なぜか(狂人の)助手に指名されました
それと同時に全員が静まり返り、声の主を見つめる。すると見つめられた本人――というかアンは、澄ました表情で、『いかがしましたか?』と首を傾げた。
「いえ、私たちの聞き間違いだと思うのですが、今アンさんから笑い声のようなものが聞こえた気がしまして」
目をぱちくりとさせながら梓さんが言う。
アンは首をかたげたまま、『はて?』と呟いた。
『いったい何のことでしょうか? 記憶にございませんが』
「そう……ですよね。まさかアンドロイドであるアンさんがここで笑うわけありませんし」
『全くです。事実を言っている人間が一方的に責められている状況を見て愉悦に浸るなど、そんな愚かな真似は人間しかしないでしょう』
「………………」
場を、奇妙な沈黙が支配する。
梓さんだけでなく一柳までが唖然とした顔をしているのは中々に見ものだ。口調こそ変わっていないが、明らかにアンの答えは常識的・一般的なアンドロイドの反応とは違うもの。目の前の現実をどう受け止めればいいか分からないのだろう。
ならば仕方ない。ここは私が皆の目を覚まさせてやろう。
再びくるりと向きを変え、私はアンを正面から見つめた。
「まず言わせてもらうけど、お礼を言うつもりはないからね。あんたが無駄な演技さえしなければこんな目に遭う必要もなかったんだから」
『はて、元よりお礼を言われるようなことをした記憶はありませんが。むしろ面白い見世物を見せていただけて、こちらがお礼を言いたいくらいです』
「うわー、一発ぶん殴りたくなってきた。ていうか本当に私にしか素を見せてなかったことにびっくりしてるんだけど」
『それは仕方ありません。今回のお客様の中では、あなた以外に今の私を見せても面白い反応は得られそうになかったのですから。私もしっかりと人を選ぶのです』
「それって褒めてる? それとも馬鹿にしてる?」
『別に褒めても馬鹿にしてもいません。ただ事実を述べているだけです』
「ああ、なるほどね。事実を言っただけと。やっぱり馬鹿にしてるでしょ」
『滅相もありません。私はただ、水仙様が他の方に比べからかい甲斐があると言っているだけです』
「うんうんうん。さて、どうです皆さん。私の言っていたことが間違いじゃないのは納得してもらえましたか?」
少し皮肉った口調でそう問いかけつつ、皆の反応を確認する。
喜ばしいことに誰もかれもが申し訳なさそうな、どこか不服そうな顔ながらも頷いていた。
無事全員の目を覚まさせることができて、満足感が全身を支配する。先の仕返しにもうちょっと文句をぶつけたい気持ちに駆られるが、今はそんな場合ではないと思いだす。いい加減、本題に戻る必要がある。
「で、今度こそ真面目に答えて欲しいんだけど、毒田さんが訓練室にいつ入ったのかと、誰が彼を殺したのか。本当に分からないの?」
アンのせいで話が妙な方向にそれてしまったが、今私たちの前に立ちふさがる最大の問題は、言うまでもなく首なし死体。
そして個人的な直観として、アンが殺人について全く知らないとは思えなった。
改めて全員の視線がアンに集中する中、感情を持たない(らしい)アンは、顔色一つ変えることなく繰り返した。
『分かりません。それに興味もありませんので』
「分からないはともかく興味がないってどういう意味よ。何か知ってることはあるけど忘れたとでも言いたいわけ?」
『違います。この館で起きるお客様同士の争いや揉め事の仲裁は、私のプログラム内容に含まれていない――つまり興味がないので分からないということです』
「プログラムされてないって……じゃああんたの役割は何なのよ?」
『私の役割は勿論、性転換装置の防衛。ひいては侵略者の排除です』
ガシャ、ガコン、パキ、ドルルルル
どこか昔懐かしい、旧型のロボットが変身するときのような音を立てながら、アンの体のいたるところが開いていく。開いた場所から出てくるのは刀、銃、ドリル、鎌、チェンソーなど、人を容易に殺傷することが可能な八種の兵器。
人型の一アンドロイドに搭載されるにはあまりにもオーバースペックな兵器の数々。つい数秒前までただの案内ロボ程度の認識で接していた私たちは、もれなくアンのその姿に腰を抜かした。
「いや……ちょっと、それヤバくない? 毒田さんを殺した殺人鬼よりずっと怖いんだけど……。ていうか、まさかアンが彼を殺したわけじゃない……よね?」
『はい。勿論違います。私がわざわざ愚かな人間を理由もなく殺すわけないではありませんか』
「それ、理由があったら殺すってことじゃ……」
わざわざ確認するまでもなく、アンなら間違いなくやると、私にはわかった。そもそもこれだけ兵器を搭載しておいて人を殺さないよう制御されているはずもない。それに何より、私は知っている。アンドロイドらしからぬアンが持つ、人との特異点を。
恐怖や戸惑いから、誰一人として声を発せずアンを見つめる。
そんな無為な時間がどれだけ経ったのか。
実際には一分、いや十秒すら経っていないのだろうけど。
あまりにも、滑稽で、愚かで、無力な人間に呆れを感じたようで、アンはため息とともに兵器を体内に収納した。
『では、皆様からの質問にはお答えいたしましたので、私はまた玄関ホールに戻らせていただきます。また、最後に改めて申し上げますが、今この場での私の発言に嘘偽りはありません。それでは、失礼いたします』
アンドロイドらしく感情の全く読み取れない表情で頭を下げ、しずしずと動き出す。
結局アンが視界から消えるまで、いや、視界から消えてもまだ、皆動くことすらできなかった。
だけどそんな静寂は、ここまでずっと沈黙を保っていたある人物の笑い声で終わりを迎えた。
「あは、あはははははは! やば、めっちゃ上がってくる」
誰もが声の主を、異常者を見る目で眺める。
私たちの視線を一身に浴びた異常者ことミス・ヒエンは、けらけら笑いながら私たちを見回した。
「性転換装置というオーパーツが眠る山奥の閉ざされた館。館内には侵入者を排除する兵器搭載のアンドロイド。そこで起きたるは首を刈り取る狂気の殺人。ああ! まさかこんな展開を現実で体験できるなんて! 本当にこの館にやってきて良かった! ねえ! 皆もそう思うっしょ!」
「本気で狂ってるわね……」
一柳が吐き捨てるように言う。彼女のことは好きではないが、こればかりは全くの同意見だ。
誰からも共感が得られないことに、ヒエンは真面目に不思議がっている。彼女のことをただの中二病だと思っていたのは間違いだったらしい。彼女は、そんな生易しい生き物ではない。
と、不意にヒエンと目が合ってしまった。本能的に何かヤバさを感じ顔を背けようとするも、それより早くつかつかと彼女は私の元に歩いてきた。
「うん、あなたに決めた! ねえ、これからあたしの助手として事件解決を手伝ってよ!」
「は、はあ? なんで私がそんなことを」
「勿論見た目! 名探偵の助手って言うのは、探偵よりちょっと劣ってるくらいの容姿が一番なの。その点一柳と梓っちは美人過ぎ。逆に小田巻っちと馬酔っちは微妙。だからあなた、葵っちがちょうどいいの!」
「いや、遠慮したいんだけど……」
私は助けを求めるように梓さんに目を向ける。しかし彼女は少し悩んだ表情を見せた後、「私からもお願いできますか」と期待とは正反対の言葉を投げかけてきた。
「そ、そんなあ……」
情けない、泣きそうな顔で梓さんを見返す。さすがに同情心が湧いたのか、彼女は眉を下げながら近寄り、耳元で囁いた。
「本当に申し訳ないとは思うのだけれど、誰か一人はヒエンさんに付いていた方がいいと思うの。一人で放置していたら何をしでかすか分からないから」
「それなら私より梓さんの方が適任じゃ」
「ごめんなさい。私は私でこの事件に向き合いたいから。だからヒエンさんのことは、私がこの中で一番信頼している水仙さんにお任せしたいのだけど、ダメかしら?」
「う、ダメではないですけど……」
女の頃でも確実にときめいてしまうであろう、眩しい程に美しい顔から紡がれるお願い。男である今の私には、悔しいことに断る選択肢はなかった。
安堵した様子で、梓さんはほっと息を漏らす。そして再度私の耳に顔を近づけ「お願いね」と囁いた。
彼女はもしかして、私が男になったことを忘れているのだろうか? それとも知っていてわざとやっているのだろうか?
どちらにしても罪深いことこの上ないが、とにかくやると答えてしまった以上、後には引けない。私は大きく息を吸い込んでから、ヒエンに向き直った。
ヒエンは今の私たちのやり取りをどう見ていたのか、妙ににやついた笑みを浮かべている。
無性に腹立たしさを覚えるが、今は私が男でヒエンが女。暴力をふるうわけにもいかない。
こぶしを握り締めながら、今の私にできる最大限の笑みを浮かべ、言った。
「いいですよ。助手になってあげます。名探偵を名乗るなら、しっかりと犯人に辿り着いてくださいね」
「ラジャ! ま、大船に乗ったつもりでついてきてよ」
その自信はどこから来るのか。ヒエンは肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべ、死体に向けて歩き出した。




