ヒエン、ごめん
「ヒエンって性転換したのは昨日だったはずですよね。でもこれだと、初日に一回性転換室を使ってません?」
この予約表が正しいなら、ヒエンは今の女性の姿が元の姿だったということになる。しかしそうだとすると、どうして男だと嘘をついていたのか分からない。それにさっき訓練室で話した感じ、女になったのは本当についさっきなったばかりという印象だった。
私が首を傾げていると、「予約したけど使わなかったのではないでしょうか」と梓さんが言った。
「ヒエンさんは自分が性転換を望むかどうかを試すためにこの館に来たそうですし、性転換直前の状況まで自分を追い込んでみたのではないでしょうか。そしてそのうえで、男がいいと感じ結局利用しなかった」
「まあヒエンなら十分ありそうですね。一応後で本人に聞いておきますか」
他にはこれと言って気になるところは見当たらない。強いて言うなら、いまだ姿を見せていない八人目が最初に性転換室を使用していたことか。これまで誰もその姿を見ていないということは性転換後はずっと部屋に引きこもっているのか、それとも毒田さんのように殺されているのか……。
二体目の首なし死体など絶対に見たくないと、首を振って嫌な想像を振り払う。
一方梓さんは私とは別のところが気になっていたようだ。
「予約表が細工されている可能性も考えていましたが、これを見る限り私たちが持っている情報と齟齬はない。特に細工はなく、この通りに皆さん性転換室を使ったと考えて問題なさそうですね」
「そうなりますね」
「つまり毒田さんは性転換装置を使用していなかったことになる。そうであるなら、毒田さんがTP機構のメンバーであり、誰かを説得、または殺そうとして返り討ちにあった。その考えが正解で間違いないようですね」
「えーと、そうなるの、かな?」
少しばかり頭がこんがらがってきたため、脳内で整理を試みる。
まず、毒田さんの死体の下にTP機構のマークがあったことから、毒田さんか彼を殺した犯人がTP機構のメンバーである可能性が浮上した。
続いて、梓さんの調査から毒田さんが性転換反対派であったことが判明。にもかかわらず彼が性別転館に来ていたことから、彼が実は性転換肯定派だった、もしくは性転換の妨害をしにやってきたと考えられた。
そして今、予約表から毒田さんのみが性転換をしていないことが発覚。毒田さんの性転換反対派という思想が嘘であればここで性転換をしていないはずがなく、結果彼がTP機構側のメンバーであることがほぼ確定した。
そんな彼が殺されたとなれば、当然誰かの性転換を妨害しようとしたと思われ、つまり返り討ちにあったという結論に達する、という感じだろうか。
そこまで自信はないが、たぶんこの論理展開に大きな間違いはないはず。この考えが正しいのなら今後殺人は起こらないし、私たちにとっては凄く有難いのだけど……。
「でも、ちょっと違和感があるんだよな……」
「ええ、私もです」
私の呟きに、梓さんがすかさず反応する。
彼女はサラサラの黒髪を指に絡めながら、疑問点を上げ始めた。
「なぜ、毒田さんは性別転館に来たのか。性転換を止めることが目的であれば、もっと姿を現し私たちに説得を試みていたはず。仮に誰か一人のみを対象としていた場合、どうやって同じタイミングで性別転館へ来ることができたのか」
私も彼女に便乗し、疑問点を上げていく。
「仮に邪魔をしに来ていたとして、どうして殺されたのが今朝なのか。昨日、一昨日は何をしていたのか。なぜ自室も整頓されたままで使用した形跡がなかったのか」
「そして何より、なぜ毒田さんを殺した犯人は彼の首を切り離し、どこかに隠したのか」
「うーん、さっぱり分かりませんね」
「そうですね」
結論、よく分からないという残念な着地点に降り立った私たち。
お互い肩の力を抜き、小さく息を吐いた。
「やはり、探偵の真似事は難しいですね。一見正しいような推理を組み立てても、どこか納得できない点を抱えてしまいます」
「でも方向性は間違っていないというか、そうでないと毒田さんの行動や殺された理由が結局謎なんですよね」
TP機構のマークが置かれていたのは偶然というか、殺人と全く関係がない。そう考えようにも、ならなぜ性転換反対派の毒田さんがこの館に来たのかという問題が生じる。しかしTP機構の活動としてきたなら、彼の殺されるまでの行動と首を切られたことに説明がつかない。
それに首を切られた件も、館の秘密を知った今ではさらなる疑問が浮かぶ。
というのも私は毒田さんの首は地下の死体集積所にあるんじゃないかと考えていたが、よく考えれば首だけじゃなく体ごと入れてしまった方が良かったはずだ。死体を運ぶのが大変で無理だったという考えも、首を切る手間と比較するとあまり変わらない気がする。
ここら辺に犯人に繋がるヒントが隠れてる気がするけど……私の頭じゃ分からない。
しかし何はともあれ、かなり情報は得られた気がする。ここから先は、探偵役に任せてしまおう。
私は梓さんに向き直ると、軽く頭を下げた。
「それじゃあ、ご協力ありがとうございました。そろそろ私は残りの部屋も見つつ、ヒエンの手伝いに戻りますね」
「はい。頑張ってください。私の方も、また何か発見したらお伝えしに行きますね」
まだ何か気になることがあるのか、性転換室の前から動かない梓さん。私は彼女に背を向け、先ほどはスルーした化粧室と装飾室を覗いていく。当然というべきか中には誰もおらず、そのまま二階へ。こちらも先は素通りした談話室の扉を開け――
「あ、いた」
今度は中に人がいた。しかし相手は私が探している八人目ではなく、一柳だったけど。
ついさっき首無し死体を見たとは思えないほど悠然とした様子で、いつも通り本を読んでいた。テーブルには紅茶の入ったカップと、イチゴのショートケーキが並べられている。
この状況でこいつはまた……ヒエンのことを狂っていると評していたが、一柳も大概だろう。
まあ斯く言う私もあまり警戒心なく館を動いてはいる。というのも、殺される心当たりがないというのと、殺されたのが全く知らない人だったからだろう。
他に誰かいないかと、談話室を抜け、遊戯室を覗いてみる。しかしこちらは人の姿がなく、八人目は二、三階にいないことが確認できた。
まあこの二日間、おそらくずっと部屋に引きこもっていた人物だ。突然出てくる方がおかしな話なのかもしれない。
私は満足して部屋を出ようとする。が、その直前、
「進捗はどうなの」
意外にも一柳が声をかけてきた。
てっきりヒエンの探偵ごっこに興味なんてないと思っていたが、そんなことはなかったようだ。できるだけ愛想よく、私は彼女の問いかけに応じた。
「成果ゼロってわけじゃないですけど、犯人特定にはまだまだ至ってない状況ですね」
「そう。その成果って言うのは何」
「毒田さんの死体に外傷がなかったこととか、館の地下にある死体集積所とか、性転換室の予約表から誰がいつ性転換したのかとか」
「待ちなさい。死体集積所って何の話」
「言葉通りです。いつもアンが立っている場所の床がスライドするようになってて――」
さっき梓さんに話したのと同じ内容をもう一度語っていく。TP機構の話は抜きで。
自分で質問した割に、ヒエンによる死体集積所発見の経緯を聞いても一柳の反応は鈍かった。まるである程度その展開を想定したかのように。
一通り話しを終え、一柳の反応待ちに。
本を置き、紅茶を一口飲んだ彼女は、切れ長の目をさらに細め、じっと私の顔を見つめてきた。
「あなた、何か隠してることがあるんじゃないの」
「か、隠してることですか?」
思いがけない問いかけに、胸がドキリと音を立てた。
「ええ。あなたの話だと、性転換室の予約表を見に行った話が唐突過ぎるわ。純粋に八人目を探しているだけなら、そこに着目する必要はなかったはず。他に何か知っている情報があるんじゃないの」
「ええと、まあ、それは……」
「勿体ぶらず、さっさと話しなさい」
金髪ツインテの美少女に詰問される状況とは、まるでゲームの様な体験――ではなく、これは困ったことになった。TP機構の話を隠すために、毒田さんの経歴とかもぼかして話したら、予約表確認の経緯が無理やりになってしまったようだ。
少し悩んだ末、まあ一柳だったらTP機構の存在を知ってもそこまで動揺しないだろうと思い、結局話すことにした。ヒエン、ごめん。
「えとですね、毒田さんの死体の下には――」




