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この話には、暴力的な描写や残酷な表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「ナ……オ?」
ナオの血がその辺りを赤く染め、俺の顔にまで飛び散った。
「ナオォォォォ!」
頭の中が真っ白になった。ナオが傷つけられた。こんなことはありえない。嘘だと思いたかった。
次第にナオの体が赤く染まっていく。それと同時に、心の中の黒い渦が全身を包み込んだ。
「お……のれ……おのれ! 許さぬぞ!」
俺は渾身の力を振り絞り、ナオを掴んでいるグリフィンの足を引き裂いた。
〈ひぃぃぃぃぃ! 足がぁぁぁぁ!〉
グリフィンの足からナオを引き離し、そっと抱き寄せた。俺はナオを抱く手が震え、血が指の間を伝って滴り落ちていた。
「ああ……ナオ! しっかりしろ!」
〈く、クソ! 何してやがる! お前たちもやれ!〉
グリフィンの命令に従い、ピポグリフたちが一斉に襲いかかってきた。俺は近くにいたグリフィンもろとも尻尾を振り抜き、木に叩きつけた。その衝撃で木が倒れ、グリフィンたちの上に覆いかぶさり動きを封じた。
その隙に、俺はナオの状態を確かめた。
「ナオ! 傷を見せろ! 何故俺を庇った!」
「へへ……失敗、しちゃった。ソールのこと、守りたかった、のになぁ」
「俺のことなど、放っておけば、良かったものを」
「だって……イズさんと話しているの、聞いちゃったから……死期が、近いって……」
「ナオ……あの時、あそこにいたのか?」
「だから、少しでも……長く、生きて……欲しか、た」
「俺より、お前が生きるべきだろう!」
「だ……って、僕、ソール、こと、好き、だから」
「ナオ……何故。俺はナオに好かれる資格など、無いというのに」
「え、へへ……そんな、こと、言わないで、よ。ソールは……本当はやさしいんだよ。僕、知ってる。最初、僕が持っていった食べ物ちゃんと食べてくれた。僕たちのこと、手伝ってくれた。獣、から守ってくれた。人間……のこと、嫌いだったら、そんなこと、しない、でしょ?」
「ナオ……」
ナオは虫の息だった。それでも、笑顔を絶やさずにいた。ナオは弱って震えている手で俺の顔に触れた。
「ああ、やっぱ、ソ……ル、そのドラ、ゴンの姿、か……こいいな。その眼……もキレ、イ」
「ナオ……もう喋るな!」
「僕、君に……会えて良かったよ。もっと……一緒に、いたい。でも、ごめん、ね……僕、もう……一緒……いられ……」
触れられた手に力がなくなり、静かに落ちた。そして、まるで眠るかのように瞳は閉じられた。
――ナオはそのまま、息を引き取った。
その瞬間、俺の中で何かが弾けるような感覚があった。
「ナオォォォォォーー!」
俺はこの時、初めて涙を流した。長く生きてきて、初めて。
何故、ナオが死ななければならない? 何故、やさしい人間が殺されなければならない? 俺がここに来なければ、みんな死ななかった? 人間を殺しすぎた俺の報いか? それなら、俺が受けるのに……。
魔物はそう滅多に涙を流さない。だが、この時ばかりは止めどなく流れていた。
この悲しみを打ち破るように背後から耳障りの悪い声がした。
〈クソ! 邪魔が入った! 今度こそ確実に――〉
振り向きざま、怒りに身を任せ、グリフィンとピポグリフたちを八つ裂きにした。
グリフィンたちを一掃しても、ナオを失った怒りと悲しみは晴れなかった。それをぶつけるように、力任せに暴れた。
一帯が焼き尽くされていく中、二つの人影がゆらりと揺れた。
〈なんと……来るのが遅すぎたか〉
聞き覚えのある声だった。だが、この時の俺にとってはどうでもよかった。残された魔力をすべて使い、この世界を破壊したかった。ナオがいない世界など、信じたくなかった。
一日中、力の限り暴れ続け、気づいたときには俺の体は夥しい数の傷を負っていた。それでも俺はナオを離すことなく、腕の中に抱き続けていた。
いつの間にか、ナオと最後に登ったあの山にいた。地面に膝をつき、ナオの亡骸をそっと降ろした。
そこから、ナオたちのいた野営地を見下ろすことができた。野営地を中心に周りの木々は灰となり、風景は一変してしまっていた。
「ああ、何故……何故こんなことに……ナオ、お前がこんなことになってしまったのは俺のせいだ。俺の……」
〈満足したか?〉
声がするほうに目をやると、不格好な杖を携えた賢者と呼ばれている男・レイスと、その傍らに少年の姿をしたコウが立っていた。レイスは杖を構え、その後ろでコウが今にも泣き出しそうな表情で立っている。
〈逃げ延びた先で人間たちを巻き込んで……満足したか?〉
言い返す気力もない。傷の痛みのせいでもあるが、生きる希望を失っていた。
〈ソール、お前を自由にさせすぎた。これ以上、この世の秩序を乱すわけにはいかない。すまないが……ここに封印させていただく。お前のようなドラゴンはこの世には不要なのだ〉
レイスの隣で、コウはこれが俺との最後の別れとなるのがわかったのか、必死に声を抑えながら泣き崩れた。
もういい、これで終われるなら……だが、その前に。
〈レイス……お前に頼みがある〉
〈珍しいな。お前から頼みごとなど〉
〈あそこの……野営地にいた人間たちを弔ってもらいたい。それと、イズという女性を……いや、何でもない〉
きっと、イズは無事だ。彼女は、大丈夫だろう。
〈ソール? お前……〉
レイスは構えていた杖を下ろし、俺の前に横たわるナオの顔にそっと触れた。
〈レイス、俺はあそこにいた者たちに救われた。俺のようなものを温かく受け入れてくれた。特に、この少年は俺に『光』を見せてくれた。それなのに、巻き込んでしまった。俺のせいで……〉
〈ソール……お前を変えたのは、この少年なのか?〉
〈ああ、ここのみんなと穏やかな時を過ごせたのはナオのおかげだ。俺を封印するなり好きにするがいい。ただ、それだけは俺の最後の望みだ〉
〈この少年はナオというのか……分かった。この少年は、お前によくしてくれたのだな。なら、いつまでも一緒にいられるようにこの小さな木の根元に眠らせてやろう。さすれば、木の成長と共に、この地を見守ることができよう〉
〈ああ、うん……それは、いいな。そうしてくれるか?〉
ああ、これでやっと終わる。次生まれ変わるなら、こんな心も体も醜い魔物ではなくて、ここの人間たちの様な……ナオの様なやさしい人間に生まれ変わりたい。
そう思いながら、俺は目を閉じた。