お久しぶりですね
私は老婆を店の中に招待すると、紅茶とお茶請けを彼女の前に差し出した。
「あらあら、お構いなく。ちょこっとお話を聞きに来ただけですから」
「いえ。わざわざ遠くから来ていただいたみたいですし、遠慮しないでください」
性別転館を訪れた人物に会うためだけにこんな田舎まで尋ねてくるような人だ。見た目の雰囲気からしても裕福さが滲み出ているし、仲良くしておいて損は無いはず。
そんな打算的思考からできる限り愛想よく、私は彼女に応対した。
「それで、どんなことがお聞きになりたいんですか? やっぱり性転換した時の感覚とかですか?」
「そうねえ。それも勿論気にはなるけれど、まずはどうしてあなたが性転換後の姿を選ばなかったのかについてかしら」
「ああ、やっぱりそこは気になりますよね。実は私の場合かなり特殊なパターンだと思うんですけど――」
私はそう言って、なぜ自分が男性の姿を選ばなかったのかについて話していった。
老婆は優し気な笑みを浮かべたまま、私の話をただ静かに聞いている。
一通り話し終わったところで、老婆は何度か小刻みに頷き、
「ところで、何か事件なんかは起こらなかったのかしら」
と、大きく話題を変えてきた。
性転換しなかったことに対してもっと追及されるかと考えていたところで、まさかの問いかけ。
私は戸惑う思考を必死に制して、「事件、ですか?」と声を震わせ聞き返した。
「ええ。ほら、昨今はTP機構とかいう性転換否定派がいるじゃない。彼らが襲ってきたりしなかったのかしらって」
「さ、幸いにもそういうことはありませんでしたよ。私が滞在している間は平穏無事そのものでした」
「あらあらそう……ひどいわね。あそこで死んだ人たちのことは無かったことにするなんて。彼らが可哀そうだわ」
「は……」
一瞬、何を言われたか分からず、馬鹿みたいに口を開けて目の前の老婆を見つめた。
なぜ、こいつが性別転館での事件を知っているのか。
あそこにいた人物の知り合い? だとして、事件についてはアンから口留めをされていたはず。その約束を破った人がいると?
いやそれ以前に、どうして私を探していた。どうやって私を探し当てた。
まさか、まさか、あり得ないとは思うけど――
ぐるぐると頭の中で思考が渦巻き、混乱と不安の波が押し寄せる。
そんな気持ちの揺らぎが原因か、無意識に私の視線は厨房へと向かう。さらに外に人がいないかを確認したところで――老婆の挨拶が割り込んだ。
「そう言えば、私の紹介がまだだったわね。私はね、こういう者なの」
おもむろに、一枚の紙を取り出しテーブルの上に置く。
その紙――名刺に目を向けた私は、そこに書かれている文字を見て、絶句した。
「改めまして、TP機構日本支部最高顧問の鬼灯梓と申します。お久しぶりですね、馬酔木乃香さん――いえ、水仙葵さん」




