八人目
彼が去ってからも何となくすぐに立ち去る気は起きず、ぼんやりと死体のあった場所を見つめた。
アンが地下に収容したから当たり前だが、毒田さんの死体はない。それだけでなく、床を真っ赤に汚していた血もすっかり拭き取られ、もはや事件の痕跡を探すことさえ困難だった。
「これもアンが掃除したのかな? でもアンに限ってそんなことするようには思えないんだけど。やっぱりお掃除ロボット的なのがいるとか?」
いるとしたらいまだに姿を見せていないのは、人の目に映らないよう隠れて掃除するプログラムでも組まれているのか。というかあれだけの血を完全に拭き取るのは、掃除ロボット程度で何とかなるものだろうか? まあ侵入者の排除を行うこともあるらしいし、血や死体の処理はお手の物なのかもしれない。
「でも勝手に死体を掃除されるのって調べる側からしたらめっちゃ困るよね……」
今もどこかで事件の捜査をしているかもしれないヒエンと一柳に心の中で合掌する。まあ毒田さんの死体に関しては、ヒエンが頼むまで勝手に処理されることはなかった。死体発見即処分ということはないのだろう。血に関してもヒエンが頼んだのかもしれない。
警察が聞いたら激怒しそうな、あまりに杜撰な現場保存(というか保存してない)。実質治外法権的な扱いになるのだろうが、それにしてもやばすぎる。
改めて、今自分はとんでもないところにいるんじゃないかと、そんなことを思う。でも、それだって悪いことばかりじゃない。
私は小さく息を吐くと、静かに訓練室を出た。そしてもともと目指していた食堂へと、今度こそ歩みを進めた。
道中、仕方のないことだが、アンの前を通り過ぎる。また何か絡まれるかと考えていたが、意外にもアンは無反応で、特に声をかけてくることはなかった。
これ幸いにと、私も声をかけず食堂へ。
扉を開け中に入ると、またしても人の姿が――
「……ん?」
体全体をテーブルにベターっとくっつけた、ナマケモノを連想とさせる姿で席に着く女性。年齢は二十代前半だろうか。カールされた長い茶髪に、小・中学生女子が好きそうなフリフリの白いドレスの服を着こんだメルヘンチックな格好をしている。その格好に見合うというべきか、おっとり――通り越して生気が抜けているようにさえ見える――とした雰囲気を身に纏っており、ここであって来た誰とも似ていなかった。
「てか、この館にいる人の女性の姿全部見てるはずだし……。つまり――」
八人目。
口に出さず、心の中で呟く。
なぜ、今ここにいるのか。というか死んでいなかったのか。今までどうしていたのか。毒田さんを殺した犯人じゃないのか。
逃げてヒエンを呼んでくるべきか。それとも、これが夢でないことを確かめるためにも声をかけおくか。
悩むこと数秒。私は一歩、前に足を踏み出すと、彼女の前を横切りそのままシェフロボットのもとに移動した。
サーロインステーキを二百グラムに白米大盛り、コンソメスープと言った、個人的には男飯と呼ぶべき品々を注文。どれも調理に時間のかかるものではないこともあり、十分と経たずに料理が完成。
私はそれらを持って、八人目がいる席に移動。
ステーキは既に食べやすく切られていたため、一切れ口に放り込んでから――めちゃくちゃうまい――八人目に声をかけた。
「初めまして。お名前なんて言うんですか」
八人目はちらりと目だけ動かし私を捕捉すると、「……おはようございます」と返してきた。
「今、夜の九時過ぎですよ。こんばんわが正しいかと」
「ううん。私が起きた時が私にとっては朝だから。今が朝。だからおはようございますで間違ってない……」
「はあ。それで、お名前教えてくれませんか?」
「……雪割宗助。雪割草の雪割に、宗教の宗に、助けるで宗助」
「へー、宗助さんですか。私は水仙葵です。それで、宗助さんは今まで何してたんですか?」
我ながらなかなか大胆だと思うが、ずけずけと踏み込んでいく。
正直、彼女(名前からすると元は男みたいだが)が殺人犯には見えない。というか殺人犯だったとしても、その体躯であれば、今の私でも十分対処可能な気がした。
今更ではあるが、男になったことで少し強気になっているのかもしれない。
それはそうと、彼女が今まで何をしていたのかは本当に気になっていること。私はじっと彼女の返答に耳を傾けた。
「別に……お昼寝と暇つぶし?」
「どうしてそんな疑問形な反応を……?」
「あんまり記憶にないから」
「……」
めちゃくちゃ怪しい。だけど怪しすぎて、逆に殺人犯っぽくはない。というか、彼女はここで殺人事件が起きたことを知っているのだろうか?
聞きたいことがあり過ぎて、次にどれを尋ねようか頭を悩ます。
すると、質問攻めにされる気配を察したのか、宗助は気だるげに口を開いた。
「えーとぉ、面倒なのであんまり質問答えたくないから、たぶん気になってるだろうことを言うけど。まず、この館で殺人事件が起きたのは知ってる。何度も扉を叩いて、うるさく事件について叫んでた人いたから……。それで、これまで部屋にこもってたのは、純粋に誰にも会いたくなかったから……。なんで今部屋を出てるかって言うと、部屋にいてもずっと声かけられてうるさくて……隙を見て逃げ出してきたから。全く、ただでさえ気が滅入ってるのに勘弁してほしい……」
これでもういいでしょ? とでも言いたげにずずずとより深くテーブルにもたれかかる。
最低限聞きたかったことは聞けたので、文句はない。勿論気になっていることは他にもたくさんあるけれど、この雰囲気だと答えてくれなさそうだし。
「でも、人が殺されたって割にはあんまり危機感なさそうですね。怖くないんですか?」
「……別に、殺される理由ないから」
「あれ、TP機構のメンバーが関わってるって話は聞かされませんでした? この館にいるだけで、狙われるには十分だと思いますけど」
「まあ、アンがいるから……。それに、落ち着いてるのはあなたも同じ」
テーブルに顔を付けたまま頭を動かし、正面から私を見つめてくる。
「私は、ちょっと図太いから」
「へえ。まあ、そう見える」
「……」
突っ込み待ちで言ったはずの発言をあっさり受け入れられ、言葉に詰まる。
私ってそんな図太いように見えるだろうか? 今まで人から言われたことはない……こともないけど、付き合いが長い人から稀に言われる程度。初対面の人にそんなことを言われたのは初めてだ。
まあ、一番怪しいと言っても過言ではない八人目に、何の警戒も見せず話しかけているのだから図太くも見られてしまうのも仕方ないかもだが。
私はいったん会話を止め、食事に戻った。
しばらくの間ステーキを食べる音だけが食堂に響く。
宗助は特に部屋に戻るそぶりは見せず、変わらずテーブルに突っ伏したまま。まだ部屋に戻るのを警戒しているのか。
いくらヒエンでも、深夜通して呼びかけ続けることはない――こともない気がするが、いつまでもここにいるわけにもいかないだろうに。それに、私としても少し困ることになるし。
約二十分かけ料理を食べ終え、食器をシェフロボットの前に戻しに行く。それから食後の紅茶をもらい、再び席に着く。
もしや寝ているのだろうかという程ピクリともしない宗助さん。されど私は空気を読まず、「そういえば」と口火を切った。
「私てっきり最後の一人はおじさんだと思ってたんですよね。というのも、以前腰の曲がった老人を見てまして。だから宗助さんが若い女性でびっくりしました。もしかして性転換前はおじさんだったりします?」
「……性転換装置は、性別は変わっても年齢は変わらないけど」
「でも見た目が若返ったり老けたりって言うのはあるじゃないですか。細身の女性が筋肉ムキムキのゴリマッチョになれるんだし、腰の曲がった老人が見た目上若い女性になることだってあるんじゃないですか?」
「……ゼロとは言えないけど、少なくとも私はそうじゃない」
フリフリとした服の中に手を突っ込み、ごそごそと何かを探し始める。女性服にしては珍しく大きめのポケットが付いていたようで、ほどなくピンクの革財布を取り出した。
「はい、これ」
「あ、どうも」
車の免許証を渡されたので、早速顔写真を見てみる。写っているのは、どことなく今の彼女を彷彿とさせる、たれ目の気が抜けたような男性。勝手なイメージとして言えば、趣味もバイトもしていない工学部男子みたいな感じ。いやほんと、勝手なイメージだけど。
免許証を彼女に帰しつつ、「じゃあ私が見たのって結局誰だったんですかね」と問いかけてみた。
「……知らない。見間違いか何かじゃないの?」
「腰の曲がった老人を、何と見間違えたんだと思います?」
「……誰かが屈みながら物を探してる姿とかじゃない」
「この館にいる人の顔は全員覚えてますけど、誰とも似てませんでしたよ」
「……何が言いたいの?」
「純粋に疑問に思ったので聞いただけです。それと、もしかしたら私たちが――アンすら認識していない第三者が紛れてる可能性もあるから、気を付けたほうがいいかもしれないなって」
「なら……ううん。わかった。有難う」
そう言うと、のっそりとした動作で彼女は立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りで廊下へと歩き出した。
部屋から出る直前、「あなたも、早く戻ったほうがいいんじゃない。男だからって、安全とは限らないし。それじゃあ、また」と告げ、部屋を後にした。
「……よく、男だって気付いたな。結局仕草も口調も女のままなのに」
梓さんにもヒエンにも女だと思われていたし、男か女かで言ったら、やっぱり女として見えやすいだろうに。
「これも、私が逃げずに話しかけたのが原因かな」
私が男で、力勝負になれば負けないと考えたために対話を申し込んできた。そう推理したのかもしれない。
だとしたらあまり侮れない相手。ぼんやりしているように見えて、その実、脳はフル回転状態だったか。
何気にこの館には賢い人物が集まっている。それが頼もしいのか危険なのか、分かりかねて、私は宙を見上げた。
ガチャ
急に扉が開く音がした。慌ててそちらに視線を向けると、アンがモップ片手に部屋に入ってきた。
アンはモップを使い部屋の床を手際よく掃除していく。
前に堂々と、『掃除なんかやるわけない』なんて言っていたはずなのに。アンドロイド相手にこの言葉を使うのは正しくない気がするけれど、こいつは根っからの嘘つきだ。
話しかけてまた皮肉を言われるのも面倒だが、これを無視するのは流石に他人行儀過ぎる気も。
ということで、カップを戻すついでにアンに話しかけてみた。
「お掃除ご苦労様。掃除なんて面倒でやるわけないなんて言ってたけど、どういう心境の変化なわけ?」
『そんなこと言ったでしょうか。私はただ、自分の職務を全うしているだけですが』
アンは掃除する手を止め、無表情にこちらを見つめる。
私はそんなアンの姿にちょっとだけを違和感を覚えつつ、「いやいや、アンの仕事は侵入者の排除なんでしょ。掃除してる間に侵入者が来たらどうするのさ」と言い返す。
『侵入者は確認次第排除いたします。侵入者が確認されない間、私の職務は館内の清掃です』
「……なんか、悪いものでも食べた? ちょっと雰囲気が違うというか、なんかおかしな感じがするんだけど」
『気のせいだと思われます。それから、私はアンドロイドですので食事はとりません。それでは、掃除の続きをいたしますので失礼いたします』
アンは一礼すると、そのまま掃除を再開した。
私はそんなアンを見て、ひとり首を捻った。完全にお仕事モードというか、普段の屁理屈っぽさ――もとい人間味に溢れたアンとは何かが違うように感じる。まあ私以外の前では元々こっちの姿で接していたのだろうが、なぜ急に私の前でもお仕事モードで接するようになったのか。それに突然掃除をしている姿を見せてきたのもおかしな話だ。
「まあでも、大した問題でもないか」
いくら人間味があるとはいえ、アンがアンドロイドであることに違いはなく、その点で私たちとは違い色々な制限で縛られているのも間違いない。時にはこうした不自然さを生むのもアンドロイドだからだろうと、自分を納得させた。
「さて、いったん部屋に戻りますか」
ちらりとアンに視線を向けるが、粛々と掃除をするだけで特に何か問いかけてくる様子もない。
若干の物足りなさを感じつつも、私は食堂を出て、自室へと帰っていった。




