生別転換
世界には自分と同じ顔の人が三人いる。
都市伝説のようでいて、遺伝子の特性上あながち間違いでもないとされる俗説。
ある程度そっくりな顔の人物なら見たことがあるし、一卵性双生児であれば現実問題自分以外に一人は同じ顔の人がいるわけで、決して荒唐無稽な話だとは思わない。
だけど、よりにもよってあの性別転館で、まさかそんな出会いがあると誰が思うだろうか。
性別転館を訪れた初日のこと。
性転換装置を使用し性転換した私は、真っ先に化粧室に向かった。理由はご存じの通り、鏡で自分の姿を確認するためだ。
だけど化粧室に入った私の目に、その目的を忘れてしまうほど衝撃的な光景が飛び込んできた。
そう。そこには、私と全く同じ顔と体型の女性が立っていたのだ。
あまりの驚きから現実とは思えぬまま、「一緒じゃん」と無意識の呟きが漏れる。
そして驚きから固まっている相手のもとにふらふらと近づき、これが幻覚でないことを確かめるよう遠慮がちに手を伸ばした。
そっと彼女の頬を撫でるように触れ、さらに肩や腰の感触も確かめる。
感覚的な話ではあったが、顔も体も骨格レベルで同一のもの。まるでドッペルゲンガ―に遭遇したかのようだった。
しばらくは互いに呆然と顔を見合わせていたが、いくら待っても相手の姿は消えず。またも無意識に、「いやまじで、こんなことあるの」と乾いた笑みを浮かべながら呟く私に対し、彼女――馬酔さんも同様の笑みを浮かべて見せた。
それから私は、馬酔さんにこのことを伏せておかないかと提案した。勿論、この時点で彼女を殺して成り代わろうと考えていたわけではない。ただこの奇跡としか言えない出会いを、軽々しく他人に広めるのは勿体ないと思ったからだ。
彼女もこの提案に乗ってくれたし、何より性転換してしまえばおそらく別々の顔になってしまう。どこかのタイミングで入れ替わりを行って、他の参加者を驚かせるのも面白そうだという話になった。
だから私たちは、その後談話室で梓さんや小田巻さんと談笑していた際も、この話題は一切口にしなかった。
そんな中起きた毒田さん殺人事件。
初めて見る首切り死体にすっかり怯え切ってしまった馬酔さんとは異なり、私はとある可能性を見出していた。
それが彼女――馬酔木乃香との入れ替わりだ。
性転換後も全く同じ見た目であった私は、明るく振舞ってこそいたが、実際のところかなり絶望していた。
私が性転換を望んだのは今の環境を変えるため。だけど全く同じ顔のままでは、環境を変えるなんてことは不可能に近い。それどころか、むしろ悪化するイメージしか湧かなかった。
だからまたこれからも、女性として何とかやっていくしかない。元々不便はあれど、小田巻さんのように死にたくなるほど追い込まれてはいなかったのだから。別段そこまで気にすることじゃないと、自分にそう言い聞かせていた。
だけど、自分で想像していた以上に、私は性転換に夢を見ていたらしい。これまでの人間関係を一新した、第二の人生を踏み出すことに希望を抱いてしまっていた。
だから――なんてことは言い訳にならないことは重々承知している。それでも私は、馬酔さんに成り代わり、新たな人生を始めるという選択肢を捨て切れなかった。
とはいえ、いくら同じ顔の人物がいたからと言ってそう簡単に成り代われるわけがない。成り代わるということは、周りには私が死に馬酔さんが生きているように見せなければならないということ。そんな器用な方法、私の頭では到底思いつかなかった。
だから、軽口で、冗談として、アンに聞いてみたのだ。
「首なし死体と言えばミステリだと入れ替わりが定番だよね。ここだと入れ替わりが行えそうなのって私と馬酔さんだと思うんだけど、なんか方法とかあったりしないかな」
『ええ、ありますよ』
「だよね。まああるわけないよね……ってあるの!???」
『はい。人智を超越した超高性能アンドロイドである私にとっては、一桁の足し算よりも簡単な問題です』
結果、アンから私と馬酔さんが入れ替わる方法を教えてもらった。
それは性別転館でしかできない、アンの協力が必要不可欠な荒業だったけど、それでも道が開けてしまったのだ。
他の参加者にばれないよう馬酔さんを殺し、その首を切り取る。
切り取った首は冷凍室で新鮮な状態で保存しておく。
性別登録の際、馬酔さんを女性のまま、生きているものとして登録を進める。
性別転館から帰還した後、私の家に馬酔さんの生首が入ったクール便が届くので、それを使用し自殺または事故死したように見せかける。
検視にかけられた際を考え、DNA鑑定からばれないよういくつか細工をすることも忘れずに。
そして自殺の偽装工作がすんだら馬酔さんの家に向かい、いよいよ入れ替わり生活を開始。
基本的な馬酔さんの情報は全てアンが教えてくれたものの、当然彼女ではないわけで、いくら見た目が同じとはいえぼろは出る。
だけどそれらは全て、性転換を行った後遺症と言うことで乗り切った。
正直今も疑っている人はいるかもしれない。だけど、まさか全く同じ顔の別人に成り代わられているなんて、そんな漫画みたいな話を誰が本気で信じるというのか。それよりかは、性転換装置による後遺症だという方がまだ現実味があるというものだ。
そうして私は、何やかんやと早半年も、馬酔木乃香としてばれずに生活していた。
そう、私の性転換は、いや、生転換は大成功に終わったはずだった――
「水仙さんと馬酔さんの見た目が同じである。こう考えた時、これまでの謎が全て解けていくのを感じました。そして本当にそんなことがあり得るのか考えた時、この仮説を否定する事象よりも肯定する事象が多いことに気付きました」
回想にふけっていた私の意識に、梓さんの声が混ざりこんでくる。
もうそんなことは聞きたくない、聞く必要がないと思うも、私に彼女を止めることはできず。彼女の推理がとめどなく耳に流れ込んできた。
「そもそも、馬酔さんの女性時の姿を見た方が一人でもいればこの仮説は崩れます。しかし実際には、あの館で馬酔さんの女性姿を見たことがあると証言したのは、水仙さんただ一人でした。
さて次に、なぜ馬酔さんはそのことを私たちに黙っていたのかという疑問が生じます。水仙さんの姿が男女で同じある以上、馬酔さんがこのことに気付かないなんてことはあり得ません。もしあなた方の姿が同じであるとするならば、どこかでそのことを秘密にしておくよう、話し合いを行う機会が必要です。そんなタイミングがあなた方にあったかと考えた時、馬酔さんの性転換があなたの性転換の直後であることを思い出しました。秘密にすることにした経緯は不明ですが、その話し合いをするチャンスは十分あったと考えられます。
また馬酔さんの死体が発見された日の朝、水仙さんは馬酔さんの部屋にいたことが一柳さんの証言から明らかになっています。しかしこれは私にとってかなり奇妙な事でした。常識的に考えて、殺害した相手の部屋に長くいる理由はありません。まして馬酔さん殺害の現場は性転換室であり客室は関係ありませんでした。にも関わらず、なぜあなたは馬酔さんの部屋にいたのか。これもあなたが馬酔さんと入れ替わりを行うつもりだと考えれば、あっさり答えが浮かびました。ズバリ、身分証の窃盗です。そして彼女の身分証は客室の金庫の中に仕舞われていたのでしょう。あなたは馬酔さん殺害後、一晩かけて金庫破りにチャレンジしていた。それゆえ朝まで彼女の部屋におり、結果寝不足から目元にクマができていた」
「……」
私は目を瞑るのを止め、目の前で生き生きと推理を続ける梓さんの顔を見つめた。
彼女の顔は喜色に溢れている一方、目だけはどこか別物で、まるでこちらの様子を観察しているかのような鋭さがあった。
ただ自身の自尊心を満たすためだけに彼女が推理を行っているとは思えない。そんな浅はかな人物であれば、もっと早い段階で、館にいた段階で何かしらアクションを起こしていたはず。
つまり彼女の語りにも、きっと意味がある。
私は彼女の推理を聞く傍ら、私に持ち掛けようとしている提案が何かに付いて考え始めた。
「最後に、個人的に最も不思議だった、性転換後の姿でなく元の姿を選んだ件について。あなたは性転換する覚悟が足りなかったと仰いましたが、どうにも納得できませんでした。小田巻さん相手に性転換しようと考えた経緯を熱く語っていた人が、私の前で性転換後の姿が同じであることに延々と文句を述べていた人が、あっさりと元の姿で生きる選択を選べるのか。仮に選んだとしても、もっと落ち込んで然るべきではないかと。しかし私から見たあなたは落ち込んだ姿など一切見せず、ずっと緊張と期待に胸を膨らませているように見えました。人を殺している以上緊張するのは分かりますが、なぜ未来に対して悲観するどころか希望を抱いているように見えるのか――それも、入れ替わりによる新たな日々が待っていたのだとすれば、腑に落ちました」
「……そんなの、梓さんの勝手な印象ですよね」
「はい、そうですよ。ですが私にとっては、私が感じた印象こそが最大の根拠になるのです」
「それで、私が馬酔さんと入れ替わっていることを確信した梓さんは、馬酔さんのことを調べ上げ、ついにこの地へと辿り着いたってことですね。で、結局何がしたいんですか?」
つらつらと梓さんの思惑を想像してみたが、結局これと言ったものは思い浮かばなかった。
自らも人を殺しているTP機構のメンバーが、まさか警察に通報するとも思えない。
有力なのは脅して言うことを聞かせることだが、一体私に何をさせるというのか。いくらこの件で脅されたとしても、自爆テロを含めたヤバい犯罪行為に加担する気は一切ない。そんなことをさせられるくらいなら、まだ警察のお縄に付いた方がましだから。
そもそも、そういう手駒ならいくらでもいることだろう。わざわざ私なんかを使う必要性があるとは思えない。今回の事件だって、うまくいったのは性別転館やアンと言う異常な環境のおかげであり、私の能力ではない。
優秀な人材のスカウトとしても不適切だし、いくら考えても彼女が私に接触するメリットが思い浮かばなかった。
もう面倒だし、直接聞いてしまえと言う結論に。
そんな自棄気味の問いかけに対し、梓さんは三日月形に口をほころばせ、「わかりませんか」と囁いた。
「全然分かりませんね。私には、梓さんが満足するような能力があるとは思えませんし」
「そうでしょうか。あなたの存在自体が、私にとって有用だとは思いませんか」
「私の、存在自体?」
「ええ。こうして入れ替わりを行ったあなたならもう理解しているはずです。性別転館が、本当はどういう目的の場所なのか」
「……」
記憶の中でアンの『というか、それが目的の装置ですから』と言う言葉が蘇る。
梓さんも知っているようだが、性別転館は、善意から人の性別を変え、新しい人生を歩ませようとする場所ではない。
あそこは、これまでこの世に存在していなかった人物を、身分証付きで世に混入するための場所なのだ。
「私はヒエンさんを含めた多くのTP機構メンバーのように、性転換をすることに対して否定する気は一切ありません。しかし今の、未知の怪物たちが人間社会に続々と溶け込んでいく状況を見過ごしておくことはできません。ですから、性転換装置を壊すか、もしくは世の人々に性転換を行うことを躊躇わせる必要があるのです。そしてその手段の一つとして、性転換を行い他人の人生を乗っ取った、あなたの存在は大変助けになる」
「……性転換装置を利用して、密かに人間の入れ替えが行われている。私を生き証人として世界に呼びかけ、性転換装置使用の停止を求める、と」
「まさしく、その通りです」
大げさに何度も顔を頷かせ、私の言葉を肯定する梓さん。
私は呆れを通り越して、どこか異星人でも見るような表情を浮かべ首を振った。
「色々と、無茶苦茶ですよ。こんなことができる相手に私程度の生き証人一人でどうにかなるわけないです。そもそも、そんな危険な役目を――」
「環境を変えたいんですよね」
「っ……!」
こちらの心を見透かすような、まっすぐな視線が私の目を捉える。
怯む私の前に、梓さんはそっと手を差し出し、提案した。
「今、あなたは馬酔木乃香という新鮮な環境を満喫しています。しかしそれは一時的な話。人を殺してでも自らの可能性を探求し続けるあなたは、いずれまた、この環境にも嫌気がさしてしまう。そうなった時、殺人と言うリスクを冒さず、容易に、より刺激的な環境で自らの可能性を試せたら素敵だとは思いませんか。しかもその舞台での成功は、世界をひっくり返すほど大きな影響を持つのですから。
水仙さん。誰もあなたのことを知らない、理解していないまっさらな新天地で、この世界を変える戦いに身を投じてみませんか? あなたなら、きっとそれが可能だと、私は信じているのですが」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
長い、長い、長い沈黙の末、私は迷いなく彼女の手を取った。
ここまでお読みいただき有難うございました。
本来は男女の差からくるトリックを書きたかったのですが、結局これと言ったアイディアが浮かばず。いっそ性転換自体を隠れ蓑にした別のトリックをぶっ込めないかと考えた末、このような結末となりました。
……しかしこれ、かなりのバッドエンドなのでは? 次回はちゃんとしたハッピーエンド作品書きたいなあ……。




