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あれから一時間くらい経ったのもあって、火傷はだいぶ治ってきたが、まだ衣服を着るにはヒリヒリする。春になったとはいえ夜は冷えるので、樹さんがパーカーを肩に引っ掛けておくようにと持ってきてくれた。
葉月はお茶を持ってくると言い、席を立つと樹さんは俺を見るなり優しく笑いかけ、頭に軽くポンと手をのせた。
「昊君……ずいぶん大変なことになったな」
「オジさん、あの……」
いろいろ説明しなきゃいけないのに言葉が出てこない。でも、まずは謝りたい。
「すみません。俺、迷惑しかかけてない……」
「いや、いいんだよ。そのために私たち導師がいるんだから……とりあえず、君が無事で何よりだ」
乗せられた手で頭をくしゃっと撫でてくれた。その、あたたかい手から本当に心配してくれていたのだと感じられた。
俺は葉月に話したことを樹さんにも話をした。時折、悩んでいるようだったが、樹さんも黙って俺の話を聞いてくれていた。
それと、俺はずっと樹さんに聞きたいことがあった。
「オジさん」
「ん……うん?」
「どうしてあの時、この力の事とか……俺に何も聞かなかったんですか? 七年前のあの日、オジさんは俺がどうなっていたか、知っていたはずですよね?」
「あー……あの時ね。うん……基本的には、異能のことについて本人か保護者からの申し出がないと何もできないんだよ」
「なぜです?」
「勝手に保護して問題になるケースが多いんだ。それに、本人が我々を拒んでいる状態で保護しても結局、反発して問題行動が起きる」
「だから、本人が言うまで待ってたと?」
「もちろん、異能が原因で親から虐待されてたら、強制的に保護できる。あとは本人が異能のことを認識していない場合、保護対象になるので保護者に相談して、本人とどうするか決めてもうんだ」
俺は親がいないからな……。
「君は親御さんがいない状態だったから、施設が保護者になるが……昊君。君は前世持ちだろ?」
「……はい」
「前世持ちは、少し扱いに困ることが多い」
「?」
「前世で大人まで成長していると、知識をそれだけ持っていることになる。そうすると、能力を隠すのが上手になるんだ」
「ああ……なるほど。確かに」
実際隠したしな。
「それと、昊君自身がその異能の力のことをどう捉えているか、わからなかった」
「どう?」
「力をいらないと思っているか、必要としているか……」
「…………」
「君が異能持ちだと最初に気付いたのは、葉月だ」
「やっぱり……そうでしたか」
「君のことを葉月から聞いて、前世持ちというのはすぐにわかったよ。子供のわりに、嫌に落ち着いていたからね。君は小さい頃に殆ど思い出したみたいだね」
「……はい」
「別に前世を覚えていたからって、悪いことじゃない。まぁ、君にとったらあまりいい思い出ではないかもしれないが、それを生かすときは来るはずだから」
「俺が前世で人食べるような魔物でも……ですか?」
「……今の君が、したわけじゃないだろう?」
「…………」
俺はその言葉を聞いて戸惑うのと同時に気が軽くなった。前世の記憶をほぼ思い出したことによって、魔物だったころの感覚が蘇っている。そのせいか前世の延長をしているように思ってしまっていた。確かに今の自分は人を食べてはいないし、食べることはない。
「今の君はそのことを知ってどう思ったんだ?」
「俺は……」
そのことを思い出した時、ものすごく気持ち悪かった。人間たちは、恐怖と軽蔑、怒りの目を向けていた。当時はそれが普通で当たり前、当然だと思っていたから何も感じなかった。しかし、立場が逆転すればこうも違うのかと思わされる。
だからと言って、魔物の暮らしのこともわかる。奪わなければ死ぬだけだ。
「魔物の俺のしてきたことは最悪です。許されない。でも、あの時はそうするしかなかった」
「うん。その時の君の立場はそうだった。そして、それが業だ。前世を思い出してしまったことで今の立場から思う感情はまた違ってくる。過去は消えない。でも今は全く新しい人生だ。もしそのことを悔いているなら、そのことを踏まえてこれから何をするべきか考えていけばいい」
「……はい」
「因みに……七年前、君があの頂上で暴走しかかっているのに気づいたのも葉月だ」
「! じゃあ! あの時の声!」
樹さんはにやりと笑って、丁度お茶を持ってきた葉月に聞いた。
「あの時、葉月はどうしてたんだっけ?」
葉月は俺から目を逸らして答えた。
「……だって、まさかずっと、尾行してたなんて言えなくて……」
「そうすると……葉月は俺の姿が変わっていくのを、見てるんじゃないのか?」
「……遠目で、なんとなく姿が変わっていったのは見えてた」
「はぁ……やっぱり」
「あ……でも、最初は何かに憑りつかれて姿が変化しているのかと思ったの。けど、近くに行ってみたら違くて……今日聞いて、ビックリしてるんだから! あの時、前世の姿に戻ろうとしてたんだね。でもそれが魔物で、ドラゴンだったなんて……」
葉月はお茶を出しながら申し訳なさそうにして、あまりこっちを見なかった。出し終えた後も、何故かよそよそしい。
「私は、葉月の様子がおかしかったんで、後を追って山に入って行ったんだ。そうしたら、大きな声が聞こえたので駆けつけてみたら、気を失っている昊君がいた」
「あーそれで、ここに運ばれて来てたんですね」
「まぁ……あの日はそんな感じだったな。で、昊君は葉月に、尋問されてたんだって?」
葉月はその話題が出たとたん、ばつが悪そうにしていた。
「尋問? ああ……会うたびに『隠してることない?』って聞かれてたことですか?」
「うんそう、それ。おかしいと思ったんだよ。葉月とは結構話してるのに、打ち明けてる様子もないし。もしかしたら、異能の事を知られたくないのだと思っていたけど……あの時聞いたら、尋問のようにしてるっていうから、それじゃ言えるもんも言えないって注意したんだ」
「え? でも、あの後も聞かれていました……よ?」
それを言い終わる前に、葉月は必死に俺に何かを伝えようとしていたが、気づくのが遅かった。たぶん、聞き続けていたことを言わないでほしかったらしい。言い終わった瞬間、葉月は諦めた顔をしたと思ったら、血の気が引いたように青ざめていた。
「……何? あの後も聞いていた?」
樹さんから聞いたことのない低い声が聞こえてきた。葉月はその声を聞いたとたん震え上がり、氷のように固まってしまった。
「葉月さーん。どーいう事かなー?」
樹さんの表情は笑顔だが、声は怒気を含んでいた。葉月は言い訳を一瞬しようとしたが、すぐに平謝りしていた。葉月でも樹さんは怖い存在らしい。
ふと、あの時見た樹さんの表情が気になった。
あれ? じゃあ、あの時睨んでいたのは……。
「あのオジさん」
「ん?」
「あの……目が覚めたとき、俺、睨まれてた気がするんですけど……あれは、俺が何者か疑ってたん……じゃ?」
「ん? ああ、あのときか? 違う違う! 葉月が余計なことをしないか見張っていたんだよ」
「へ……?」
「まったく! いくら怪しいからって、直接聞くヤツがあるかって! でも結局それで、君が今回折れたみたいだけどな」
「なんだ……俺はてっきり、いつ魔物になるかを警戒してるのかと……」
「ああ、ごめんな! 決してそういうふうに見てたわけじゃないよ。むしろ心配していたんだ。君が今どういう状況に置かれているのかを……」
そんな風に心配してくれてただなんて……。
「それなら、もっと早く言えばよかった」
「いや、君の判断も間違いではない。相談する人を間違えれば信じてもらえないか、攻撃対象になっていただろうな」
「…………」
「もちろん、その力で人を傷つけるようなら全力で止める。まぁ、昊君は元・魔物だが、人に対して良い思考を持っているのはわかっていたけどね」
「……オジさん」
「で! これからのことなんだけど」
「これから……」
「昊君。君はこれからどうしたい? どう、生きていきたい?」
「どう……」
「昊は、ドラゴンに戻りたいと思う?」
「いや、全く」
「それなら、力を封印して普通の人として生きていくのも良い。力のことを学んで使い方を知るのも良い。昊君が決めていいよ」
「力を……無くすことも可能なんですか?」
「似たようなことはできるよ。私たちで完全に……というのは難しいけどね。君は力の使い方もある程度できているから、すぐに決めろとは言わない」
力のことを学べば、それだけ危険が多くなるだろう。しかし、樹さんの言い方だと、この力を完全に封印するのは難しいらしい。だったら……。
「俺は力のことを学びたい」
「……昊。いいの? 今日みたいにその力を狙ってくる可能性だって……」
「この眼。『魔眼球』っていうんだろ? オジさん。力を封印したところで、この眼は変えられないでしょ?」
「まぁ……そうなんだよね。力を封印すれば暴走はしないけど、今日みたいな奴には、狙われるだろうね」
「だったら、力をつけて対抗できるようにしておきたい」
「そうか……」
樹さんは少し物悲し気に笑っていた。