人生で一番苦しい瞬間 ~ミス・ヒエンの推理~
「……でしょうね」
否定されるのは想定していたかのように、梓さんは諦観顔で頷く。
一柳は特にその反応には言及せず、淡々と欠けているピースとやらを指摘していった。
「まず、今の推理が事実なら、毒田も馬酔もTP機構であることは隠しておいた方が良かったはずだ。一般人として殺されることに意味があるのであって、TP機構のメンバーが性別転館で死んだとしても、またヤバい奴らがおかしなことをしたという印象しか植え付けられない。ゆえにあんな堂々としたマークを残すはずがない。
それから今回の方法では、性別転館で殺人事件が起きたことは伝えられても、アンが起こしたと判断されるかは不十分だ。現にアンを必要以上に疑っている奴はこの場にいないしな。
他にも、今の推理では性転換室の予約表に毒田名義の予約を入れる必要性もない。加えてTP機構のマークを血文字を使ってまで残した理由、方法。毒田が二日間姿を現さなかった理由なんかを合わせ、いくつも謎が残ったままになる。アンが嘘つきであることを考慮すると、今この場で鬼灯の推理を完全に否定することはできないが、これだけ説明できない点がある以上、真実だと断じるのはとてもじゃないができないな」
怒涛の添削。
たった今聞いたばかりの推理に対し、これだけの欠陥を指摘できるとは。自信満々なだけあり、私が考えるより遥かに事件についての思考を巡らせていたようだ。
梓さんはホールドアップして、「参りました。やはり無理がありますよね」とあっさり降参の言葉を口にした。
個人的には悪くない推理に思えたけれど、梓さん自身が前座推理と口にしていたように、不可解な点は多く残る。本人も、この推理が正しいとは考えていなかった節もある。
確定こそしていないものの、全員が今の推理は間違っていたという認識を抱く。
それを察し、先からずっとそわそわしていた人物――ヒエンが、堪えきれずに口を開いた。
「じゃあもう梓っちの推理は間違いってことでいいよね! それじゃあ次はあたしのターンっしょ! 本当はトリとして、一柳の残念推理を聞いた後に発表したかったけど、もう我慢の限界だし!」
相も変わらず連続殺人が起きた場所での発言とは思えないテンション感。とはいえ流石に皆も慣れたもので、いちいち反応する人は誰もいない。それに何より、ヒエンが賢いことは間違いがない。もしかして彼女なら、本当にこの場で犯人を指摘できるのではないか。そんな期待感も高まっていた。
ただ一人、私だけは嫌な予感を押し殺せずにいたが。
皆から期待や挑戦的な視線が飛ぶ中、ヒエンは意気揚々と語りだした。
「ぶっちゃけ、犯人の特定は超簡単! 毒田ッち名義で性転換装置を使った奴が犯人で間違いないっしょ! ということで、ずばり! 最初にこの事件の犯人の名前を指摘するぜ!」
テンションが上がり過ぎてか、少し口調まで変わっている。
いや今はそんなことはどうでもいい。
もう、犯人が誰かを告げてしまうのか。
「あたしの天才的な頭脳と観察眼により見つけ出したこの事件の犯人!
それは、
葵っち――もとい、水仙葵だあ!」
ヒエンによって名指しされた人物、もとい私に、全員の視線が集中する。
どこか覚悟していた私は、深く息を吐いてから、「どうして?」と下手な作り笑いを浮かべた。
* * *
「理由とか、聞く必要ある? こうして指摘された時点で、もう諦めたほうがいいって理解してると思うんだぜ!」
ヒエンは自信満々に私を見つめ、宣言する。
彼女の言葉に対し、こちらとしては何も言えず、ただ沈黙を貫く。
ヒエンがなぜ私を犯人だと指摘したのか、今の発言から何となく察してしまった。そしてそれは、事実私にとっての大きな弱点。こうなることは薄々予見していたが、事件が発覚してからの展開が早すぎたこともあり、まだましな言い訳を思いついていなかった。
――このままじゃ、二人を殺した殺人犯に仕立て上げられる。
心臓が止まりそうなほどビビり散らかし、脳に酸素は全く送られてこない。たぶん見た目だけは平静を保てていると思うが、それが精いっぱいであり、反論を考える余裕など全くない。
――ああやっぱり、一時間制限なんて受け入れなければよかった。
犯人と指摘されたにもかかわらず沈黙を貫く私に驚きを隠せないのか。信じられないと言った表情で、小田巻さんが口を開いた。
「ほ、本当に水仙さんが犯人なのかい? ぼ、僕は理由を聞かないとまだどうして彼が犯人なのか分からないんだけど……」
「だから言ったっしょ! 犯人は深夜に毒田ッち名義で性転換室を利用した人間だって! それが理由っしょ!」
「いや、それは分かったけど、だからどうして彼が――あ」
あることを思い出し、小田巻さんはぽかんとした表情で私を見つめる。
今のやり取りで、彼にも、いや、他の全員にも、ヒエンがどうして私を犯人だと指摘したのか伝わったことだろう。そしてそれは、悲しいことに、間違いのない事実だった。
ヒエンは私の頭からつま先までをじっくり眺めまわした後、大きく頷いた。
「他の皆の目はごまかせても、名探偵であるヒエンちゃんの目はごまかせない! 肩幅や筋肉の付き方、そして雰囲気! 葵っちの今の性別は女性! 性転換をしても姿が変わらないことを利用して、彼女は密かに性転換を行っていたのである!」
「……」
私は拳を握りしめ、必死に叫びだしたい気持ちを我慢する。
そう。私はヒエンの言う通り、毒田さん名義で性転換室を利用し、性別を男性から女性に戻していた。
その理由は、残念ながら皆に話せない。ゆえに今私は、ただただ沈黙を貫く以外の選択肢がなかった。
私が否定の言葉を発さないことから、全員が、私が性転換室を利用していた人物だったのだと理解していく。それと同時に、この事件の犯人だったのかという思いが強まり、じわじわと距離を取り始めた。
すると意外な人物が、「ちょっといい」と疑問を口にした。
「さっきからずっと、性転換した人物=犯人って言ってるけど、その理由って何? 人殺すのに、性転換する必要なくない」
ここまでの話をちゃんと聞いていたのかと思うほど、全く反応なくテーブルと融合していた宗助。彼女はここにきて、少し顔を上げ、眠そうな目でヒエンを見上げた。
「うん、いい質問っしょ! 勿論そこにはちゃんとした理由があるのである!」
この宗助の質問でもしかしたら、私が犯人という空気がなくなるんじゃないか。そう期待する間もなく、ヒエンは完璧ともいえる解答を話し出した。
「葵っちがなぜ性転換装置を利用したのか。それはズバリ! 馬酔っちを殺す際に負った傷跡を消すためだったのだ!」
「傷跡を消す……なるほど」
盲点だったという表情で、梓さんは小さく頷く。
性転換装置は知っての通り骨格から体型まで大きく変化させるという、超常的な力を人体に及ぼす。その体の変化に伴い、元々体についていた傷跡がなくなったり薄くなったりすることがあるというのは、噂としてネットに広まっている内容ではあった。
さすがに全身に大やけどを負っている場合などは厳しいが、小さな切り傷やあざ程度であれば見かけ上なくなるというのは、否定しようのない説だった。
「へー。でも、彼女にそれって当てはまるの?」
男女でまるで見た目の変わらない私の体を見ながら、宗助が言う。
ヒエンは事も無げに、「当てはまるかどうかってより、その可能性にかけて葵っちがやったってことっしょ」と断言した。
それから彼女はパンっと両手を叩き、「いったん推理をまとめるっしょ!」と高らかに宣言した。
「まず毒田ッち殺害に関してはぶっちゃけ誰でも可能だし、これに関しては梓っちが推理してた通りTP機構のメンバーで自殺の可能性も十分あるっしょ。一柳は自殺だとしたら二日間何もしなかったのはなぜかみたいなこと言ってたけど、いくらTP機構のメンバーだって死ぬとなったら多少は怖気づくだろうし、二日間は部屋に引きこもって震えてたって言うのも十分考えられるっしょ」
自殺を試みようとした毒田の気持ちを想起してか、僅かにヒエンの顔が暗くなる。しかしそれも一瞬のこと。すぐに明るい表情に戻り、まとめを再開した。
「で、毒田ッちを殺した、もしくは毒田ッちの自殺とその目的を察した葵っちは、自分もTP機構のメンバーとしてしっかり活動しなければと思い、馬酔っちの殺害を決意した。なんで馬酔っちを狙ったかと言えば、彼女が最も性転換によって別人へと変貌していたから。あたしは馬酔っちの元の姿を見たことないけど、聞いた話では線の細い女性だったらしいし。TP機構として、許しておけなかったんだと思うっしょ」
「殺害方法は? 死体を見た限り、馬酔って人はかなりガタイの良い男性に見えたけど」
またも不思議なことに、宗助が私をかばうかのような発言をする。
まあ彼女の私を見る目からすると、「こんな細腕で殺すの無理じゃない」という純粋な疑問の色が感じ取れる。私をかばっているわけでなく、気まぐれで尋ねているのだろう。
「葵っちは馬酔っちと仲良かったらしいし、普通に不意を突いて殺したんでしょ。いくら筋骨隆々の男になったって、まだ慣れてない体な上に痛みにだって強くなかっただろうし。ただそこでちょっとした反撃を食らって傷を負ったから、急遽性転換装置を使用して傷跡を消そうと試みた――ってのが事件の全貌っしょ!」
「……最後かなり適当な気がするけど、それじゃあ予約表に一つじゃなくて五つも予約を入れた理由は?」
「それは勿論ダミーっしょ。いくつも予約を入れておくことで、単純に性転換装置が使われたわけじゃないと錯覚させようとしたわけ! というか、こういう理由でもなかったら、今のタイミングで性転換装置を使う理由なんてないっしょ。梓っちや一柳みたいに、自衛のために力の強い男に性転換することはあっても、女に戻す必要なんて一切ないんだし。まして自分がやったことを隠してなんて」
「……ふーん」
これには宗助も納得したのか、気の抜けた声を発しただけで、それ以上の質問をしようとはしなかった――いや、しなかったとか冷静に分析している場面じゃない!
私はいよいよ胸が痛くなってくるのを感じ、平静を保っていることさえ難しくなっていた。
息が苦しい。
呼吸ができない。
心臓も破裂しそうなほど高鳴っている。
こんな緊張の中にいるくらいなら、もう白状してしまった方がいいか。そんな思いさえ芽生えてきて――
「じゃあ、次は俺の推理を話させてもらってもいいか」
その思いは、一柳の唐突な一言により、ギリギリ発露されることなく胸の内にとどまった。




