3
泉さんは、俺と葉月の間に微妙な空気が流れているのを察知したらしく、不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ、二人とも何かあった?」
「いえ、何も……なぁ? 葉月」
「……うん」
「そう? まぁ、何もないならいいけど……じゃあ、二人ともいってらっしゃい。気を付けてね」
「「はい。行ってきます」」
こんな日に限って、若葉園長に養護施設の手伝いを頼まれていた。泉さんに見送られ、俺と葉月は養護施設へと向かった。
渡瀬家から、施設まで歩いて十分かからないでつく。下校時に降った雨はすっかり止んで、その形跡だけ地面に残っていた。
お風呂場でのことがあったから、葉月と肩を並べて歩くのは少し気まずい。それと、さっきのことをちゃんと謝れていないことが、心に引っ掛かっていた。謝るなら早い方が良い。
「あー……のさ。さっきのことなんだけど」
「さっきのことは、忘れてって、言ったでしょう?」
ヒッ!
凄い形相でこちらを見てくるものだから、思わず声が出そうになった。
「いや……でも、ご、ごめん」
「昊は謝らないでよ、私が悪かったんだし。はぁ……まぁ、いつかやると思ってたのよね。以前、うちにお弟子さんがいた時は私が小さかったから、あの札なんて無視して入ってたこともあったし――」
マジか。
「昊が来てからは意識して、ちゃんとかけるようにしてたんだけど、かけ忘れることもあって――」
! マジか?
「母さんには何度か、かけ忘れてるのを見つかってる」
!? マジか!
「今回は私が悪い! だから、忘れて!」
「……分かった。俺も今度から、ノックしてから入るようにする」
「本当にごめんね」
あと少しで着くのに沈黙になり、やっぱり、何だか落ち着かない。隣で歩く葉月から微かな石鹸の香りがする。そのせいなのか「忘れろ」と言われたが、どうしても、あの時の光景が思い出される。
ダメだ! 何考えてるんだ俺! 黙って歩いてるからダメなんだ! 他に話題、話題……ああ、そうだ。
「ミ、ミーティスとの修行はどうだ?」
「ああ、うん。魔物との実践なんて、本当にありがたいわ! かなり戦い方とかもわかってきたの。私は魔力の量は人並みだから、使い方も洗いなおして、効率的にどう使うか教えてもらってる」
「へぇ……ミーティスは教えるのが上手いのか?」
「上手いとは思う。というか私たちと相性がいいんですって! 最近、かなり仲良くなって私と弥生も『さん』付けじゃなくて『ミーティス』って、呼ぶようになったの。ミーティスの希望もあってね。それにね、最近は弥生のほうが意気込んじゃって、土曜日が待ち遠しいみたい。早くミーティスに会いたそうなのよね」
「ん? それって……」
「うーん、なんか一目惚れ……みたいな感じなのかな?」
「え? ミーティスに?」
「うん、最初に会った時、人の姿だったんだけれど、どうも……それがドストライクだったみたいで」
「弥生はミーティスの人間の姿は仮の姿だって……理解してるよな?」
「もちろん! ドラゴンの姿も見てるわよ。それも良かったみたいで『カッコいい』って、言ってて」
「へぇ、あの弥生がね」
「行くと、ミーティスにべったりなのよね」
「何だ? 葉月、寂しいのか?」
「違うわよ! って、言いたいけど、ちょっとね。でも、まさかミーティスにいくとは思わなかったわ」
「確かに……」
「そう言えば、ずっと気になっていたんだけど、ミーティスが前に『ドラゴンの涙』が必要って言っていたけど、それってどういうものなの?」
「ああ、『ドラゴンの涙』は水のドラゴンが持つ特殊能力みたいなもので、固有の条件を満たしたときに流した涙が結晶化して、不思議な力が宿ると言われているんだ」
「へぇー神秘的なものなのね。不思議な力って?」
「そのドラゴンにもよるらしいんだけど、アクアの場合、魔物の傷と魔力の回復だったかな?」
「あー……そうなのね。そっか、それで」
葉月は急に何かを思ったのか悩むようにして、口元に手を当てた。
「ん? 何か気になるのか?」
「え? ああ、ううん、何でもないよ」
「ふーん? まぁ、それでちょっと不思議だったんだ。能力の回復なら俺に必要なのは分かるんだけど、傷と魔力の回復だと、今の俺には必要ない気がするんだよな」
「そう、ね。ミーティスのことだから、何かあるのかもしれないわよ?」
「はぁ……今の俺が前世より強かったらこんな苦労してなかったんだろうけど」
「珍しいわね。弱気な発言」
「言いたくもなるさ。今と前世じゃ力の差がありすぎる」
「昊、私たちもいること、忘れてない?」
「ん?」
「だって、今は人間で魔物じゃないのよ? 確かに力の差はある。でも、今は一人じゃないでしょ?」
「う……うん」
頼れる人がいるのは、確かにありがたいことなんだよな。
そんな話をしていたら、いつの間にか養護施設の入口まで来ていた。そこに小さな人影が見える。
「あら? 入口のところに誰か立ってるわ?」
「あ! そらにいちゃん!」
「光輝! わざわざ外で待ってたのか?」
光輝は俺にしがみつき、抱っこしてほしそうにピョンピョンとはねた。促されるまま、光輝を抱き抱えると猫のように顔を摺り寄せてくる。
「この子が光輝君? こんばんは! 私、葉月っていうの。よろしくね」
「こうき……です」
「? うん……」
光輝は葉月を見るなり、何故か睨みつけていた。葉月はどう対応していいのか分からない様子で、笑顔を見せながら困惑していた。
「光輝? 何で葉月を睨むんだ?」
「ぼく……このおねえちゃん、なんかキライ」
「「え?」」
葉月と俺は顔を見合わせ、首を傾げた。光輝は頬を膨らませ、葉月にそっぽを向いている。
「光輝?」
葉月は苦笑いをしながら、光輝から離れた。
「あー、そっか……そうなんだね。ごめんね、光輝君。えっと……じゃあ、昊、先に行って若葉さんに挨拶してくるね」
「あ、葉月……」
葉月は急いで中に入って行った。
「光輝? 何で葉月にあんなことを?」
「…………」
光輝は不機嫌な顔をしたまま、答えてくれなかった。