首切り死体
ドンドンドンドン
勢いよく拳で扉を叩く音が聞こえてくる。
想定していなかった目覚まし音に、私はベッドの上から転がり落ちた。
痛みから床をごろごろしている間も、扉を叩く音は止まらない。
朝からいったい何なんだと思いつつ、ずるずると這ったまま扉の前まで進む。そしてチェーンをかけたまま鍵を開け、少しばかり扉を開いた。
「あのー、どちら様ですか? たぶんまだ朝だと思うんですけど……」
「ああ良かった。水仙さんここにいらしたのですね。早速で申し訳ないのですが、少しついてきてくれませんか」
「いいですけど……あのどちら様で?」
扉の前にいたのは腰まであるサラサラの黒髪をなびかせた、深窓の令嬢とでも称するのがぴったりな美女だった。誰かに雰囲気が似ている気はするけど、こんな知り合いはいなかったと思うのだが……?
黒髪ロングの美女はしまったとばかりに口を開けるも、すぐ気を取り直し「私です。鬼灯梓です」と名前を名乗った。
「はあ、鬼灯梓さん……って、梓さん? どうしたんですかその姿!??」
「昨日の夜、性転換装置を使って一旦今の、元の姿に戻ったんです。それよりとにかく急いでついてきてください!」
「あ、はい! ……でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってもらってもいいですか? 少しは身だしなみを整えたいので」
「分かりました。私は残りの部屋にも声をかけてきますので、準備ができたら部屋の前で待っていてください」
「りょ、了解です」
一体何かは分からないが、梓さんが焦りを見せるほどの緊急事態が起きているらしい。私は急ぎ身だしなみを整え、一度トイレに行ってから部屋を出た。
ちょうど梓さんは8号室に声をかけ終えたようで、少し首を傾げながらこちらに向かってくる。
その表情も気になったが、まずは何が起こったのかを聞くところからだろう。私は彼女に駆け寄ると、「それで何があったんですか?」と尋ねた。
「口で説明するより見ていただいた方が早いと思います。付いてきてください。それから吐く覚悟もしておいてください」
「へ? 今なんて?」
吐く覚悟とか聞こえた気がするが、流石に聞き間違いだろうか? しかし聞き間違いだとしたら何と言っていたのか。
訳が分からないまま、梓さんの後ろをついていく。
行き先は訓練室だったらしく、一分と経たず目的地に到着。
扉の前で立ち止まった梓さんは一度深呼吸をしてから、「驚かないでください」と言ってきた。
「それはどういう……」
私の問いかけに答えることなく、梓さんは扉を開き訓練室の中に入る。私もその後ろから入り、部屋の中を見渡した。
中には既に四人ほどが集まっていた。
そのうち二人は見覚えのある、筋肉ムキムキの馬酔さんと、金髪ツインテールの一柳さん。しかし残り二人はどちらも初めて見る顔だった。
一人は四十代くらいのひょろ長いおじさん。もやしを連想させるスタイルで、少し垂れた目が温和さと同時にくたびれた感じを強く出している。またその顔は今すぐにでも倒れてしまいそうなほど真っ青に染まっていた。
もう一人は茶色の髪を一つに束ねてポニーテールにした、垢ぬけた感のあるギャルっぽい女の子。もやしさんとは異なりその頬はやや赤く染まっており、爛漫と目を輝かせている。表情から無邪気さが伝わってきて、高校生くらいに見えるが、確かこの館は未成年は申込できなかったはず。なので幼いタイプの大学生と言ったところだろう。
私はそう二人を観察した後、彼らが一様に見つめている場所へと目を移した。そして――
「……何、これ……」
呼吸が止まり、全身から力が抜けていく。
彼らの視線の先にあったのは、大量の血潮で真っ赤に染まった床と、仰向けに倒れる一体の首なし死体だった。
私は説明を求めるように梓さんに視線を移す。
彼女は硬い表情のまま、「今朝、馬酔さんがトレーニングをしに来た際に発見したそうです」と呟いた。
「発見って、いや、だから、どうしてここに死体なんて……ていうか、首なしの死体って、本当になにこれ……」
理解が追い付かず、私は呆然と首なしの死体を見つめる。
空調が聞いているから血の臭いはそこまでしない。しかし、死の臭いとでも言うべき、意識をくらくらとさせる何かを、全身が感じ取っていた。
「……そうですね。経緯を説明するためにも、いったん食堂に移動しましょうか」
梓さんの一声で、皆それぞれゾンビのような足取りで訓練室から出ていく。
食堂への移動途中、思い出したように梓さんは立ち止まると、普段と変わらぬ佇まいのアンに声をかけた。
「アンさん。すみませんがまた後で色々と質問させていただくことになると思うので、その時は宜しくお願いします」
『承知いたしました』
私と話す時とはまるで違う、使用人然とした恭しい態度でアンが応じる。
どうやら本当に私以外の人には礼儀正しく接していたようだ。怒りと呆れから機能不全に陥っていた私の脳が、少しだけ働き始める。
後で絶対に文句を言ってやろう。場違いにもそんな思いを胸に秘めつつ、食堂へ着き、各々席に座っていく。
六人全員が席についても、しばらくは誰一人口を開かない時間が続いた。
誰が、何を、どう切り出せばいいのか。各々測りかねているのだろう。
結局、場を取り仕切るために口火を切ったのは梓さんだった。
「わざわざ言葉に出すまでもないと思いますが、改めて告げたいと思います。この性別転館で、今朝、人が殺されました。それも首を切られた状態で」
「……」
息をのむ音がそこかしこで聞こえる。間違いなくそのうちの一つは、私だった。
「しかもただ首を切られているだけでなく、その頭部も現場から消失しており、所謂首なし死体。現時点では、頭部がどこにあるかは分かっていません」
「首なし……うっ」
もやしさんが口を抑えて俯く。
言葉にされることで、より鮮明に先ほど見た光景がよみがえる。私は何とか堪えることができるが、繊細な人には耐え難いものだろう。
沈鬱とした空気の中、梓さんの話は続く。
「第一発見者は、馬酔さんです。今朝がたトレーニングをしに訓練室に入ったところ、あの死体を発見したそうです。間違いありませんよね」
「は、はい。間違いありません……」
ショックからか、昨日習得しかけていた男らしい声音は鳴りを潜め、女性だったころのか細い喋り方で返答する。
「馬酔さんは発見後、パニックになりながらも食堂に助けを求めに来ました。その際、食堂にいたのが私と一柳さんでした。馬酔さんの言う通り訓練室に向かい死体を発見。パニックに陥っている馬酔さんのケアを一柳さんに任せ、私は生存者確認も兼ねて各部屋の扉を叩き、こうして皆さんに集合してもらいました」
「わ、わざわざ死体を見せなくても良かったんじゃ?」
震える声でそう抗議したのはもやしさん。確かに、説明もなしに死体を直接見せられるのは中々にトラウマ体験。梓さんにしてはやや配慮が行き届いていない行動だったように思う。
彼女は整った顔を崩すことなく、小さく頭を下げた。
「それに関しては申し訳ありません。ですが、皆さんの反応が気になり、あえてそうさせていただきました」
「反応って……」
「私はこの中に、彼を殺した殺人犯がいると考えています。ですので、皆さんの反応に不自然な点がないか、確認させてもらいました」
「な……!」
あっさりと告げられた彼女の言葉に、私を含め何人かが体を硬直させる。
まだ死体を見たばかりで、誰があの首なし死体を作り上げたのかなんてこと、考えもしていなかった。だけどこれはいずれ必ず考えなくてはいけないこと。そして少し頭を働かせれば、梓さんと同じ結論に辿り着く。
性別転館は閉ざされた山奥の館。入ることは疎か、五日間は出ることさえ許されない聖地だ。外部からの侵入者なんてありえない。ゆえに、おのずと犯人は私たちの中にいることになる。
お互いに周りの顔を窺った後、少しばかり距離を取る。
そんな私たちの動きをただじっと眺めていた梓さんが、「ですが」と口を開いた。
「皆さんの反応に特出した不自然さや演技臭さは感じられませんでした。まあ何名か、普通とはいい難い反応の方はいましたが」
「あ、それってもしかしてあたしのこと言ってる? ごめんごめん! まさかこんな美味しい場面見れるなんて思ったからテンション上がっちゃってさ。ぐふふふふ」
この場の雰囲気に全く合わない陽気な声で、ポニテギャルが反応する。
言ってることもヤバいが、そもそも彼女はいったい誰なのか。私が困惑顔で梓さんを見ると、彼女はすぐさま意図を察し「彼女は元ミスター・ヒエンさんです。今はミス・ヒエンですね」と、あの中二男の名前を口にした。
私は改めてポニテギャルことミス・ヒエンを見つめ、なるほどと納得する。顔は全くと言っていいほど似ていないが、どこか狂ったような、ずれている雰囲気には通じるものがある。
それに今更だが、この場にあの男がいないことから察しても良かったのかもしれない。となると、
「もしかしてそちらのもやし――じゃなくて背の高いおじさんは小田巻さん?」
「ああ、うん。この姿で話すのは初めてだね。これが元々の僕の姿。ね、ぱっとしないでしょう?」
「え、いや、別に悪くないと思いますけど……」
初手から答えずらい自虐を聞かされ、私は乾いた笑みを浮かべる。
今の状況では余計な自虐だったと気づいたのか、小田巻さんは申し訳なさそうに俯いてしまう。
そんな反応をされると尚更気まずい雰囲気になるのだが――幸いにもここには、雰囲気を無視できる人が複数いた。
「誰だか分かったなら十分でしょ。それで、死体見て興奮する馬鹿が一人いた以外では特におかしな点はなく、犯人の目星は付かなかったと。じゃあ、次はどうするわけ」
昨日と変わらぬ艶やかな金髪を揺らしながら、一柳が聞く。
馬鹿にされたヒエンが怒りの目を彼女に向けるが、それを制し、梓さんが口を開いた。
「当然、警察に連絡します」
「そ、そうですよね。事件が起きたら警察を呼べば!」
「と、言いたいところなのですが、警察は呼べないので私たちだけで対処するしかありません」
「「ど、どうして!??」」
馬酔さんと小田巻さんが声をハモらせて叫ぶ。
テーブルから身を乗り出さんばかりの二人に対し、梓さんはあくまでも冷静に答えていく。
「現在私たちは外部への通信機器を持ち合わせていないからです」
「で、でもそれなら、アンさんにお願いして――」
「皆さんを呼びに行く前に、アンさんには死体のことを伝え、警察を呼んでほしいとお願いしました。ですが残念ながら答えは『できない』というものでした。性別転館に滞在客がいるこの五日間は、何があっても外部との接触は許さないルールだと」
「そ、そんな……人が死んでるんですよ……。こんな状況でルールなんて……」
「ええ、私も全くの同感です。しかし相手は人間ではなくアンドロイド。プログラムされたことには逆らえない存在であり、それゆえに私たちは彼女を説得することもできません」
「な、なら力づくで!」
バンとテーブルを叩いて立ち上がった馬酔さん。性転換してからのこの二日間。多くの時間を訓練室でのトレーニングに費やし、自身の力に対する自信がかなりついたのだろう。
けれど、そんな筋肉ムキムキの彼の発言に対して、梓さんは静かに首を横に振った。
「それは止めておいた方がいいと思います。私たちが無理にでも脱出するとなれば扉を壊さなければいけませんし、場合によっては止めに入るアンさんにも傷をつけなければいけないでしょう。アンさんほどのアンドロイドを壊したとして、あなたに弁償することができますか?」
「それは……」
弁償というリアルな話になってくると、急に気持ちがしぼんでしまう。緊急事態ゆえの仕方のない措置だったと理解してもらえればいいが、実際どう転ぶかは分からない。
意気消沈する馬酔さんを尻目に、一柳が改めて同じ問いを投げかけた。
「警察は呼べないし、おそらく外に出ることもできない。で、次はどうするわけ」
「犯人を捕まえ、期限まで拘束します」
「一体どうやって」
「アンさんに協力をしてもらって」
「ふーん、まあ妥当なところね。ならさっさと行きましょう。ここでぐちぐち話し合っているのは時間の無駄だから」
そう言うと、いち早く席を立ち食堂を出て行こうとする。
それに遅れまいと、またウキウキ顔に戻っていたヒエンも続いて立ち上がる。
話に付いていけていない私や馬酔さんなんかは、どうしていいか分からず、一柳と梓さんの顔を交互に見回した。
「……取り敢えず、皆さんも移動しましょうか。運が良ければ、あっさり事件が片付くかもしれませんから」




