終幕
「は……何言ってるの?」
しばらくの硬直の後、声を震わせながらヒエンは歪な笑みを浮かべた。
「誰って、皆も知っての通りミスターもといミス・ヒエンっしょ。何をいまさら――」
「俺は毒田の頭部に撮影機器が埋め込まれていると推理したが、この推理では頭部をアンに捨てさせる必要がない。撮影機器の回収ができればいいのだから、頭部の状態なんて関係ないはずだからだ。ではどうして頭部を隠させたのか? 我ながら古典的な考えだが、入れ替わりのためなんじゃないかと考えた」
「入れ替わり……」
まだ一柳の推理が正しいかは分からない。しかしヒエンの顔は見るからに青ざめ、推理合戦が始まる前の快活さは失われていた。
それと同時に、私は女性になったヒエンを初めて見た時の印象を思い出していた。死体を見ての興奮っぷりや発言のヤバさからヒエンらしさを感じたし、何より本人が自らをヒエンと名乗ったため、すぐに彼女をヒエンと認めてしまった。が、少なくとも見た目からくる年齢の印象はかけ離れていた。
ミスター・ヒエンは私と同い年か、それより少し上にすら感じたのに。
ミス・ヒエンの年齢は十九歳と、私より遥かに若かった。
馬酔さんの例もあったから、見た目が大きく変わることに違和感を覚えづらくなっていた。しかし改めて考えると流石におかしい気がしてくる。
宗助に向けられていた視線が一転、ヒエンへと向かう。
この場にいる全員の視線を受け、初めて明確に、ヒエンの表情に動揺が走る。それを誤魔化すかのように、彼女は殊更明るい声を上げた。
「ちょ、皆マジであたしがヒエンじゃないって思ってんの? ヒエンは死んだ毒田っちだったって? そんなわけないっしょ! 首を隠した理由が入れ替わりのためって、実際安直すぎるし! そんな意味不明な疑い掛けられても困るんだけど!」
「……そうですね。それに、私がネットで調べた毒田さんの顔と、ミスター・ヒエンの顔は異なっていたと思いますが」
落ち着くためか、一度小さく息を吐いた梓さんが、一柳に問いかける。
「この館はネット自体は繋がってるからな。入れ替わりを計画した時点で、当然整形は行っただろう」
「ですが本当に入れ替わりを計画していたとは言えないのでは?」
「ここで殺人が起きた時点で、TP機構を疑う人物がいてもおかしくはない。殺人後にも館の中を自由に動いても怪しまれないよう、性転換を行っていると思わせるのは必須条件だ。入れ替わり以外でそう思わせる方法があるならぜひ教えて欲しいところだな」
「……すぐには思いつきそうにありませんね」
「だろうな」
冷静に、あっさりと梓さんを論破する一柳。すると今度はヒエン(?)が噛みついた。
「ていうか! 仮に入れ替わりが起きてたとして、どうしてその対象があたしだって断定できんだし! 別の人と入れ替わってる可能性だって十分あるっしょ!」
「その焦り具合が答えになっていると思うんだがな。まあいい。最後くらい、少しは付き合ってやる」
一柳は尊大な態度で腕を組むと、「毒田の性別はどっちだった?」と、わかりきったことを問いかけた。
「……そりゃあ男っしょ。毒田っちの死体は間違いなく男だったし、それまでに性転換するタイミングもなかったんだから」
「その通りだ。仮に毒田が鬼灯の調べた人物とは同姓同名の別人だったとしても、予約表の件からあいつが男であることは確定している。つまり、あいつが死んで以降男の姿を晒している奴は入れ替わりの対象にはならないんだ」
「それは、そうなるけど……」
「そして毒田が死んだ後にずっと女の姿でいたのは、お前と引きこもり女の二人しかいない。俺からしたら有難いことに、見た目での判断に困る水仙の性別が男であることを、お前が確定させてくれたからな」
ちらりと一柳がこちらに目線を向ける。
まさかヒエンの堂々としたセクハラ行為が、こんな形で無罪証明に働くとは。
何というか、色々と美味しい一件だったらしい。
やや落ち着きを取り戻し、くだらない思考を繰り広げる私と対象的に、ヒエンは焦った様子で声を上げた。
「だったらやっぱりあたしじゃなくてあっちが犯人っしょ! なんであたしに決め打ちしてんだし!」
「さっき言ったはずだ。入れ替わりを行うのは、性転換していないことを怪しまれないようにするため。そして毒田から託された撮影機器を使い館の情報を収集するためだ。
さて、この目的を考えた際、ずっと部屋に引きこもっていた雪割と、事件解決のためと嘯き館を徘徊していたヒエン。どちらが入れ替わり対象かなんて、一目瞭然だろう」
「うぐ!」
もはや隙なんて無いんじゃないかと思われる、一柳の論理武装。
完全に追い詰められたヒエンは、それでもまだ諦めきれない様子で地団太を踏んだ。
「そんなの、そんなの、そんなの! 全部あんたの妄想っしょ! 私が毒田っちの同士で馬酔っちを殺した殺人者だって証拠がどこにあんのさ!」
「証拠はないが、証明は簡単だ。俺の推理が妄想で、お前が本当に俺たちが一日目、二日目に話していたミスター・ヒエンだというなら、性転換装置を使って元に戻ってくれればいい。もしお前が本当にミスター・ヒエンだったなら、これまでの侮辱に関して土下座して許しを請うことを約束する。どうだ、やってくれるか?」
「………………」
青ざめた表情は興奮からかいつの間にか赤くなっており、さらに今のヒエン――ではないようだが、名前が分からないのでヒエンと呼ぶ――の目つきは、まるで暗殺者のように鋭くなっていた。
肯定を意味するかのような、長い沈黙。
時間が経つにつれ、彼女への疑いは強くなっていく一方であり――と、不意にヒエンはにんまりと口元に笑みを湛えた。
「あは、あははははははははは。ここまでばれてんならしょうがないね。ああ、こんなアホみたいな喋り方して、クソどもの振りまでしたってのにこのざまなんて。ほんとやってらんないね」
「ヒエン……さん? 今のって、じゃあ、やっぱり」
目の前の展開についていけない小田巻さんが、困惑した視線をヒエンに投げかける。
完全に吹っ切れたらしいヒエンは、彼の問いかけに対し堂々と肯定した。
「そう。あたしは毒田さんと同じTP機構のメンバー。このクソ同然の場所の情報を少しでも得るために一般客のふりして参加してたわけ。まあでも、別にいっか。ばれたならばれたで。こっちの目的はとっくに達成できてるし」
素顔を晒したヒエンは、これまで隠していた私たちへの憎悪・嫌悪を嬉々として押し出し、侮蔑の言葉を吐きつけた。
「マジさあ。本当に最悪の気分だったんだけど。こんな死人どもと一緒に仲良く推理ごっこ。てか普通に同じ空気吸ってるだけでどんだけ吐きそうになってたか。ヒエンってキャラクターを統一させるために狂人の演技してきてたけど、ぶっちゃけ演技してなかったらそれこそ発狂してたわ。
ねえ聞きたいんだけどさ。こんだけ姿かたちをコロコロ変えて、あんたらには自分ってものがないわけ? どうしてそんな簡単にこれまでの自分を捨てられるわけ? 今自分が死んでるって自覚、本当にないわけ?」
場の空気が凍るほどの迫力。
今、追い詰められているのは、一体どちらなのか。
先までの立場が逆転したと、そう錯覚するほど、私たちは彼女の迫力に呑まれてしまった。
いきなり本性を現したTP機構を前に、しばらくは誰からも声が上がらない。
そんな地獄のような静寂を破ったのは、「テセウスの船、か」という一柳の呟きだった。
「俺からしてみれば、どれだけ自分を構成するパーツが変わろうと、俺が俺であることに変わりはないんだがな」
「あんたはさ、その自分がどうして、どうやって形成されてきたか考えないの? 今まで生きてきたその顔で、その体で、そのスペックで、それがあんたを構成してきたものでしょ? それらを全て覆し別人へと変貌させるのが性転換装置。それが本当に許される行為だと思えるの?」
一言一言が、彼女の本心だと分かる重い言葉。性転換装置を使うことを、そこまで深く考えていなかった私みたいな人間にとって、それらは鈍い痛みとなって心に突き刺さる。
ただそれも、今回は言い争う相手が悪かった。
「悪いが、その反論は俺には響かないな。俺は昔弱者だった。運動神経も悪く、勉強もできず、顔も冴えないどこにでもいるモブ。だから努力した。運動神経の悪さは、とにかく体を鍛えることでカバーしたし、勉強は人の何倍も反復を行って少しずつ差を縮めていった。顔の形は努力してもカバーできないが、その代わり肌の手入れは欠かさなかったし、当然化粧の技術も学んだ。
もし、努力せずに弱者のまま成長していたなら、俺は今この姿じゃなかった自信がある」
「……だから何。今の自分を捨てても構わないってわけ。せっかく努力して手に入れた今の自分を」
「違う。俺が言いたいのは、人の姿は生まれつき決まったものでなく、その都度の自分自身の選択によって決まるということだ。そしてそういう意味で言うなら、性転換装置による変化も大きな話じゃない。今の努力をし続けてきた俺が選んだ、より自分を輝かせるための努力の一つに過ぎない。
技術革新は世の常だ。これまで努力して身に着けた技術が、新しい科学によって誰でも簡単に行えるようになる。だがそれは本来悔しがることじゃない。努力して何かを身に着けることを目標とするのでなく、なりたい自分になるために努力している者にとって、それは手助けとなることだからだ」
「……何が言いたいのか理解できないんだけど。だからあんたは性転換を認めろって言うの? 自分の大切な人が、まるで違う見た目になって、これまでの関係性や思い出だって全部崩れてなくなるんだよ? あんたの言ってる努力だとかなんだとか、そういう次元の話じゃないでしょ!」
「一緒だよ。今の自分に不満があるのか、なりたい自分があるのかは人によるだろうが、お前が言うようなデメリットを理解しそいつが望んだ選択だ。そもそも性転換なんてしなくたって関係性や思い出が崩れることは普通にあること。お前のそれは、未知の、最先端の科学に対して人が感じる根拠のない恐れでしかないんだよ」
「……もういいよ。最初から理解してもらえるなんて思ってなかったし」
「そうだな。どっちにしろ、人を殺したお前はここで終わりだからな」
一柳はちらりとアンの方に目を向ける。
いつの間にやら、アンは体の中から八種の兵器を取り出した完全武装モードに。
ヒエンはその姿を見ると、額から汗を流し、体を震わせた。
しかしすぐさま私たちが見ていることを思い出し、一度息を吐きだした後、にんまりとした笑みを浮かべて見せた。
その笑顔はまるで、初めて会った時のヒエンを彷彿とさせる、狂気と自信を感じさせる笑みだった。
彼女は武器を構えたアンの正面に敢えて移動すると、その場で私たち全員を視界に捉えられるようくるりと反転し、大げさに両腕を広げた。
「今回は君たちの勝利だ。おめでとうと、お祝いの言葉を捧げさせてもらおう。ただ覚えておくといい。それが束の間の平和であることを。
性転換装置は人知を超えたこの世に存在してはならないもの。いつか君たちはそのことを身をもって知るだろう。
我々TP機構こそが、真の正義だったと。
それでは、さようなら」




