地下の死体集積所
「取り敢えず、まだこのことは皆に内緒の方向で。どんな反応になるか分からないからね~」
トランスフォビック機構――通称TP機構のマークが書かれた紙をピラピラと指で揺らしながらヒエンが言う。
「それでいいの? これかなり重要な情報だと思うんだけど」
死体の裏にTP機構のマークがあったのが偶然とは思えない。殺す側、もしくは殺される側がTP機構のメンバーであり、それを原因とした動機だと推測できる。
ヒエンはゆらゆら首を揺らすと、「えー、今は言うべきタイミングじゃないっしょ」と繰り返した。
「まだ犯人側の意図がよく分かんないし。死体の下に置いてあったっていうのが厄介だよねー。見つけて欲しかったのか、それとも隠したかったのか分かんないじゃん?」
「隠したいってことはないんじゃないの? 見せたくないなら普通に持って帰ればよかったんだし」
「まあそれはそうなんだけどさ~。でもアピールしたいんだったら死体の下に置いておくのも意味わかんなくない?」
「まあそれはそうだけど……。なら犯人からしたらそこまで興味がなかったとか?」
「よりによって性別転館で殺された人の近くにTP機構のマークがあるのに無関係って? それこそ普通にあり得ないっしょ」
「今のヒエンみたいに、そう思い込ませるのが狙いだったってのは?」
「ならなおさら皆には知らせない方がよくない?」
「う……それはそうかも」
「はい決定。これは私たち二人の秘密だかんね」
ごく自然に、あっさり論破されてしまった。もしここまでの流れを予想して話していたのなら、ヒエンは口だけでなくしっかり頭が良いのかもしれない。
一抹の悔しさを覚えつつも、ここは張り合う場面じゃないと大人な心を引き出し堪える。
ヒエンは他にも死体の背に何かないか調べだしたので、私はそんな彼女の姿を一歩引いたところから眺めることにした。
数分して死体見分に満足したのか、ヒエンが立ち上がった。
「どうだった? 何か犯人に繋がりそうな手掛かりはあった?」
「手掛かりってか部屋の鍵は見つけたけど。うーん、他は収穫ゼロかなあ。死亡推定時刻はちょい長めに見積もっても昨日の23時から今日の7時くらいで、この死体は傷一つないめっちゃ綺麗なままってことぐらい?」
「……自信満々な割に、もしかして大したことない?」
「死体見ただけで犯人分かるなら警察はいらないっしょ」
「……ごもっとも」
またも論破されてしまい、私はわざとらしく目をそらす。まあ今回は完全に私の失言だ。いくら思うところがあるとはいえ、曲がりなりにも事件を解決しようとしている相手にかける言葉じゃなかった。
「それで、次はどうするの?」
「鍵も出てきたし、この人の泊まってた部屋を見ようかな。それでいくつか明らかになるだろうし」
「了解」
真剣に推理を始めたからか、ヒエンの口調が徐々にまともになっている。
自身の外見からキャラ付けを設定している当たり、元の中二病男の口調も地ではないようだ。普通に知能は低くなさそうだし、変にキャラ付けしない方がかっこよくてモテただろうに。残念な人である。
勝手に憐憫の視線をヒエンの背に送りつつ、彼女に従って訓練室を後にする。
当たり前だが私たち以外のメンバーはとっくに訓練室を出ており、部屋からは誰もいなくなる。電気を消そうとスイッチに手をかけたところで、はて死体はこのままでいいのかと気になった。
「あのさ、毒田さんの死体、ここに置いておくより部屋に移したりした方が良くない? もう現場は荒らしちゃったわけだし」
「うーん、そこも含めて先に質問タイムといこっか」
「どういうこと?」
私の疑問には答えず、ヒエンはスタスタと歩き出してしまう。仕方ないので私もその後をついていく。
彼女が向かった先はアンのもと。
先の一件もあり、私は少々近寄りがたい気持ちを抱いていたが、ヒエンは全く気にしていないらしい。恐れを含まないいつも口調で、気安く声をかけていた。
「アンちゃーん。これからあたしら毒田っちの部屋を見にいくんだけど、何号室か教えてもらってもいい? てか死体のポケットに入ってた鍵は一号室って書いてあるから、一号室ってことでいいんだよね。あ、そもそも勝手に他の客の部屋に入るのってまずかったりする?」
『はい、毒田様のお部屋は一号室です。勝手に他のお客様の部屋に入る行為に関しましては、本来ならお止めいたしますが、まあ今回の場合亡くなっているので構わないでしょう』
「いやいやよくないでしょ……」
とまあ本心では突っ込みたいところであるが、妨害されて困るのは私たちだ。ここは素直に受け入れることにする。
ということで早速一号室に――と思いきや、ヒエンの質問はまだ終わっていなかった。
「そうそう、ついでに何だけど、毒田っちの死体の処分とかお願いできない? あのまま訓練室にあると邪魔だしさ」
『承知いたしました』
「へ? 承知いたしましたってどういう……」
死体の処分という言い方に気を取られたのも束の間、アンがあっさりと承諾してしまったことで思考が完全に置いて行かれる。
その間にアンは動き出し、訓練室へ向かう。ほどなくして毒田さんの首なし死体を抱えてきたアンは、定位置に戻ると、床をスライドさせ、その中に死体を放り込んでしまった。
呆気にとられる私に対し、床を元に戻したアンが『どうしましたか、そのような間抜け面を晒して』などと容赦ない罵声を浴びせかける。
しかし今の私に突っ込む余力などなく、ただただ、玄関ホールの床がスライドすること、地下空間が存在するという事実を処理するのに手いっぱいだった。
「……ヒエンは、このことを知ってたから『処理』って言葉を使ったの」
混乱する頭の中で、何とか絞り出した質問。彼女はニッコリ笑顔で頷いた。
「そりゃ勿論。だってアンちゃんは性別転館を守る防衛アンドロイドみたいだし。当然襲撃者を排除した後の収納スペースくらい、館の近くにあるんだろって思うじゃん。まあ地下って言うのはあんまし想定してなかったけど」
「本当に……」
ヒエンはただ気の狂ったやつではない。いや、気は狂っているのだろうが、どんな状況下でも論理的に思考できる冷静さも兼ね備えている。
もしかしたら、本当に彼女なら事件を解決できるかもしれない。今更ながら、私はそう思ってしまった。
「んじゃまあ聞きたいことは聞けたし、今度こそ毒田っちの部屋に向かおっか。死体の姿は男だったし男性棟の1号室から見て行こ―!」
腕を振り上げ意気揚々と歩みを再開する。かと思いきやすぐに立ち止まり、くるりとアンの方を振り向いた。
「因みにアンちゃんは毒田っちが性転換したかどうかは知ってるの?」
『興味ないので知りません』




