性別転館からの帰還
『皆さま、お帰りの時刻となりました。皆様の変更後の性別・容姿を登録いたしますので、一人ずつ食堂にお入りください』
一柳による推理により、性別転館で起きた連続首切り事件は解決した。
彼の推理に間違いはなかったらしく、あれ以降特に殺人は起きず、何事もなく時が流れた。
館から解放されるまでの間、どこか緊張した面持ちながらも、皆思い思いに過ごすことに。
殺される危険性がなくなったからか、一柳は再び性別転換を行い女性の姿へと変身した。
残りのメンバーは既に目的の性別になっていたのか、特に性転換を行うことなく、残りの時間を過ごした。
さて私と言えば、何というか、結局は何も変わらない女の姿。この館に来てから色々と、本当に色々なことを考えたけれど、やっぱり見た目が変わらないなら男になる意味はないという結論に達したからだ。
アンによる性別登録は、真っ先に一柳が受けに行った。それを待っている間、私と梓さん、小田巻さんは軽い雑談をしていた。因みに宗助は部屋に引き籠っており、この場にはいなかった。
「小田巻さんはやっぱり男の姿を選んだんですね」
「うん。この館で起きたことから、改めて性別転換を行うメリットとデメリットを考えてさ。それでまあ、性転換を行うほどの覚悟はなかったなって、そう思ったから」
「もしかして、ヒエンさんの発言のせいですか?」
梓さんが、少し不安そうに尋ねる。
小田巻さんは困った様子で首を傾げてから、ゆるゆると首を横に振った。
「まあ、全く影響を受けていないかと言われたら嘘になりますけど。僕は一柳さんみたいに努力をしてきたわけでも、強い覚悟を持って性転換を行おうとしたわけでもないので」
「それなら――」
「でも、それよりも、水仙さんの言葉によるところが大きいんです」
「私ですか?」
思い起こされるのは、三日目の訓練室での会話。
かなり一方的に恥ずかしい話を繰り広げた記憶しかないが、小田巻さんの人生にしっかり影響を与えてしまったようだ。
「あの、その節は生意気なことを言ってしまい申し訳なく思っていて……すいませんでした」
小田巻さんは柔和な笑みを浮かべ、ゆるゆると首を振った。
「いやいや、僕は本当に感謝してるんです。変わりたいって気持ち、変われるって信じる心を、僕はすっかり失って、思いつくことさえなかったので。それを、水仙さんの言葉で思い出すことができた。そしたら、まだ今の男の姿でも、やりたいと思っていたことがたくさんあったなって、そう気づいたんです」
「成る程……水仙さんはご立派ですね。あなたの言葉により、小田巻さんはこの館で『性転換』でなく、『生転換』するきっかけを得られたわけですから」
「ちょ、あんまりからかわないでくださいよ!」
二人からにこにことした笑みを向けられ、私は顔を隠すように両腕でバツ印を作る。
しばらくの間、私たちはそんな和やかな雑談を交わして時間を潰した。
そうこうしているうちに、食堂から一柳が出てきた。
男の姿に比べると遥かに派手な、金髪ツインテール姿の一柳。
高飛車なお嬢様を演出しているのか、彼女は私たちを一瞥するだけで挨拶もなく、館の出口に向かって歩き出した。
私はしばらくその背中を目で追っていく。そして彼女が扉に手をかけたタイミングで、唐突に駆け寄った。
「一柳さん! ちょっと待ってください!」
「何?」
これで最後だというのに、一柳の態度はそっけない。けれどそれでも構わない。彼女がどんな人間であろうと、私が救われたことに違いはないのだから。
彼女の正面に立った私は、少し呼吸を整えてから、大きく頭を下げた。
「あの、有難うございました! 一柳さんがいなかったら、私が犯人として、アンに処理されていたと思います。大げさじゃなく、命の恩人でした」
心からの感謝の言葉。
きっと誰にも、ヒエンに追い詰められていた時の私の気持ちは分からない。あと少し、あと少し一柳が口を挟むのが遅ければ、私は何もかもを諦めてしまっていた。それほどまでに、あの時私の心は限界に近かった。
この感謝の気持ちが十分に伝わらないのは分かっている。けど、それでも、伝えずにはいられなかった。
実際、一柳は私の感謝なんて歯牙にもかけない様子で、「あなたのためじゃないわ」と嘯いた。
「私は単に真実を話しただけ。もしあなたが犯人だったとしても、一切容赦なくあの場で暴露していたわ」
「でも、その真実を皆が共有できたのは、一柳さんの推理あってこそですから。やっぱり感謝せずにはいられません」
「そう、なら勝手にしなさい。私から言うことがあるとすれば、どんな悪事も結局はばれるもの。悪事を働くからには、報いを受けることを前提に生きろってことぐらいね。特にあなたは、殺人こそ犯していなかったもののルールは破ったんだから」
性欲に負けて犯したルール違反。さりげなく釘を刺され、浮かべていた笑みが崩れかける。
だけど実際私は、自分の欲のためなら悪事を働くタイプではある。彼女の言葉は、金言として胸に刻み続けていきたい。
ただ、命の恩人相手とはいえ、言われっぱなしはやはり癪だ。
今度こそ本当に最後。そう思いながら、握手をしようと手を差し出す。そして私も彼女にとって金言となるであろう言葉をお見舞いした。
「一柳さんも、これからの女としての人生、絶対あなたが思ってるより楽じゃないと思うので頑張ってください。時として、あり得ないことが、一柳さんの障害として快適な人生を邪魔しに来ると思うので」
「そんなこと、自我が芽生えた瞬間から知ってる話よ」
私の差し出した手を握ることなく、彼女は扉のドアノブに手をかける。そして「さよなら」の一言も告げずに、性別転館を後にした。
* * *
『とまあ、残念でしたね。最後まで一矢報いることもできず馬鹿にされたままで』
「はっきり言って、私が一矢報いたいのは一柳じゃなくてあんたの方なんだけどね」
ようやく食堂にて、性別登録の順番が回ってきた。
最終日ということもあってか、今日のアンは頗る機嫌(?)がいい。
正直これからのことを考えて、まだまだ気が抜けないでいる私とは対照的と言える。
というか、今後を考えた際に、今この瞬間こそが最大最高にやばい場面であることは疑いの余地がない。
アンの気分次第では、私の未来はここで途絶えるのだから。
いろいろ言いたいことはあるが、とにかく、はっきりさせておく必要があった。
「まず最初に確認させてもらうけど、あんたは本当にこれでいいの? 社会的な基準から言えば大問題だと思うけど」
『私としましては何も問題ありません。死人に口なしアンドロイドに倫理観なし、ですので』
「うまいこと言ってるつもりかもしれないけど、全然うまくないよ。てか、あんたアンドロイドじゃないでしょ」
『はて突然何を仰られるのか。どこからどう見てもアンドロイドでしょうに』
私からの突然の指摘に動揺するそぶりも見せず、アンは全身を変形させ武器を取り出して見せる。
わざわざそんなパフォーマンスをしてもらわずとも、アンの体がアンドロイドのそれであることは疑っていない。疑っているのは、そのペラペラ回る口――もとい音声だった。
「性転換装置なんていうオーバーテクノロジーがあるせいでつい受け入れちゃってたけど、やっぱり今の科学技術でアンみたいな感情豊かで皮肉交じりで流暢に喋れるアンドロイドなんて作れるわけないと思うんだよね。というかもし作れてるなら、とっくに公表されてると思うし」
『しかし現実に私は存在しております。文句をつけられても困るのですが』
無表情のまま、「はあ」とため息をつく。いやマジで、こんなアンドロイドいてたまるか。
イラっとするものの、自身の勝利を確信しているがゆえに、何とか堪えて続きを話す。
「あのさ、往生際が悪いの良くないと思うよ。別に声だけなら通信機でも埋め込んで、人間が代わりにやってても問題ないんだし。ね、雪割宗助さん」
『へー、ばれてたんだ。意外』
「っ……!」
またとぼけられるかと考えていたところに、あっさりと宗助の声が流れてくる。
確信があるというよりは、鎌をかけるつもりでの発言だったのだが、こうもあっさりばらしてくるなんて。驚かせるつもりが逆に驚かされることになってしまった。
ちょっと悔しい気持ちを抱きつつも、私は「気付いたよ。勿論ね」と強がった。
『何かばれるようなミスしたっけ――いえ、しましたでしょうか。今後の教訓としてぜひお教えいただきたいところです』
「……別に、口調は戻さなくてもいいと思うんだけど」
『そうもいきません。今は仕事中ですので、アンとして会話する義務がありますから』
「ああ、そう」
完全にペースを握られている。
アンに一泡吹かせるというのは無理かもしれない。
心の中で敗北感に苛まれつつも、私はアンの正体が宗助だと考えた理由を話しだした。
「まあ、最初からこんなアンドロイドいるのかとは思ってたけど。違和感を覚えたのは宗助と会った直後に、入れ替わりで部屋の掃除をしに来たアンを見た時。明らかに今までとは違う、機械っぽい口調に態度。普段なら確実に私を小馬鹿にしてくるのに、完全スルー」
『はて。元より私は非常に勤勉で真面目なアンドロイドですので、水仙様を小馬鹿にしたことなどありませんが』
「はいそこ黙る! とにかく、宗助が引きこもりを止めた途端にアンの様子がちょっとおかしくなったわけ。その後もちょいちょい普段とは違う事務的なアンが出てきたけど、ふと考えたら全部共通点があるなって気づいたの。アンが事務的になってる時、その場には宗助がいるってね」
探偵宜しく人差し指を向けて指摘する。
殺人事件の解決編では全く活躍の場面がなかったこともあり――というか犯人として指摘される側だったし――、ようやく輝ける瞬間が来たとテンションが上がる。
ただし相手はアンドロイド。悔しい表情一つ見せずで、してやった感はまるで得られないのは残念だが。
アンは無表情でパチパチパチと手を叩くと、『よくお気づきになられました』と賛辞の言葉を投げてきた。
『そもそもそうした疑いを持たれないようにするため、部屋に引き籠っていたのですが。それでもまさか参加者の一人が、アンドロイドの会話を担当しているなど、普通なら想像もしないでしょう。これは流石と褒めざるを得ませんね。いやあ、素晴らしいです。天才です』
「……そうも過剰に褒められると、逆に馬鹿にされてる気がするんだけど。てか、あんたが私に対して妙に絡んでこなかったら気付かなかった話なんだけどね」
『それはその通りですが、実際あなたは私の見立て通り大変面白い方でしたから。後悔はありません』
「面白い、ねえ……」
私のことを面白いと感じるのはどうなのか。かなり変わっているというか、狂っているというか。
ふとある考えがよぎり、私は恐る恐る尋ねた。
「まさかとは思うけど、私みたいな例ってたくさんあったりするの?」
アンはノータイムで、『というか、それが目的の装置ですから』と恐ろしい――いや、悍ましいことを口にした。
「マジで……言ってる?」
『はい。ですから本音を言えば、TP機構が正しいと思っていますよ。私はね』
声の主である宗助の笑顔を想起させる、アンドロイドとは思えないほど自然で、厭らしい笑みを、アンは湛えた。
* * *
「あ、水仙さんお疲れ様です」
「お疲れ様です。梓さんまだ残ってたんですね」
食堂から出たところで、梓さんに声をかけられた。
性別登録の順番としては、小田巻さんと梓さんに先を譲ったため、てっきりもう帰っているものと思っていた――因みにだが、館の外には人数分の送迎車が停められており、いつでも帰宅できるようになっている。
梓さんは優美な笑みを湛えたまま、「最後にもう少し、水仙さんとお話をしたかったので」と言ってきた。
改めて見ると、いや、改めて見るまでもなく日常生活では出会えない超絶美男。タイミングとか事情とかいろいろあったけれど、せっかくなら梓さんにもアプローチしておけば良かったなんて考えてしまう。
そんな邪念を察知されないよう自然な笑みを心掛けつつ、「それは光栄です」と言葉を返した。
「でも今更お話しすることって何かありましたっけ? 大抵のことは今日までに話してきた気がしますけど――もしかして、私の連絡先ですか? スマホも返ってきましたし」
「連絡先は大丈夫です。それよりも事件について少し」
「そうですか……」
あっさりと振られたことに内心ショックを受ける。
それはそうと、話したいことが事件のこととは。何やら不穏な気配を感じ、緩みかけていた心に活を入れた。
梓さんはどう切り出したらいいか悩んでいる様子で、すぐには口を開かない。数秒の沈黙の後、彼の口から出た言葉は「本当に性転換しなくて良かったのですか?」という事件とは全く関係ないものだった。
「ええと、はい。ご存じの通り男になったときの見た目が一緒だったので、わざわざ変える必要はないかなって」
「ですが、男の性を選んだ方が水仙さんの目的にあったのではないでしょうか? 先ほど聞きましたが、あなたの目的は性転換を行うことで周りの見る目を、環境を変えることだとか。でしたら見た目が変わらずとも、『性転換を行い男になった』という一事でも十分な気がするのですが」
「いやまあ、それはそうなんですけど……」
事件とは関係のない話なためほっとしたのも束の間、中々に答えづらい質問を投げかけられてしまった。
梓さんの言うように、男の姿が元と一緒であっても、性転換したという事実だけで十分周りからの視線を変えられるんじゃないかとは思った。実際、一時はそうしようとすら考えていた。だけど、それよりも、私にはより良い選択肢があって――
自分でも少し無理があると思いつつ、私は陽気な笑い声をあげた。
「いやあ、小田巻さんにあんなことを言った手前かなり恥ずかしいんですけど、私こそ覚悟が足りなかったんですよ」
「と言いますと?」
「まあその、ヒエンの演説を聞いて性転換することが怖くなったんですよね。これから友達に会った時に、どう接していけばいいのか。なまじ見た目が一緒な分、私も相手も対応が分かんなくなって、ぎくしゃくしちゃいそうだなって」
「だから男ではなく女のままでいようと決めたのですね」
「……そうです」
梓さんのまっすぐな瞳に耐え切れず、私は顔を背けながらそう答える。
彼はしばらくの間じっとこちらの顔を見つめていたが、納得してくれたのか、ほっと息を吐き、「分かりました。お答えいただき有難うございます」と頭を下げた。
「すみません。これから帰るというのに、お時間をとってしまって」
「いえいえ、梓さんにはこの館でとっても助けられましたから。少しでもお役に立てたなら何よりです」
「こちらこそ、水仙さんには仲良くしていただいて感謝しかありません。大変お世話になりました。これで、殺人が起きていなければ最高の五日間だったのですけどね」
「……それは、そうですね」
事件解決後、あえて触れないようにしていた話題。
今回の事件はTP機構によるものであり、あくまで私たちは被害者という立場。彼らの死に負い目を感じる必要はない。
とはいえ、彼らの死を無視して今後生きていくというのも簡単にできる話ではない。どうにしたってその死に責任を感じるというか、苦悩するというか――とにかく心が重くなってしまう。
しかもアンによれば、ここで亡くなった人たちは失踪という扱いになるらしい。彼らの死を、しっかりと弔ってあげる事さえできない。
私たちが告発したらどうするのかと聞いた際には、『ばらしたらバラします』と脅し以外の何ものでもない言葉を吐かれた。これがまかり通ってしまうこの世界は、間違いなく歪んでいる。
だけど、私にできることは何もない。する資格もない。
「ええと、帰りますか」
「……そうですね」
最後の最後に暗い雰囲気になってしまった。
言葉少なに、私たちは並んで帰りの送迎者まで歩いて行く。
車に乗る直後、梓さんは律儀にも頭を下げてきた。
「またいつかお会いできる時を楽しみにしています。それでは、失礼します」
「あ、はい、さようなら。お元気で……」
私も頭を下げ返し、しばらくの――いや、永遠のお別れをした。
それから数日後。
鬼灯梓、二十八歳、女性
水仙葵、二十七歳、女性
彼女ら二人が死亡したとの記事が、ネットニュースに掲載されていた。
ここまで読んでくださった皆様、有難うございました。
個人的にはここで完結にしてしまいたいのですが……流石に文句が出そうなので、あと一話か二話ほど追記します。
今作はあまり反響が良くなく、皆様からコメントを頂けませんでしたので、現時点において、性別転館で何が起こっていたのかを理解している方がどれだけいるのか分からず……そこがちょっと残念ではありますが。
まあ、残りの蛇足パートで、色々と見え方が変わると思いますので。もう一度読み返してみたいと、そう思わせられれば何よりです。




