水仙葵は犯人じゃない
ほぼほぼ犯人が確定したという雰囲気が構築された中での、この発言。
何かの冗談か、それとも負け惜しみか。ヒエンは皮肉気な口調で「いや、必要ないっしょ」と切り捨てた。
「あたしの推理聞いてたっしょ? どっからどう考えたって、葵っちが犯人で決まりっしょ。まあまだ葵っちが本当に女に戻ってるかの確認はできてないけど、今の反応を見ても間違いないだろうし。事件はこれで解決! 後はアンに任せて、あたしたちは残り一日を悠々と過ごして大団円っしょ!」
「いや、犯人は水仙葵じゃない。別の人物だ」
テンション高くこぶしを突き上げたヒエンに、淡々と冷や水を浴びせる一柳。
渾身の推理を否定されたことがよっぽど気に食わないのか、ヒエンは殺意を込めた険しい視線で彼を見据えた。
「意味わかんないし。実際そいつは女であることを、性転換したことを隠してたんだから。犯人じゃないなら何でそんなことしたんだし。それとも自分の目で確認するまで女になってることを認めないとか?」
「いや。確かに水仙が女になっているのは間違いないだろうな」
「だったら!」
「だが、その事実を隠していたからと言って犯人なわけじゃない。現実は推理小説とは違う。別に人なんて殺してなくても嘘をつく奴はいる」
あくまでも私が犯人ではないと言い張る一柳。
疑われている本人としては、こうして庇ってもらえるのは嬉しい限り。だけど今の、私が性転換をしているという事実がある中で、一体どうやってヒエンの推理を覆すというのか。
まるで他人事のように、私はぼんやりとした思考で二人のやり取りを眺めた。
「意味わかんないし! この状況下で、わざわざ女性に性転換するうえにそれを隠す理由っていったいなんだっての!」
「簡単だ。この館ではばれてはいけない行為をやってたからだ」
「だからそれが殺人だっていう話でしょ!」
「違う。水仙は人を殺していない。そもそも殺す動機がないからな」
「動機はそいつがTP機構だからって話っしょ! それに人を殺してないならなんで性転換したことを黙ってたのさ!」
「だから言ってるだろ。水仙は性転換をした後、この館でばれてはならない行為をしたからだよ」
「だからそのばれてはならない行為が何かって聞いて――」
「セックスだよ」
「セックスってそんなの……! は?」
時が止まったかのように、ヒエンの動きがぴたりと静止する。
いや、ヒエンだけじゃない。一柳を除く全員が、彼の発した言葉の意味を理解できず、数秒動きを止めた。
かくいう私も、他の皆とは全く別の理由で驚き硬直していた。というより、まさかそれがばれるかという気持ちでいっぱいで――
「ふ、ふざけるのも大概にしなよ!」
いつもなら自分が言われる側であろう言葉を吐き出したヒエンが、顔を真っ赤にしながら一柳に詰め寄る。
「あんたがあたしのこと嫌いなのは知ってるけど、だからってこんな馬鹿みたいなこと言ってあたしの推理を台無しにして! 人が死んでる館の中で、なんでわざわざ性転換してまでセックスをするんだっての!」
「怒鳴られても困るんだがな。論理的に考えた結果、この解答に辿り着いたに過ぎない」
「どう論理的に考えればそんなふざけた答えに――」
「それから言っておくが、水仙にこの行動をとらせた原因の何割かはお前にあると思うぞ」
「はあ!?」
まさに対照的と言っていい程、一柳は動揺する様子を見せない。あくまでも自分の推理が真実だと疑わずに、堂々と言葉を紡いでいく。
「そもそも俺が考える男と女の性転換後の大きな変化の一つに、性欲がある。性転換した奴なら分かるだろうが、男の性欲は女より強い。特に男の場合は、状況や人間関係に関わらず、魅力的な体躯を目にしただけで性欲が湧いてくるからな。ヒエン。お前も男だったのなら分かるだろ」
答えづらい質問を純真な瞳とともに尋ねられ、ヒエンは戸惑った様子で顔を背けた。
「そ、そんなの個人差あるっしょ! 男だからって皆が皆そんなに性欲が強いわけじゃないし!」
「だがそういう男が多いのは紛れもない事実だろう。水仙も例に漏れず男になったことで性欲が増していた。加えてこの館には俺や鬼灯、お前に雪割とかなりレベルの高い美女が揃っていた。欲情しない方が困難だと言えるんじゃないか」
「だからって殺人が起きた館で――」
「しかもお前、その姿で水仙の股間を触っただろ。おそらくそれが水仙の性欲を高めた最大の要因だ」
「はあ!?」
ヒエンが信じられないと言った顔を浮かべ、私へと視線を移す。
人間性を疑うかのような目に、私は思わず顔を背けた。
まあ思わずも何も、我ながらめちゃくちゃ恥ずかしいというかどうかしていると思うが、欲情してしまったのは事実だから仕方がない。前日にあれなものを見過ぎて、性欲が高まっていたというのもあるけれど――いや、言い訳はするだけ逆効果か。
私は横を向くことで皆の視線を避けつつ、「庇ってくれるのは嬉しいですけど」と一柳に向け言った。
「私がそれを肯定することはないですからね。申し訳ないですけど」
一柳は鷹揚に頷くと、
「それは理解している。何せ、ここで肯定したらどうなるか分からないからな」
アンの方をちらりと見た。
そう、この館では殺人も死体遺棄も許容(?)されている一方で、いくつか禁止事項がある。そのうちの一つが、館内での性行為だ。
この館を訪れた際、最初にアンから警告されたこと。あの時はまさかそんなことするわけないと思っていたのだが……まあ人生何が起きるか分からないということだ。
「さて、満足してもらえたか。さっきお前は殺人を犯す以外で性転換を隠す必要があるかと聞いたが、これで解決だ。水仙が性転換をしたのは誰かとセックスをするため。お前が言っていたように人殺しがいる状況下で力の弱い女になる理由は薄く、素直に性転換したことを書けば変に疑われるか、何なら殺人鬼に殺しやすい対象と思われ狙われる可能性すらあった。だからそいつは自分の部屋番じゃなく毒田の部屋番を書き、密かに性転換を行ったんだ」
「…………」
想像の斜め上を行く回答だったせいか、ヒエンは唇を噛みしめるだけで反論する様子はない。代わりに、梓さんが手を上げ質問した。
「水仙さんが殺人の容疑を被せられても否定をしなかったことは納得しました。ですが、いまいち性転換をした理由が分かりかねます。男のままでは駄目だったのでしょうか? それに、一体誰がお相手だったのでしょう」
「性転換をした理由は単純だ。男のままでは相手がいなかったから、というより作れないと考えたからだろう。人殺しのいる館で、自分より力の強い男からの誘いを受け入れる奴なんてまずいない。だが、相手が女で明らかに自分より弱いとなれば話は別だ。それに男は性欲が強いからな。こんな状況でも、いや、こんな状況だからこそ誘われたら断らないだろうしな」
相も変わらず偏見百二十%の意見。だけど今、彼によって庇われている私は、残念ながらそこに突っ込むことはできない。それに、色々と事実を含んでるのも確かだし。
「そしてお相手が誰かと言えば、これはおそらく死んだ馬酔だろうな。なあ水仙。今朝会った時、お前が自分の部屋じゃなく馬酔や鬼灯のいる1~4号室側にいたこと、気付いてないわけじゃないからな」
「ああー、そこからか」
朝で寝起きだろうし、きっとそこまで頭回ってないと思っていたが、一柳に限ってそんなことはなかったようだ。そしてまあこれは当たっている。
そもそも1~4号室を使用しているのは死んだ毒田さんと馬酔さん、それから宗助と梓さんの四人。宗助は女だし、毒田さんは死んでおり、今しがた梓さんがこの質問をしたことから――というかこれまでの反応から――馬酔さんが私の性行為相手であると判断するのは容易いことだっただろう。
「とまあ、こいつは女に性転換することで、馬酔を誘惑したわけだ。三日目の夜、初めて毒田名義で性転換が使われたタイミングだろうな。それから一時間くらい馬酔の部屋で楽しんだ後、満足してそのまま馬酔の部屋で眠りについた。何か間違っているか?」
「馬酔さんの部屋で何をしていたかはともかく、最初に毒田さんの部屋番号を使って性転換をしたのは私で間違いないです。それから、一時間程度馬酔さんの部屋にいたのもあってます」
「寝不足の原因、やば」
ぼそりと宗助が何か呟いたが、これは全員に無視される。
代わりに、梓さんからの疑問の声が採用された。
「しかし、それならどうして馬酔さんは三階で殺されていたのでしょう。彼が部屋から出る理由が特に思い浮かばないのですが」
「それに関しては呼び出されたか、それとも偶然か、分からないがな。いずれにしても馬酔が犯人に狙われていたことは間違いないと思うが」
「……ここは一旦、一柳さんの推理から導き出された犯人を聞いた方が、判断しやすいかもしれませんね」
私が馬酔さんを殺したわけではないという一柳の推理。そこにある程度の真実味を感じている一方、まだ容疑者から外せるほどでもないというのが本音だろう。
そしてそのことに、一柳自身が気付いていないとも思えない。にも関わらずこの自信満々な態度。既に、私ではない別の真犯人を特定できる何かを掴んでいるが故だと考えられる。
梓さんの提案を否定する者は誰もおらず、いよいよ、最終バッターである一柳による犯人当てが始まった。




