性別転換
部屋にあった金庫に貴重品を収納した後、二階へと上がる階段を目指し部屋を出る。
階段は玄関ホールの奥、つまりアンの真後ろにあったわけで、当然再びアンと出くわすことになった。
『おや、もう性別を変える準備ができたのですか』
「まあね。あんまりゆっくりしてたら、他の人に使われちゃうかもしれないし」
『ああ、伝え忘れていましたが、性転換室の扉には使用時間を記すためのタブレットが取り付けられております。時間と部屋番号さえ書いておけば勝手に他の人に使われる心配はありませんので、ぜひご活用ください。、まあタブレットに書き込まないとそもそも鍵が開かず部屋に入れませんが』
「……それ、最初に言っておくべき重要な話じゃないの?」
『はい。ですから申し訳ないと思い今告げました』
「……」
本当に、こいつは人間じゃなくてアンドロイドなのだろうか? いやまあどう見ても生身の人間じゃないアンドロイド感満載だし、腕が収納ケースになってたりするから人間なわけないのは間違いないけど。これはむしろ製作者に問題があるかもしれない。
『先ほどから不敬な視線を向けてきますが、他に何か聞きたいことでもあるのですか?』
「不敬って……いや、何でもないです」
『そうですか。それでは行ってらっしゃいませ』
形だけは礼儀正しくお辞儀をするアンの横を抜け、階段を上がる。
二階は一階における客室部分がなくなった構造。図書室や遊戯室も少し気になるが、今はとにかく性転換室が最優先だ。
遊戯室と談話室を横切り、奥にある階段を上り、何事もなく三階まで到着。
さてさて、今性転換室は空いているのか。
ドキドキと、心臓の音が聞こえてくる。
緊張、しているのだろう。
当たり前だ。もし部屋が空いていれば、私はそのまま使う予定でいる。つまり本当に、性転換まで秒読みの状況なのだ。
性転換室までまっすぐ進むと、アンの言っていた通り扉にタブレットが取り付けられていた。
タブレットには、使用予約表と書かれた画面が映し出されており、それを見るとすでに三人ほどが使用しているようだった。そして肝心の今はというと、
「予約されてない……つまり使えるってことか」
幸か不幸か、誰の予約もされておらず、今すぐ使うことが可能だった。
つい後ろを振り返り、私以外誰もいないことを確認する。
別にやましいことをするわけではない。ないが、何となく人目が気になってしまう。これからこいつは性別を変えるのだと、他人に見られることに対して羞恥を感じているからだろう。まあその心配は、この館において最も不要な感情だと分かってはいるのだが。
「ああ、いつまで悩んでも仕方ないだろ!」
臆病な自分の心を叱咤すべく、誰もいない廊下で一人声を張り上げる。ついでに頬を両手で何度か叩き、闘魂を注入。
その勢いのまま予約表に『13:10~14:20(Ⅵ号室)』と打ち込み、部屋の中に突入した。
入って真っ先に、性転換装置が目に入った。性転換装置は、ぱっと見マッサージチェアのようなものだった。隣にはテーブルがあり、その上にはさらに頭を覆うヘルメットのようなものが置かれていた。ただしこちらのヘルメットは、数十本に及ぶ電極が刺さっており、あまり健康に良さそうには見えなかったが。
どこか毒々しさすら感じるその姿に、一瞬だけ心が怯む。
すると突然、『いらっしゃいませ』と真横から声がした。
驚いて隣に顔を向けると、そこにはアンとは違う、実にロボットロボットした、三頭身の真っ白いロボットがいた。
『ワタシは性転換装置の使用を案内、サポートする案内ロボです。これから性転換装置を使用した性転換のやり方について説明いたします』
「あ、はい」
ロボットなんだから当たり前かもしれないが、非常に事務的だ。先にアンを見てしまったがゆえに、抱かなくていい違和感を覚えてしまっている。
『まず、そちらに見えます、椅子とヘルメットが性転換装置となります。これらから特定の音波が発され、性転換が行われます。またその前に、こちらの錠剤を飲んでいただきます』
ここだけはアンと同じように、腕の一部が開き中から二粒の錠剤が取り出される。
『改めて流れを説明いたします。椅子に座る。錠剤を飲む。ヘルメットを被る。その後ワタシがお客様の体が椅子から落ちてしまわないように固定をし、装置を起動させます。一時間が経ち性転換が終了いたしましたらワタシの方からお声掛けをし、固定を解除して終了となります。何かご質問はありますでしょうか?』
「えーと、もっと詳しい説明とかってないんですか? その錠剤の役割とか性転換の原理とか」
案内ロボは表情一つ変えず、淡々と答える。
『申し訳ございません。そのご質問に関するデータはないためお答えできません。後ほど情報室でお調べになることを推奨いたします』
「そうですか……」
普通こういうのって使用前に丁寧に説明されるもんじゃないのかな……。まあ使用の同意書は予約時にすでに提出済みだし、仮にここで懇切丁寧に説明されたからってどうだという話ではあるのだけど……やはり不安にはなる。
と、そんな人間の心中をロボットが察してくれるはずもなく、案内ロボは粛々と装置起動の準備を進め始めた。
『では、こちらをお飲みください』
案内ロボに言われるがまま性転換装置へと座ると、先ほど見せられた錠剤を渡された。
先に案内ロボが言った通り、この薬を飲み、さらに性転換装置から流れる特殊な音波を脳を中心に浴びせることで、人間の性別が、姿かたちが変わるという。
ネットやニュースで聞いた話によれば、役割としてはこの薬を飲むことで性染色体の構造が変化し、男性ならY染色体がその機能を失い、逆に女性であればX染色体にY染色体の性決定因子が付与され、遺伝子的に性別が変更されるそうだ。ただそれだけでは体に大きな変化は起こらず、その後性転換装置から流れる音波により、この性染色体が急激に活性化。体全身が一種の変態を起こし、結果男女が逆転した姿になれる、ということらしい。
正確に言えばおそらく間違っている点もあるのだろうが、世間で触れ回っている解釈としてはこれが一般的なもの。一体どんな音波を流せばそんなことになるのか全く意味不明だし、一つの薬でそんな体中の遺伝子が変わることなんてあるのかと疑問・不安は尽きないが、現実変化してしまうものはしょうがない。起こってしまった現象を前には、どれだけ理屈を並べ立てたところで意味のない話である。
とまあ、頭の中で性転換の原理を想い返したところで、改めて錠剤に視線を向けた。
何度目の問いか分からないが、本当にこんなもので性別が変わるのか。そもそも変えてしまってもいいのか。頭の中で葛藤が起きる。
アンと違い決められたこと以外言わない案内ロボは、急かすことなく私のことを見つめている。それに甘えて私はしばらくの間深呼吸を行い、心と考えを落ち着けた。
そして――
「ん……!」
一息に飲み干す。ただの緊張故かもしれないが、ドクン、と大きく胸が高鳴った。
案内ロボは私が錠剤を呑んだことを検知したのか、『それでは、ヘルメットをかぶせます』と言い、こちらの反応を無視してヘルメットをかぶせてきた。途端に視界が真っ暗になり、僅かな恐怖が心に芽生える。
しかしそんな私の気持ちに忖度することなく、案内ロボは準備を進めていく。
ヘルメットはしっかり頭に固定され、さらには腕や足にもベルトが巻き付き椅子に縛り付けられた。
『それでは装置を起動します』
「え、もう! ちょっとま――」
静止の呼びかけも甲斐なく、聞いたこともないような音が耳に流れ込んでくる。それは大きな音ではないけれど、脳を、全身を、激しく揺さぶる音だった。
『お疲れ様でした。それでは、これからの新たなる旅路をお楽しみください』
「ん……」
いつの間にか、眠って(気絶して)しまっていたらしい。
拘束は全て解かれており、案内ロボが真正面で頭を下げている。私は椅子から立ち上がると、ペタペタと自分の顔、体を触ってみた。
しかし装置の影響かまだ少し頭がくらくらしていることもあり、いまいち何が変化しているのか分からない。立ち上がった感じ、特に目線が高くも低くもなっていなかったことから、身長が大きく変化していないことは分かった。
性転換室には不親切なことに鏡が用意されていなかったので、館内図に書かれていた化粧室に向かうことにした。
『またのご利用をお待ちしております』
案内ロボの言葉を背に部屋を出る。扉を閉めた際、ちらりとタブレットを見ると、私の後に三つの予約が追加されていた。
できれば次の人に会う前に部屋に戻りたいな。
そんな思いを抱きつつ、ふらふらとした足取りで化粧室に入る。化粧室には入ってすぐのところに大きな鏡があり――私はその鏡の前で絶句した。
「一緒じゃん……」
遠慮がちに手を伸ばし、撫でるようにそっと顔に触れる。あくまで感覚的な話だが、骨格レベルで違いのない顔。ただひたすら、呆然とした気持ちにさせられる。
「いやまじで、こんなことあるの」
あまりの衝撃に、私たちは、同じ顔で乾いた笑みを浮かべた。