見た目だけでなく声にも気品が溢れている。彼が性転換前なのか後なのかは分からないが、どちらにしてもそこらの庶民とは違う高位の立場の人だと察せられた。
そんな相手に対し、私は質問に答えず、逆に、
「あの、私って男に見えますか? それとも女に見えますか?」
質問を尋ね返した。
優美の君は悩まし気に顎に手を当て、数秒考えこむ。それから首を傾げ、
「女性、でしょうか?」
と答えた。私はその答えを聞くと再び顔を突っ伏し、深い溜息を吐いた。
「はあああああ……」
優美の君は、少し慌てた様子ですぐに頭を下げてきた。
「これはすみません、男性でしたか。大変失礼なことを言ってしまいました」
「別に、そこはどうでもいいんです!」
私は唐突にそう叫び、勢いのままベッドから飛び降りる。そして優美の君の目の前に、バンっとカードを叩きつけた。
「これ、見てください!」
「あ、はい」
「本当に、あり得なくないですか!!!」
「ええと……あ、これは……」
私が叩きつけたカード――もとい運転免許証に貼られた顔写真を見た優美の君は、納得するとともに憐れんだ視線を向けてきた。
「聞く必要のないことかと思いますが、性転換装置は既に使われたのですよね?」
「はい! 勿論!」
「ですが……全く、一緒ですね」
「ええ! 一緒ですとも!」
そう。本当にあり得ない、どんな偶然だという話なのだが、私は女と男のどちらでも、全く同じ体型と顔だったのだ。勿論女性の時にはなかったモノが生えてはいるし、女性だったころに比べれば胸も小さくなったし、体全体が筋肉質にはなった。
だけど、それだけ。ぱっと見では違いを見つけるのが不可能なレベルで同一であり、私が性転換を行おうと考えた最大の要因である中性的な顔立ち、体型から生まれ変わりたいという願いは、見事なまでに、完膚なきまでに打ち砕かれたのだった。
「なるほど。そういう目的からこの館に来られたのですか。そして結果が、全く同一の姿だったと……。それは、本当にお気の毒にとしか……」
優美の君――もとい鬼灯梓さんは、私が性転換を決意した話を聞いた後、改めて憐みの視線を向けてきた。
自分から同情を買うような話を振っておいて何だが、初対面の相手に憐れんだ視線を向けられるというのは虚しさを覚える。というより、今になって初対面の相手に対し愚痴を言い続けていたことに罪悪感が湧いてきた。
「なんか、その、すいません。初めて会ったばかりなのにこんなつまらない話を長々と聞かせてしまって……」
「いえいえ。こんなことが起きれば愚痴の一つも言いたくなるのは当然です。それにこれから五日間は一緒に過ごすわけですから、少しでも仲良くなりたいですし」
「梓さん……」
見た目だけでなく性格まで文句のつけの様のない聖人。たかだか性転換後の姿が同じだっただけで嘆いていた自分がちっぽけに思えてきた。
「そういえば、さっき軽く流しちゃいましたけど、梓さんはもう性転換した後なんですか? 梓っていう名前的には女性な気がしますけど、今の男性の姿も全く違和感がないし。どっちが元の姿なんですか?」
「女性ですよ。違和感がなく見えるのは、ここに来る前から男性になった際の動き方、話し方を勉強しておいたからでしょうね」
「事前に勉強しておくなんて凄いですね……。あの、もし答えたくなかった良いんですけど、梓さんってこう、お金持ちの方だったりします?」
我ながらなんとデリカシーのない質問だとは思うが、他にうまい言い回しが思い浮かばなかったのだから仕方ない。それに梓さん相手であれば、変に取り繕った言い方よりこっちの方が好まれる気がした。
狙い通りというべきか、彼は嫌そうなそぶり一つ見せず、逆に笑みをこぼした。
「そうですね。はい、お金持ちと言って差し支えないと思います。それに私が性転換をしたのは、そう言った金持ちの家の出であることが影響してますからね」
「ああ、家を継ぐのは男の方がいい的なあれですか?」
「それです。今の性差が解消されつつある時代に、なんて古臭い考えだと、個人的には馬鹿らしく思うのですけどね。まして今の時代を築き上げた性転換装置を使ってこの問題を解消しようだなんて、本当に、呆れを通り越して笑えて来ますよ」
さっきまでの笑みとは違う、影を纏った複雑な笑顔。
これは私なんかとは遥かに比べ物にならないほど切実な事情があるっぽい。いやまあ私のも結構切実ではあったんだけど……家族から圧をかけられたわけではないからなあ。
場の雰囲気を暗くしてしまったことに気付いたのか、梓さんは「そう言えば、今この館に集まっている方はどんな人がいるのでしょうね」と話題を変えてきた。
「私はかなり早く、大体朝の八時くらいに到着したのですが、既に一人性転換装置を使われた方がいたのですよ」
「八時前って、凄い気合入ってますね。それだけ性別を変えたい理由があったんですかね?」
「おそらくそうでしょうね。ですから私は二番手で使わせてもらったのですが、水仙さんは何番目でしたか?」
「えーと、確か予約表には三つ予約が入れられた後だったから、四番目ですね」
「ではまだ性転換していない方が半分もいるのですね。他の方も談話室に来てくださるといいですね。せっかくの縁ですし、他の方とも色々お話ししたいところですから」
「そうですね……こんな縁、一生に一度でしょうから」