5
はるか昔の記憶。
人間と魔物の大戦の最中、大怪我を負った俺は東へ逃れ、大きな島に流れ着いた。森の合間にいくつか人間の集落のようなものが見えたが、人を襲う気力すら残っていないほど、心も体も疲弊していた。
木が生い茂っている小高い山の麓に洞穴が見えた。そこに降りて、体を休めることにした。だが、魔力も残りわずかで、もう回復するのは難しい。きっと、ここが最後の地になるだろうと覚悟した。
体中に傷を負っていたが、とくに腹の傷から血がにじみ出ていた。最期に受けたこの大きな傷はコウが放った一撃だった。
まともに喰らってしまうとは……油断した。
洞穴の中は、俺の大きな体が悠々と入れそうなくらい広かった。傷ついた体を引きずり、中に入るとすぐに行き止まりになった。奥は静かでひんやりとしていた。
次第に眠くなり、見知らぬこの地で最期を迎えるのかと思った時、入口の方からゆらりと小さな人影が見えた。
「#%$&×?!」
何か言っているが、小さい声の上、言語が違ったので意味がわからなかった。
小さな影は少しずつ、俺に近づいてきているのを感じた。俺は薄目を開けてその影を見ると、それはみすぼらしい格好をした十二歳くらいの男の子だった。
男の子はある程度の距離まで近づいてくると、立ち止まり全く動かなくなった。
一分か、二分か――長く感じられたその沈黙を破ったのは、俺だった。
〈用がないなら立ち去れ〉
すると、男の子は両手を広げ、何かを話し始めた。だが、俺はそれを無視し、また眠りにつこうとすると、男の子は走ってその場を去っていった。
一時間くらい眠っていただろうか、目を開けると目の前にさっき走り去っていった男の子が立っていた。手に何か持っている。そこから、甘い香りがふんわりと漂ってきた。食べ物のようだ。
手に持っているそれを食べろと言わんばかりに俺の前に並べ始めた。だが、俺は食べる気力など、もう残っていなかった。
男の子は必死に何かを叫びながら、その食べ物を口の近くに持ってきた。
この子供は、俺が怖くないのか? その気になれば人間の子供なんて一飲みだ。
俺が襲う気がないと分かっていたのだろう。男の子は一切臆せず、手に持った食べ物を口元へ差し出してきた。
俺は根負けして、その食べ物が入るくらい口を開けた。すると、男の子は嬉しそうに、手に持っていた食べ物を俺の口の中へ放り込んだ。
――甘い。
食べたのは果物だった。この時、久しぶりに食べ物を口にした。
その男の子は、俺が食べたのがよほど嬉しかったのか、次から次へと口に運ぼうとした。でも、俺はそれを無視してその日は眠りについた。
それから、毎日のように男の子が食べ物を運んできた。俺は渋々、それを口にするようになった。
「コンニチハ、マモノサン。ボク、ナオダヨ。タベモノヲトドケニキタヨ」
毎回この言葉を最初に言ってきた。俺が食べている間、ずっと男の子は何かを喋っていた。
そのうち、この言葉の意味も分かるようになってきた。
「こんにちは、魔物さん。僕、ナオだよ。食べ物を届けに来たよ」
「なま……え……ソール」
はじめて、この地の言葉を話した。それを聞いた男の子は目を丸くした。
「え? え? い、今、しゃべっ……た?」
「フン!」
「わぁ! 魔物さん、ソールって名前なんだね? 僕、ナオだよ! わぁ、うれしい! よろしくね。ソール!」
ナオは俺の世話をしにくると、自分たちが使っている言葉をいろいろ教えてくれた。
聞くところによると、ナオたちは数人で旅をしていて、この洞穴の近くの川で野営していると教えてくれた。ナオは食べ物を探しているときに俺があの洞穴に飛来してきたところを見ていたらしい。
「ナオ、俺、一緒、いない。俺、瘴気、もっている」
「うん、大丈夫だよ、ソール。僕たちは魔物の瘴気を浄化する力を持った部族なんだ。実はソールの瘴気も初めて会った時に浄化してるんだよ」
なんとも不思議な子供だった。魔物を怖がるどころか、歩み寄ろうとしている。魔物に対し言葉が通じるのであれば、できるだけ話しかけているという。
「俺、こと、怖く、なかった?」
「んー……最初は怖かったよ。でも、言葉がわかるなら、話そうと思って」
「もし、俺、襲う、どうする、つもり?」
「全力で逃げる!」
「それ、殺され……る?」
「大丈夫! 僕のこの力は、強い悪意がなければ魔物の心を癒せるんだ! 襲われないよ!」
確かに不思議と襲う気にはならない。ナオたちの部族は一部の魔物と心を通わせる力を持っているらしい。